網屋 代表取締役会長CEO 伊藤整一

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【日本橋浜町発】かつて株式上場を目指したものの、いったんそれをペンディングした経緯は前号でうかがった。会社の「体力」が充実してき来た今、再度その準備を始めつつあるそうだが、伊藤さんは上場しても、自分の世代では、会社はやみくもに大きくしたくないと語る。「オリジナルプロダクトのメーカーとして自分たちが世に必要だと思うものを追求するためには、せいぜい社員は500人まで」だと。幾多の修羅場を経験した経営者ならではの結論であり、従業員をはじめとするステークホルダーを大切にする気持ちがそこに込められているように感じる。

(本紙主幹・奥田喜久男)

2020.7.22/東京都中央区の網屋本社にて

アジアにおける日本企業の存在感を

復活させたい

奥田

今年4月、伊藤さんは代表権のある会長に就任されましたが、今後はどのような活動に力を入れていかれるのですか。

伊藤

はい、この3月の株主総会後の取締役会にて、網屋は2代表制に移行しました。私が代表取締役会長兼CEOに、代表取締役社長に石田晃太がそれぞれ新任しました。役割分担ですが、私が最高経営責任者として経営全般と外部との渉外を担当し、石田が事業全般を担当します。石田は、網屋の「ALog関連事業」を立ち上げ、その後、請負構築が主だったネットワークサービス事業をクラウドから管理する「ネットワーク・オールクラウド」というアウトソーシングサービスとして牽引して来た優秀な功労者です。

外部との渉外を担当するということで、最近は、いくつかの団体・協会などの役員を拝命しておりますが、その中でも近年、特に活動の比率が高いのが、情報サービス産業協会(JISA)における国際系の社会活動です。

約20年前から当社はJISAの会員になっています。JISAといえば日本を代表する大手SI企業がたくさん加盟しているので、当初は営業目的で下請けの仕事がとれるのではないかと下心満載でした。年に2回開催される賀詞交歓会と総会後のパーティーで名刺交換したくらいでは、そうそう人間関係もつくれるはずもなく、下請仕事の受注はそう簡単にはいきませんでした(笑)。

奥田

それほど甘くなかったわけですね。

伊藤

はい。まだ若かったですね(笑)。

ところが当社がメーカーへと業態を変え、10年ほど前にALogConVerterという自社開発のパッケージソフトを海外に販売しようと考えていたときに、当時のJISAの国際委員長から、「台湾でASOCIO(アソシオ)というアジア24か国のICT団体が集まるサミットがあるから参加しないか?」と誘われ、それに参加したことが転機となって、JISAとの関わり方が変わることになります。

その年、台湾で開催されたASOCIOサミットへの参加者は600人を超えており、自身が参加して驚いたのですが、参加している24か国の協会は各国の政府機関と密接な関係を持ち、参加者は、それぞれの国において、それなりのポジションを有する立場の方々であるということでした。開催期間の3日間ほどで、集まった名刺の数とタイトルは驚くものでした。

それまで、コンサルタントに依頼しても困難であった各国の信頼ができる筋のコネクション情報が、3日間で手に入ったのです。これはすごいと感じました。現地に子会社や出先機関を有する大手ベンダーではたやすいことでも、従業員100名足らずで資金力も乏しい中小・零細メーカーにとって、海外市場に打って出るのは大変難しく大きな負担だと感じていたにもかかわらず、……信頼関係がベースにあるということは偉大ですね。JISAがこれまでに育んで来た国際連携関係の可能性を強く感じました。日本の中小IT企業が海外進出するにあたっては、JISAの国際連携力を通じてアクセスすることが、非常にスムーズに事が運ぶルートになると思います。

奥田

具体的にはどのような形になりますか。

伊藤

たとえばタイに進出したい場合、タイの協会に「20社集めてください」とお願いすると、実際に信頼できる会員企業20社を集めてくれます。すると、そこで販売店になってもらったり、製品を紹介してもらったりすることができる。また、現地でのセミナーを企画すると、現地国の政府の方をスピーカーとして招聘できる。こうしたメリットをJISA会員の中小企業で分かち合いたいと思いました。

奥田

なるほど。相手国のキーパーソンや有力企業にたどり着きやすいと。

伊藤

はい、経験値から(笑)。その後、JISAの主要メンバーの方々と一緒にアジアを行脚して勉強したのですが、海外に出てみると日本のことがよく見えることに気づきます。かつてアジアにおける日本は尊敬される立場にありましたが、ことICTにおいては、今はそのプレゼンスが失われているように感じています。韓国や中国の影響力に負けてしまっている部分も多々あると感じることもあり、それを何とかしようというのが、JISAの国際活動における一つの転機でした。

奥田

今、伊藤さんが取り組んでおられる国際活動で、自慢できることは何ですか。

伊藤

まだまだ、網屋の国際事業の実績は数パーセントにも満たないので、事業視点で見ると自慢できるものではありません。もともと、アジアの市場でセキュリティ事業は早すぎたと思っていたのですが、近年、各国が個人情報保護の関連法を施行し始めたこと、またGDPRなどヨーロッパの個人情報保護法の罰則(高額な罰金)の厳しさへの対応などで意識が急激に変化しているように感じており、弊社製品への問い合わせも日々増えてきています。しいてお話しできることは、JISAの国際連携活動で培った知識や人脈は、現在では、JISAの枠を超えて、多様なプロジェクトで必要とされる機会が増えているということです。

高専生の優秀さに驚き

交流の輪を広げる

奥田

国際系の活動のほかに取り組まれていることはありますか。

伊藤

はい。もう一つは教育系の活動です。まず、これもJISAの国際連携部会活動の一環ですが、今度、奥田さんにぜひご覧いただきたいのが、ASEANの「APICTA」(アピクタ:アジアパシフィックICTアライアンス)という組織のアワードイベントです。

これは、各国から予選を勝ち抜いたチームが、事業モデルやプロダクト、技術、ソリューションなどを、それぞれジャッジと呼ばれる5人の審判にプレゼンテーションをして審査を受けアワードを獲得すべくしのぎを削るというものです。多くの詳細なカテゴリーがあるのですが、その中に学生のカテゴリーもあり、そこではみんな、母国語が英語でなくても、堂々と英語でプレゼンテーションをするんです。彼ら彼女らの優秀さを見て、将来、日本は負けてしまうだろうと思いました。だからこそ、この場に日本の学生たちを挑戦させたいと思っています。

奥田

それは、私が理事長を務めるNPOのITジュニア育成交流協会の考え方ととても共通するところがありますね。

伊藤

はい、ITジュニア育成交流協会で運営されているBCNITジュニア賞との連携を図れれば、日本の子どもたちに新しい挑戦の場所としての認知を得るだけではなく、日本でアワードをとった優秀な学生たちが、アジアの国々の優秀な学生たちと交流が可能となり、将来日本を背負う若者たちを育てることになるのではないでしょうか。

また、教育系の活動といえば、網屋は「学校連携」という社内のみで認識される活動を行っています。京大との共同研究をきっかけに、東大、東工大、上智大、北大などとのご縁ができたと申しましたが、この「学校連携」活動の中で東工大から紹介を受けたのが富山高専と東京高専でした。この春、富山高専の中に「網屋未来ラボ」という部屋ができましたが、そうした共同研究や勉強会をする活動を通して高専の学生さんたちの支援になればよいと願っています。また、各高専には、企業がサポートする後援会のような組織がそれぞれにあるのですが、そこに加盟する企業には、情報通信サービス系やIoT系、セキュリティ系など、政府が推進しているDX関連企業がまだまだ少ないと感じています。今後は当該業界の企業とのエンゲージメントを進めたいと思っています。

奥田

最先端のジャンルの知識を還元したのですね。

伊藤

いえ、私の勝手な妄想であり、まだ具体的な活動には至っていません。

お恥ずかしい話ですが、私はこれまであまり高等専門学校のことを知りませんでした。高専との関係ができていく中で、あるとき、東京高専の学生さんたちのプレゼンテーションを聞く機会があったのですが、そのレベルの高さに驚き、本人に年齢を聞いたら17歳といわれてまた驚きました。これはすごい。こうした将来の人材という芽を日本は大事にしなければいけないと思いますね。

奥田

私も毎年、ITジュニア賞を高専プロコン(プログラミングコンテスト)の優勝チームなどに贈呈していますが、みんなとても優秀ですね。

伊藤

まさにおっしゃる通りですよね。実は私も、昨年11月に宮崎県の都城市で開催された全国高専プログラミングコンテストを見に行きました。JISAの方々や、ハイテクノロジー・ソフトウェア開発協同組合(HISCO)の方々と一緒に見学したのですが、ご縁のある東京高専が三部門とも優勝という結果になり、みんなとても喜んでいました。

たまたま、高専についてはJISAの「会員連携コミュニティ」の中で、「付き合い方がわからない」という声があがり、東京高専校長の新保幸一先生に「高専と付き合う方法」といった講演をしていただいたことがあるのです。企業側としても高専についてより知りたいと考えていますし、高専の学生さんたちにとっても、卒業後に就職して働くことになる情報サービス産業業界の企業は、どのような環境で、どのような仕事や業務があるのかを知りたいところだと思います。そうした架け橋になれればいいですね。

奥田

今回は、とても共感するところが多いお話でした。これからも、ますますのご活躍を期待しております。

こぼれ話

会議机を挟んで伊藤整一さんが道路を背にした窓側、インタビューする私は入口のドア側に座った。座る位置は写真撮影の都合で決まる。上座下座にはこだわらないので対等の目線になる。この数分の作業はその後の展開を決める重要な時間だ。伊藤さんとは年齢も歩いてきた業界も、ざっくり似ているので親近感を感じる。でもその感覚はそれだけではない気がしていた。写真撮影は話を進めながら進む。『千人回峰』では写真が伝えるメッセージが大きな意味を持っている。人の表情は話題で変化するからだ。もっと正確に言うと、喋る言葉と考えている心の重なり具合が表情となって現れてくるーーと、私はそう考えている。

伊藤さんの話は、映像文化の初期の頃にあった無声映画で見ても、内容が伝わってくるのではないかと思ったほどだ。インタビュアーの私は、しゃべり言葉とその時の表情と、その奥に潜む心に刻まれた五感としての記憶、さらにその奥に自分でも気づかない感情の起伏が心の襞に住み着いているのだと感じた。聞き手としての私は、伊藤さんの話題にのめり込んでいく。そのなかで、ある話題に心の襞が反応した。それは、高校生の頃、お父さんの会社が倒産したという出来事についてである。債権者が資産価値のある機械を勝手に持ち去らないように、工場に寝泊りをして見張ったというのだ。

高校生ともなれば世の中の事情はわかっている。怖かったのではないかと、感情移入した途端に、自身の4歳の頃の記憶が鮮明に浮かび上がってきた。私の父親は蓄音器の製造会社を経営していた。ある日、神社の境内で遊んで帰ると、家の中に見知らぬ数人の大人がいた。何か喋りながら赤い細長い紙をあちこちに貼っている。母親の着物が入ったタンスにはすでに貼ってあった。非日常の光景に漂う非日常の雰囲気は心の襞に色濃く残っている。近くにいた叔父に、これは何かと聞いた。叔父はもごもごと困った顔をしながら、私をマツダのオート三輪トラックの運転席に跨らせて、わいわいと楽しそうに話をしながら近所を走ってくれた。これは気遣いだともわかって嬉しかった。見上げた顔の叔父の表情も、異様な事情もその年齢なりに感じている。“倒産”という言葉はずっと後になって知った。その後の生活状態を、“貧乏”ということも後に知った。限られた原風景を伊藤さんは見事に射抜いた。似たもの同士だと思った。

インタビュアーとして、つとめて客観的に、冷静に、を心がけてきた『千人回峰』であるが、今回は珍しく心がざわざわと動いた気がした。

心に響く人生の匠たち

「千人回峰」というタイトルは、比叡山の峰々を千日かけて駆け巡り、悟りを開く天台宗の荒行「千日回峰」から拝借したものです。千人の方々とお会いして、その哲学・行動の深淵に触れたいと願い、この連載を続けています。

「人ありて我あり」は、私の座右の銘です。人は夢と希望がある限り、前に進むことができると考えています。中学生の頃から私を捕らえて放さないテーマ「人とはなんぞや」を掲げながら「千人回峰」に臨み、千通りの「人とはなんぞや」がみえたとき、「人ありて我あり」の「人」が私のなかでさらに昇華されるのではないか、と考えています。

奥田喜久男(週刊BCN 創刊編集長)

<1000分の第267回(下)>