1985年のショパン・コンクール、19歳のピアニスト ブーニンの衝撃! 1985年 10月1日 「フレデリック・ショパン 国際ピアノ・コンクール」が行われた日(初日)

愛する祖国はポーランド、ショパンという作曲家の魅力

一気に空が高くなる秋に聴きたくなるピアノのクラシック演奏。クラシックはちょっと乾いた空気が合う。開いた窓から澄んだ空気に乗ってどこまでも響いていく様子を思い描きながら… というのは理想で、実際は耳に突っ込んだイヤフォンから流れているのだけれど(笑)。

私たちはますます個の時代を生きている。昨今のコロナウイルスは、さらにそれを助長している。だが、音楽の素晴らしいところは、目をつぶっていても私たちをどこにでも連れて行ってくれることだ。今、心にふっと舞い上がった風に乗ってどこまでも飛んで行けそうだ。

さて、皆さんはショパンはお好きですか? ピアノを習ったことがなくてもその名前はもちろんのこと、作品もいくつも耳にしているはず。「別れの曲」「子犬のワルツ」「幻想即興曲」「雨だれ」… どれもどことなく憂いを帯びた美しい旋律が魅力で、“ピアノの詩人” とも言われ、祖国ポーランドを愛するが故に、ポーランドをテーマにした楽曲も多い。それがショパンという作曲家だ。

有名な「英雄ポロネーズ」、それは “ポーランド的” という意味

祖国ポーランドは、当時ロシアの支配下にあり、それに反旗を翻し革命を起こそうとするものの失敗に終わった1830年の11月蜂起。そんな背景から生まれた彼のたくさんの愛国心あふれる作品の中でも有名なものの1つが「英雄ポロネーズ(ポロネーズ第6番変イ長調)」。

ポロネーズとは “ポーランド的” という意味であって、ポロネーズという英雄がいたわけではない(笑)。ちなみに “英雄” という曲名も誰がつけたかわからないそうだ。さらにベートーベンの交響曲第3番「英雄」はナポレオンを称え書かれたが、ショパンの「英雄」はタイトルをつけたのがショパン本人ではないので特定のモデルはいないそうだ。

一度耳にしたら忘れられない主題に、最後まで息をつかせないほどに緊張感を伴う美しい旋律。ショパンらしいキラキラ感とノスタルジックさを持ち合わせながらも勇ましく戦う愛国心を描いた名曲である。現代のストリートミュージシャンたちにとっても、この曲を弾くと人が集まってくるといわれるほど人気の曲らしい。

案外ジャズっぽい? 新しい時代に手を伸ばしたロマン派の作曲家

ショパンは古典的なクラシックから成長して、新しい時代に手を伸ばしたロマン派の作曲家。「音楽って楽しい!」と嬉しくなる要素がいっぱい詰まっている。例えば、「英雄」の中盤、左手が “シュタタタ シュタタタ” と繰り返すところがあるが、右手の旋律はいかにもベートーベンが書きそうなクラシックなのに、左手は案外ジャズっぽくもあり、すごくキワを攻めてる感じでかっこいい。

きっと弾き手にとっても、ただ技巧的なだけじゃなくて、めちゃくちゃカッコいいから難しくても弾きたくなる。そこがショパンの魅力なのだろう。時代を作るのは、そんな新しいものに手を伸ばそうとする心だ。そんなショパンの名を冠したコンクールが “世界最古の音楽コンクール” として存続するのも、それが所以なのだろう。

1985年のショパン・コンクール、聴衆を魅了したスタニスラフ・ブーニン

1927年に始まり、もうすぐ100周年を迎えるのが『フレデリック・ショパン 国際ピアノ・コンクール』(以下、ショパン・コンクール)だ。そこにヒーローが誕生したのが1985年のこと。NHKでも放送されたので覚えている方も多いかと思うが、この年優勝したのが旧ソ連出身のスタニスラフ・ブーニン。現在でも大会最年少記録である19歳のことだった。

その風貌は髭を蓄えていたこともあり、全く19歳に見えなかったが、この青年が何かに憑依されたかの如くガンガンに、また情緒的にショパンを演奏する姿はあっという間に聴衆を虜にしてしまった。その時の「英雄ポロネーズ」は、まさに「英雄ブーニン」そのものだった。ミスタッチも多いのだが(むしろミスタッチのオンパレードなのにそれを含め)圧巻のショパンであった。好き嫌いはあるかもしれないけれど、彼は彼のショパンを明確に把握し、描くことができた。

当然本国でも一躍有名になったブーニンだが、当局の監視下において芸術活動をするには不自由が伴ったため、1988年に西ドイツに亡命した。こうして彼もまた祖国を離れることになったのだった。

岸恵子さんの20~30年前のヨーロッパの話の中に「ヨーロッパで祖国から出た若者たちの切実さは日本人の想像を遥かに超えたものがある。言葉が通じなければ働き口もないのでただちに現地の言葉を覚え仕事を得てたくましく生きている」というような内容があったのだが、当時は明確に東と西の隔たりが存在し、芸術も一筋縄にはいかなかったはずである。そんな彼が35年経った今、どんな「英雄ポロネーズ」を奏でるのかとても興味があるところだ。

ブーニンと辻井伸行の素敵な巡り合わせ

ショパン・コンクールの優勝者、入賞者にはブーニン以外にも魅力的なピアニストがたくさんいる。最近では2005年に圧巻の優勝をしたラファウ・ブレハッチはショパンらしさと正確さで話題となった。ついでに顔もショパンに似てる、と。30年ぶりの主催国、ポーランド出身者の優勝だと言うことも話題のひとつだ。

実は辻井伸行も2009年にヴァン・クライバーンコンクールで優勝し大ブレイクする4年前、2005年のショパン・コンクールに出場して「ポーランド批評家賞」を受賞している。その辻井青年(当時17歳)がピアノを始めるきっかけを作ったのがブーニンの「英雄ポロネーズ」なのだから本当に事実は小説より奇なり。

有名な話ではあるが、赤ん坊だった頃の辻井氏はブーニンの「英雄」が流れていると機嫌よく足でリズムを取っていたらしい。それが他の人の弾く「英雄」では反応せず、それに気づいた母親が「この子はピアノを聴き分けている!」と子供用ピアノを与えたのだ。21世紀の宝の道標となったのが20世紀の天才、ブーニンだったというのは、なんとも素敵な巡り合わせだ。

ピアニストによって全然違う!「英雄ポロネーズ」の聴き比べ

攻めの旋律を叙情的に奏でる弾き手もいる。ピアニストによってピッチもタッチも全然違う。それぞれが浮き彫りにする楽曲の光と影が違って新しい魅力にハッとさせられた時の快感。「そんな旋律この曲にあったっけ?」といった発見さえあって本当に面白い。

例えば、常に賛否両論のラン・ランも断然に面白いし、大御所ウラディミール・ホロヴィッツ、アルトゥール・ルービンシュタインの粋も素晴らしい。フジコ・ヘミングも絶対に忘れてはならないし、もちろん辻井伸行もブレハッチも最高!

曲の長さもちょうどよく、聴き比べが楽しい1曲なので、この秋の夜長に「英雄ポロネーズ」を聴き比べて自分の中の英雄を見つけてみてはいかがだろう? 秋はノスタルジーに寄り添う季節でもある。

今を生きることは歴史を作ること、その糧となるのは未来への希望

人間が人間であるのは、私たちには “時間” の感覚があるから… という説がある。最近読んだ『生き物の死にざま はかない命の物語』の中で、筆者で生物学者の稲垣栄洋氏は、こう書いている。

 ヒト以外の生き物はみな、「今」を生きている

つまり他の生物には “今” という時間しかないのだ。私たちは、程度はあるにせよ、皆どこかノスタルジックな生き物だ。それは過去の記憶がそうさせているのだろう。果たして過去がそんなに素晴らしかったか… というと、そういうことではなくて、過去があるということは振り返る何かがあるということだ。

ノスタルジーはそんな何かの隙間に生まれる。そんな私たちが音楽や芸術に残すのがたとえ “今の真実” だったとしても、そこから受け取るのは “今” の足元から広がる過去と未来への感覚なのだ。

そして “今” を生きることは歴史を作ることだが、その糧となるのは未来への希望だ。それらは美しければ美しいほど悩ましくて私たちを踊らせる。だからショパンの美しいノスタルジーに乗せた “祖国” という過去と、“祖国” という希望を私たちも強烈に共感してしまうのではないかな。

5年おきに行われるショパン・コンクール、今年はコロナ禍で延期

5年おきに行われるショパン・コンクールは、コロナ禍の影響を受け、今年10月に行われる予定だったのだが、全て2021年へ延期となった。オリンピック同様、出場者にとっても開催者にとっても大きな負担であることは間違いない。実務面においては一旦ノスタルジーを忘れ、これまた人間の特性である未来を見据えた計画性を発揮する時なのだろう。

今、私たちの心の中に感じた風はどこへ向かうのだろう? どうかその心の風景が、いつか顕現して私たちを笑って見送ってくれる日が来ますように。「私たち、あの時頑張ったよな~」なんて思い出して笑えますように。

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