明日をも知れぬ人の力に 厚労省新設の「出所者支援専門官」へ 県地域定着センター所長 伊豆丸剛史さん

「罪を繰り返す人たちの更生支援に力を尽くしたい」と語る伊豆丸さん=諫早市、長崎刑務所

 罪を繰り返す障害者や高齢者を福祉につなぎ、更生を手助けする「県地域生活定着支援センター」(諫早市)。開設当初から、業務に奔走してきた所長の伊豆丸剛史さん(44)が、厚生労働省が新設する出所者支援専門官への採用が内定した。活動の場を長崎から全国に移し、孤独や貧困にあえぐ累犯障害者・高齢者たちに手を差し伸べる。
 同センターは2009年1月、厚労省のモデル事業として全国で初めて本県に設置された。受刑中の障害者や高齢者に対し、出所後の帰住先を探したり、福祉や医療、就労などの支援につないだりしている。本県での実践を基に、現在、各都道府県に計48カ所整備されている。
 伊豆丸さんは福岡県福津市出身。障害者施設でボランティア活動をしたのをきっかけに福祉の世界に入った。30代になり、書店でたまたま手に取った1冊の本が運命を変えた。行き場のない障害者が刑務所に大勢収容されている実態を告発した「累犯障害者」(山本譲司著)だった。
 「福祉の網の目からこぼれ落ち、刑務所で生きている障害者がいるのか」
 福祉に携わる者の一人としてショックだった。同じ頃、罪を犯した障害者を支援する試みが、長崎で動きだそうとしていることを知った。「地域生活定着支援センターか…。ここで自分の力を生かしたい」。非常勤職員として採用され、各地の刑務所を飛び回る日々が始まった。
 出所した障害者への偏見や誤解は根強かった。
 身寄りがなく、詐欺事件を繰り返し何度も刑務所に入った70代女性(当時)は「古里に帰りたい」と願ったが、役所からも福祉施設からも門前払いされ、教会で2人で寝泊まりしたことも。知的障害があり、盗みを重ねていた60代男性(同)は「社会に戻っても行き先はない。刑務所から出るのが怖かった」と声を震わせた。
 「罪を犯した障害者や高齢者を排除し、更生する機会を奪っているのは社会の側なのではないか。この人たちが更生し、生きていける道を切り開く」。伊豆丸さんはそう決意した。

 開設からこれまでのセンターの日々は、試行錯誤の連続だった。出所後だけでなく、逮捕されたり起訴されたりした段階から関与する「入り口支援」を開始。民間団体と連携し、罪を犯した薬物依存症者の回復支援にも取り組んだ。長崎で次々と行われる先駆的な活動が、全国のモデルになった。長崎のセンターが支援した障害者・高齢者は800人を超える。
 長崎を“発火点”にして全国に広がった動きは、16年12月の「再犯防止推進法」の施行という形で、結実した。再犯防止が国と地方自治体の「責務」となり、自治体に「再犯防止推進計画」をつくる努力義務を課した。罪を犯した人の更生支援は新たなステージへと移った。
 こうした情勢を踏まえ、厚労省は「矯正施設退所者地域支援対策専門官」の新設を計画し、今年の夏に公募。伊豆丸さんの採用が内定した。任期は10月1日から2年半。センターを退職し専門官に就く予定の伊豆丸さんは「これまでの活動で得た経験や知識を生かしたい」と語る。

 9月初旬。伊豆丸さんは東京行きを前に、諫早市内の介護施設を訪ねた。センターが開設して間もない頃に支援した80代の男性に会うためだった。
 男性は重度の知的障害がある。身寄りも住む家もなく、刑務所に入るために神社への放火を繰り返し、それまでに10回、通算50年も服役していた。伊豆丸さんが何度も刑務所に面会に行き、支援を勧めたが、男性は「福祉よりも自由がいい」と拒否した。
 出所日の朝、伊豆丸さんは刑務所の門の前で出迎えた。だが、男性は「先生、本当にもうよかです」と言って立ち去った。
 ところが数週間後の早朝、刑務所から電話があった。「(男性が)刑務所に来て『伊豆丸さんに連絡してくれ』と言っている」。男性は県外へ向かったが、所持金を使い果たして途方に暮れ、刑務所の門まで戻ってきていた。
 慌てて駆け付けると、男性は赤ん坊のように声を上げて泣いていた。「手を差し伸べ続けることの大切さを、男性から学んだ」と伊豆丸さんは振り返る。
 「長崎を離れます。元気でいてくださいね」。伊豆丸さんがそう告げると、男性は車いすに座ったまま何も言わず、あの日のようにポロポロと涙をこぼした。
 伊豆丸さんは思った。「かつての男性のように誰からも助けてもらえず、明日をも知れぬ毎日を送っている人が世の中にはまだいる。その人たちの力になりたい」と。

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