菅首相は庶民かどうか?歴代首相と比べて格付けしてみました。(歴史家・評論家 八幡和郎)

菅義偉・新首相の人気のひとつは、「地方出身」で「たたき上げ」だということだ。このところ、世襲議員ばかり続いていたので誠に素晴らしいことであるし、国民が歓迎するのも当然だろう。

しかし、自称リベラル界隈の人は、ケチを付けている。「集団就職という言葉は中卒にしか使わない」「父親は高給である満鉄の社員でお手伝いさんまで使っていた」「農業で成功して町会議員だ」「少年漫画雑誌を購読していた」「当時の秋田では高校行く人は少なく真ん中より上だ」などと言いたい放題だ。

秋田出身の「たたき上げ」で人気の菅首相 (首相官邸Facebookより)

しかし、ここでは、歴代総理と比べての話をすればいいのであって、日本人全体の平均のなかで若干、恵まれた部類であるかではないと思う。

結論からいえば、菅首相の経歴は、日本の歴代首相のなかで、田中角栄を例外とすれば、もっとも庶民的なものであると思うし、それは大いに評価していいのでないか。

まず、ここでは、歴代首相の出自を5段階に分けてみよう。

若き日の西園寺公望(Wikipediaより)

まず、いちばん上の「5」は、皇族やトップクラスの公家・大名である西園寺公望(上級公家で東山天皇の男系男子)、近衛文麿(五摂家で公爵、後陽成天皇の男系男子、将軍家斉の子孫)、東久邇宮稔彦(皇族)、細川護熙(熊本藩主で侯爵、近衛文麿の孫)は別格。

それに元首相の子や孫で政治的遺産を引き継いでいる、安倍晋三、麻生太郎、福田康夫、鳩山由紀夫はまさに銀の匙を加えて生まれてきた人たちだ。

佐賀藩出身の大隈重信(Wikipediaより)

「4」は戦前については上級武士の家柄、国会議員やそれに準じる出自の人を上げる。明治の元勲は下級武士が多いが、時代が落ち着いてくると品が良くて学歴がある上級武士が重宝される。

大隈重信は佐賀藩で300石取りだからヨーロッパだったら貴族だ。桂太郎は大河ドラマにも出てくる戦国武将の後裔で吉田松陰の後援者の甥。岸信介、佐藤栄作も吉田松陰の師で島根県県知事をした曾祖父がいる。東条英機の父は陸軍中将。そして、鳩山一郎、宮沢喜一、羽田孜、橋本龍太郎、小渕恵三、小泉純一郎は国会議員の子。森喜朗の父は町長だが石川県政界の大実力者。

地方素封家(そほうか) 犬養毅(Wikipediaより)

「3」は中級以上の武士だとか素封家を上げよう。まずまずの中級武士とみられるのは、広島藩の加藤友三郎、福井藩の岡田啓介、加賀藩の林銑十郎と阿部信行、盛岡藩の米内光政、新庄藩の小磯国昭、関宿藩の鈴木貫太郎、尾張藩の海部俊樹だ。加藤高明は尾張藩の雇われ地方役人だが金持ち、浜口雄幸はいわゆる土佐の郷士だ。

地方素封家では、犬養毅、幣原喜重郎、片山哲、三木武夫、福田赳夫(養蚕農家)、鈴木善幸(網元)、中曽根康弘(材木商)。そして、池田勇人、竹下登、宇野宗佑は造酒家。佐藤・岸家も明治以降は造酒家だ。菅直人はセントラル硝子常務。石橋湛山は高僧。

自衛官の子 野田佳彦(野田氏のFacebookより)

「2」は下級武士ないし足軽など、地方の中規模の地主など。黒田清隆、松方正義、山本権兵衛、松方正義、山本権兵衛は薩摩。伊藤博文、山縣有朋、田中義一、寺内正毅は長州だ。若槻礼次郎は松江藩足軽。齋藤実は仙台藩家老である水沢領主の家来。高橋是清は幕府絵師の子で仙台藩足軽の養子。清浦奎吾は僧。大平正芳は素封家と言うほどでない農家。野田佳彦は自衛官の子だが早稲田大学にさほど苦労せずに進学している。

このうち、薩摩や長州の関係者の何人かは、生まれた環境からいえば「1」でもいいのだが、薩摩や長州に生まれた幸運もあるから「2」にしておく。伊藤博文など、父親は農民だが、中間という足軽より下の士族の養子になり、その中間が足軽になったので、伊藤は足軽からスタートでき、さらに、松下村塾に入ったのであとはとんとん拍子である。

「平民宰相」田中角栄(Wikipediaより)

そして「1」は田中角栄、それほど酷くはないが、平凡な漁師の村山富市、石工の親方の広田弘毅、そして菅義偉ではないか。いずれも上級学校に行くのは簡単でない環境だと思う。

さて、我らの菅首相だが、これまで週刊誌などの報道を総合すると、父親は満鉄に勤めていたというから優秀な人だったのだろうが、戦争で這々の体で帰って来たようだ。農地改革があったので、もともとの地主かどうかは分からない。イチゴ栽培をして成功し、息子には跡を継いで欲しかったようだ。そこで、ある報道では死んだ両親に聞いた話として、難関旧帝大を受かったら行っていいが、そうでないなら秋田に残って農業をやれといったのだという。

といっても秋田の農村地帯で難関大学に合格するのは、東京の子の比ではない難しさだから、東京で東大以外はダメといわれてるようなものだ。どういう受験歴だったのかは不明だが、2年遅れで法大にいってる。また、その間、高校の世話で板橋の段ボール工場に勤めたこともあったらしい。結局のところ、父親の反対を押し切って東京の私立で比較的に学費が安かった法政大学に入学したということだろう。

菅首相は私より3歳上だが、地元とか近隣の国立なら大学に行ってよいが、それでないなら、跡つげとか結婚しろとか親が言うのは、地方の普通の家庭で珍しくなかった時代である。工場が東北の農村に進出してそこで働きながら兼業農家やるということが可能になったのはそれより10年ほどあとのことだ。

そんなときに、向学心が強い少年が、苦労しながら働いたり、いろんな人の援助受けたりしながらなんとか大学を卒業できたというのはよくある話だ。それを都会の人が農村ではもっと気の毒な人も多いから庶民とはいえないなどと厳しさを揶揄するのはちょっとどうかと思う。

© 選挙ドットコム株式会社