元銀行マン、定年後に留学、70歳で豪州移住 帰国してブドウ農家 挑戦続ける85歳

©株式会社神戸新聞社

丹精したブドウを見詰める山口晄一さん=上郡町船坂

 76歳で兵庫県上郡町へ移住し、ブドウ農家を始めた元銀行マンがいる。和歌山県海南市出身の山口晄一(てるかず)さん(85)。今も毎日畑に足を運び、収穫に精を出す。戦後の混乱期をくぐり抜け、銀行を定年退職後は豪州へ留学、そして移住-。「じっとしていられない」と挑戦を続ける半生を聞いた。(伊藤大介)

 山口さんは朝8時に畑に向かい、ブドウを1房ずつもいでいく。「出来が良かったらうれしい。実がちゃんと付いているか、病気にかかっていないか、ずっと気を配っていたので」。午後3時ごろまで収穫、出荷作業が続く。酷暑に見舞われた8月も水やりや実の袋掛け、消毒に汗を流した。熱中症になったことはない。「戦前の人間ですからね。これも慣れです」。

■戦後、住まいを転々

 生まれたのは1934年。自宅近くに製油所があり、空襲を避けて44年に大阪府和泉市へ疎開した。和歌山の家は爆撃を免れたものの、「近所の失火が燃え広がり、家も焼けてしまった」という。

 戦後は親族を頼って明石、神戸、京都と引っ越しを繰り返しながら机に向かい、立命館大学へ進学した。理工学部で数学を専攻したが、57年の卒業時は就職口が少なく、神戸市東灘区で親族が営む画材販売の仕事を手伝った。

■教師から銀行マンに

 西宮市の私立中学、高校の数学教師を経て61年、当時の幸福相互銀行(大阪市)に入行した。元々は妻延子さん(84)が体育教師をしていた園田学園(尼崎市)に転じるはずだったが、古巣の学校から「引き抜きは許さない」と抗議を受けた。このため、同学園の理事長が社長を務めていた幸福相互銀行に入った。

 入社当時、電卓は普及しておらず、計算はそろばんや手回し式計算機で行われていた。利息などの計算を早めるため、コンピューター導入に向けて理系人材が求められていた時期で、山口さんは本店で内勤業務に携わった。「コンピューターの保守管理は通常業務が終わった夕方から早朝まで。昼夜が逆転してました」と振り返る。

■豪州へ留学、移住

 安定した職を得ても、挑戦への意欲は衰えなかった。バブル絶頂期の89年、「温暖で暮らしやすそう」な豪州への移住に引きつけられた。94年に定年退職後、英会話教室に2年半通ったが、英語が身に付かない。

 「行った方が早い」と豪州アデレードへ語学留学し、半年間、10代、20代の留学生と肩を並べた。「言いたいことは伝わるようになった」と2004年、教職を退いた妻と共に豪州西部のパースに移住した。70歳だった。

 当初購入した住宅が2倍に高騰するなど、好景気の恩恵にもあずかったが、物価も上昇した。「年金暮らしにはきつくなった」と移住3年半で帰国を決断し、大阪府吹田市を経て、11年に上郡町へ移住した。父の残した土地がブドウ産地の船坂地区にあり、豪州で魅了された広大なワイナリーを思い出した。「ブドウを作ってみよう」

■雑木林を開墾

 約千平方メートルの雑木林を伐採し、苗を植え始めた。地元農家でつくる船坂ぶどう組合の助言も得て、現在はピオーネ、シャインマスカット、クイーンニーナなど8品種を育てる。「上郡の人はフレンドリーだし、空気と水はおいしい。買い物は不便だけど」と笑う。

 今年、新たな土地でワイン用の品種を育てる畑作りに取り掛かった。シャルドネ、ピノ・ノワール種などの苗を植え、収穫は早くて3年後、88歳の頃となる。周囲の農家は「普通ならブドウ栽培を引退している年齢で、ワイン畑を耕すなんてすごい」と驚嘆する。山口さんは「水やりが大変」と苦笑しながら、楽しそうだ。

 なぜ新しい挑戦を続けられるのか。「家でじっとしていると病気になる。動ける間は体を動かして、しんどいほうがいい」と話す。

 出荷は10月中旬までで、直売もしている。山口ぶどう園TEL0791.25.6039