「身近だけど怖さがある」 市街地へ幾度も被害 眉山の治山事業

1993年当時の市営萩が丘住宅に土石流が流れ込んだ直後の様子=島原市萩が丘1丁目(市提供)

 「地震に驚き、家から飛び出したらゴロゴロと石が転がる音が聞こえ怖かった。石と石がこすれたような独特の臭いもした」。
 眉山ふもとに位置する長崎県島原市新湊2丁目の測量士、園田裕和さん(54)は2016年の熊本地震発生時をこう振り返る。「雨の後や地震があると、山の方を見て確認する市民は多い。身近だけど怖さがある山」と話す。
 熊本地震では、山肌を覆った表土の剥離などがあったものの規模は小さく、既存の治山施設で受け止められる量だったという。その一方、地質がもろく絶えず崩壊が続く眉山は、晴天時でも落石が発生。降雨時には、ほとんどの渓で土砂の移動や土石流が起こり、幾度も市街地に被害をもたらしてきた。
 新しいところでは1957年の諫早大水害時、豪雨によって約80万立方メートルの土砂が流れ、161ヘクタールの田畑が埋没。家屋38戸が流出し13人の犠牲者を出した。88年にも土石流が発生、土砂の一部が市街地まで達した。
 93年には、6渓から発生した土石流が同市萩が丘1丁目の鶏舎を押し流したほか、近隣住宅へも流れ込むなどの被害が出た。土砂や土石は市中心部にも到達。家屋約20戸が全壊したほか、半壊や損壊、農業関係として鶏1万4千匹などの被害も出た。


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