「過去一番疲れた」と中嶋一貴。超過密日程のル・マン“4日間”、トヨタ同門対決の舞台裏

 トヨタGAZOO Racingの7号車TS050ハイブリッド(マイク・コンウェイ/小林可夢偉/ホセ・マリア・ロペス)は悲願の初優勝を、8号車(セバスチャン・ブエミ/中嶋一貴/ブレンドン・ハートレー)は3連覇を懸けて臨んだ2020年のル・マン24時間レース。

 通常よりも短縮されたレースウイークの日程は事前から「走り出しが勝負」と目されていた。木曜朝に始まり、日曜午後に終わりを迎えた、トヨタ2台の波乱万丈な4日間に迫る。

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 午前2時41分。コクピットの中で瞑目する小林可夢偉の姿がライブ映像に映し出された。

 暗闇に包まれたサーキットから、煌々たるガレージの中へ。眩しかったのかもしれない。しかし、両肩のベルトを緩めた可夢偉はもう一度強く目を瞑るとうなだれ、力なく首を左右に振った。すぐにリヤカウルが外され、トップを走り続けてきた7号車は、それからガレージで約30分間を過ごすことになり、可夢偉の「夢」はまたしても雲散霧消した。

 レースを前に、今年のル・マン24 時間への思いは、例年以上に強く感じられた。

 トヨタのドライバーとして挑んだ過去4年間、勝つチャンスは何度もあった。だがポディウムの頂は遠く、一段上に立つライバル、あるいは僚友を三度見上げてきた。「今年こそ」と何度も気持ちを奮い立たせ、辛抱強くサルトの女神を振り向かせようとしたが、そのたびに残酷な仕打ちを受け、重いトロフィーを掲げる機会は巡ってこなかった。

 それだけに、トヨタTS050 HYBRID最後のル・マンとなる今年は、可夢偉にとって絶対に落とすことができない一戦だった。

「ル・マンに入ってからも食事はすべてケータリングで、すごくストレスがたまっています。感染したらイヤなんでジムとかもいっさい行かず、身体も動かしていない。それをしてコンマ1秒稼げるとは思わないし、出られないという最悪の状況を回避したくて」

 徹底的なリスクマネジメント。ル・マンを「落とす」要因となり得るものは、すべて排除してきた。無観客のル・マン、爽秋のル・マン。未知なる戦いに臨む可夢偉は、ひたすらストイックに自分自身を律し続けた。

「ル・マンへの移動で誕生日が潰れ、お祝いなんて何もしていなくて。勝ってから自分でお祝いしたいですね。いい誕生日になるかは自分次第。9月のル・マンを、意味のあるものにしたいなと思っています」

 コロナ禍により開催時期が9月に移っただけでなく、前々週のテストデーも省かれた。走り出しは木曜日という、異常ともいえる圧縮スケジュール。例年ならばテストデーでクルマの仕上がりを確認し、セッティングを見直す余裕もあった。そして水曜日からの走行セッションで、路面がクリーンになり、グリップが高まっていくなかでクルマを合わせ込み、夜の予選1回目を迎える。

 しかし今年は木曜日に2本のFPを行ない、夕方から予選。さらに24時まで4時間のFP3が行なわれた。金曜日は朝からFP4、そしてハイパーポールと続く強行スケジュール。それだけに、持ち込みのセットアップが例年以上に重要となるが、7号車の走り始めはあまり良くなかった。FP1、2とも8号車がトップタイムを記録し、FP2では1秒近い差がついた。

 だが、そのような状況でも可夢偉はポールポジションを狙う走りを続けた。

「パッと乗ったとき、常に全力でアタックし、しっかりミスなく走るという練習をしていました。今回は、TS050でアタックできる最後のチャンスだったので」と可夢偉。EoTにより重量は昨年よりも7㎏増やされ、シミュレーションでのタイムは3分16秒台と、自身が持つ17年のコースレコード3分14秒791に遠くおよばず、更新は難しい状況だった。

 それでも可夢偉は、過去の自分に勝つべく、予選上位の戦いであるハイパーポールに全力で挑んだ。1回目のアタックは3分15秒267。トラフィックを避けるため、ピットエンドで3分程度待ったことでタイヤの温度が下がってしまったが、レコード更新の光は見えた。

 そしてTS050での最後の予選となったアタック2回目、セクター2までで0・6秒以上速く、14秒台は確実かと思われた。しかし、テルトル・ルージュでトラックリミットを越えたことを無線で伝えられた可夢偉は、アタックを止め、ピットに戻った。

「正直、残念です。クルマにはパフォーマンスがあったし、可能性もあったので。それをタイムで残せなかったのは、ちょっと申し訳なかった……」

 可夢偉の失望は、予選3番手に終わった中嶋一貴に比べれば、まだ小さかったといえる。

 18年のポールシッター、一貴もまたTS050最後のアタックにかけていた。それだけに、ポールを逃しただけでなく、レベリオンにも先行を許した事実は、誇り高き二度のル・マンウイナーにとって受け入れ難いことだったに違いない。トヨタの村田久武チーム代表によれば、予選後一貴は「すごく悔しがり、マネージャーが慰めていた」ほどだったという。

 過去のル・マンにおいては、予選はそれほど重要ではないというスタンスを、一貴も可夢偉も表面的には示してきた。もちろん、心の中では「サルト最速」でありたいと思ってきたはずだが、今年ほどその気持ちを包み隠さなかったことは、なかったのではないか。それくらい、ふたりはTS050最後のル・マンに、特別な思いを込めて臨んでいたのだ。

 しかし、その時点で彼らの疲労はかなり色濃かった。

「正直、結構疲れましたね。昨日の朝から今日までに、もう1レース終えたくらいに。クルマを降りているときもエンジニアと話したりとか、自分のスイッチを切ることができないので。明日までに1回スイッチを切り、身体を休めてレースに臨めるようにしなければ」とハイパーポール後の一貴。

 可夢偉もまた「5時間しか寝ていません。走り終わって午前2時にミーティングが終了したのに、朝8時に集合なので。もう1.5㎏痩せましたよ。今年のスケジュールはかなりハードです」と、過密スケジュールを嘆いた。

 それでも、クルマの調子が上向いてきたこともあり「ちょっとずつ良くなっていって、いま8号車にプレッシャーを与えている状態です。何もなければ勝てる自信は正直あります」と表情は明るかった。

 そして最後に、ひとことつけ加えた。「でも、何かが起こるのがル・マン」と。

■8号車のブレーキトラブルの原因は朝の走行直後にあり?

 史上初、無観客のトラックでいつもより静かにスタートしたル・マン24時間は、7号車のペースで進んだ。8号車は序盤からブレーキに不具合を抱え、思うようにスピードが上がらないだけでなく、パンクにも見舞われた。

「朝のウォームアップのセッションを終えてピットインした際に、クーリングのタイミングが遅れてキャリパーの温度が上がりすぎ、キャリパーを交換してるんですよ。どうやらその時ドラムの中のクーリング部分が燃えてしまっていたようです」と一貴。

 その問題が表面化しないまま決勝に臨んだが、違和感を感じながらも前後の回生バランスを変えるなどして走り続けた。しかしペースはなかなか好転せず、SCが入った一貴のスティント中にブレーキパーツの交換を決行した。

「1ラップダウンだったので、正直そこから先は7号車のバックアップだと思いました。7号車に何かあったら、自分たちが最後までちゃんと走らないといけないと」と一貴。

 ノンハイブリッド勢に対する優遇措置がさらに進んだ今年のル・マンは、例年以上にタイム差が少なく、TS050に圧倒的な余裕はなかった。何か大きな問題が発生すれば、勝利を失う可能性も充分ある。そして実際、冒頭のトラブルが7号車に起こってしまった。エキゾースト系の不具合である。

7号車は深夜、ターボ関連のトラブルに見舞われ、ピットで約30分をロス。首位の座を失う

「あのとき僕は寝ていましたが、隣のリビングがうるさいなあと。『何かターボが……』という話し声が聞こえてきましたが、まだ起きる時間ではなかったので、そのまま寝ていました」

 それほど一喜一憂しない、一貴らしいシーンである。

「またかいな、と思いましたね。レースはまだ半分くらいだったので、ここから先長いなあと。去年も一昨年も後ろが7号車だったので、僕らが消えても彼らが勝てた。だからチームはあまりストレスを感じていなかったと思います。でも、今年はすぐ後ろがレベリオンだったので『絶対にクルマを最後まで運べ』と無線で何度も伝えられ、チームのストレスが伝わってきました」

 7号車は、フロアにダメージを負っていたこともあり、2位まで挽回するのも難しい状況だった。もし8号車が崩れたら、TS050最後のル・マンは敗北で終わる。「いつもより肩の荷が重く感じました」と、一貴は例年とは違う重圧を感じながら周回を重ね、そして3年連続優勝の偉業を達成した。

 昨年、7号車の可夢偉が寸前で勝利を逃したとき、勝った一貴の顔に心からの喜びはなく、憐憫の情が見てとれた。しかし、今年ウイニングランを終え、8号車のチームメイトに迎えられた一貴は、爽やかな笑顔だった。

「去年は、あまりにも7号車に酷な状況だったので。今年もあまり変わらないのかもしれないですけど、起きたタイミングが早かったし、レース半ば以降僕らはちゃんとやるべきレースを戦い勝つことができたので、そういう意味では素直に喜べる勝利でした。去年とはだいぶ違いましたね。涙は全然なかった、普通です」

総合3位の表彰台に立つトヨタ7号車のクルー

 日本帰国後、一貴は快くオンライン取材に応じてくれたが、喜びと同じくらいの疲労がにじみ出ていた。

「レース後の疲れかたは、過去一番ですね。帰国後、昼も夜も寝続けています。だいぶ疲れています。それがスケジュールのせいか、年齢のせいなのかは分かりませんが、前者であって欲しいな」と、一貴は静かに笑った。

「正直、まだ頭の中はからっぽで、タイトルのことは何も考えられないし、状況も把握できていません」

 過密スケジュールのなか、一貴は全力でTS050最後のル・マン24時間を戦い、三連覇という偉業を達成した。そして可夢偉もまた、結果こそ報われなかったがドライバーとしての仕事を全うし、手負いのTS050をポディウムに引き上げた。

 過酷で濃密な4日間を戦い抜いた彼らは完全に燃え尽き、秋風吹くル・マンを後にした。

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