エディ・ヴァン・ヘイレンが癌のため65歳で死去。その功績を辿る

Photo: Richard E. Aaron/Redferns

ロック界のレジェンド、ヴァン・ヘイレン(Van Halen)のオリジナル・メンバーで、ギターの名手だったエディ・ヴァン・ヘイレン(Eddie Van Halen)が、2020年10月6日、癌との長い闘病生活の末に逝去した。65歳だった。

彼の息子であるウルフギャング・ヴァン・ヘイレンは次のような声明を発表している。

「これをお伝えしなければならないことが信じられませんが、私の父、エドワード・ロードウィック・ヴァン・ヘイレン(Edward Lodewijk Van Halen)が今朝、長きにわたる癌との苦しい闘病の末に亡くなりました。彼は最高の父親でした。ステージの上でも下でも彼と共に過ごしたすべての瞬間が贈り物です。今は悲しみに打ちのめされていて、この喪失感から完全に立ち直ることはできないと思います」

エディとヴァン・ヘイレンのメンバーは、1978年に“ハードロックのルールを塗り替えた”と称された煽動的なセルフタイトルのアルバムに始まり、ヴォーカルのサミー・ヘイガーが脱退する90年代半ばまで、20年以上にわたり全米アルバム・チャートを席巻してきた。

彼の革新的なギター演奏は、70年代後半からヘアメタル時代、さらにそれ以降のハードロックの軌道を切り開いてきた。同業者や評論家から、音楽史に残る偉大なプレイヤーの一人と称されるエディ・ヴァン・ヘイレンは、“タッピング奏法(ライトハンド奏法)”そのものを発明したわけではないものの、彼の超高速ギターとその奏法は世界中の音楽界に衝撃を与えた。

ロック界で最も有名な兄弟の一組として知られているエディ・ヴァン・ヘイレンと兄のアレックス・ヴァン・ヘイレンは、オランダのアムステルダムで生まれ、1960年代に家族でカリフォルニア州パサデナへと移住した。エディは、クラシック音楽家だった父ヤン・ヴァン・ヘイレンの影響もあり、楽譜の読み方を正式に学ぶことはなかったが、幼い頃からピアノとギターのレッスンを受けている。

エディは自身のミュージシャンとしての形成期に影響を受けた存在として、クリームとエリック・クラプトンを挙げており、音楽誌“Clash”のインタビューの中でエリック・クラプトンについて次のように語っていた。

「僕は彼の演奏の仕方が好きだった。本当にスムーズで、たくさんの感情が込められているんです。僕たちのアルバムや僕の演奏についてのレビューを読む度に、リッチー・ブラックモアやジェフ・ベック、ジミー・ペイジからの影響について書かれているんですが、僕がクラプトンを真似しようとしたみたいに、その他のギタリストの弾き方を真剣に真似しようって思ったことは一度もない。多くの人は、僕がベックやブラックモアに似ていると思っているみたいだけど、それは僕がバーを使っていて、彼らもそうしているから同じような音になるだけですよ」

デイヴ・クラーク・ファイヴのファンだったエディは当初ドラムを、兄のアレックスはギターを担当していたが、ザ・ベンチャーズで有名な「Wipeout」をドラムで思うように演奏できないことに苛立ちを感じたエディがギターに、アレックスがドラムに入れ替わり、ラインナップが固まった。

ヴァン・ヘイレン兄弟は、1964年頃に最初のバンドを結成し、1972年のヴァン・ヘイレン結成に至るまでにバンド名やメンバー交替を何度も繰り返していたが、1974年頃になってようやく、ギターのエディ、ドラムのアレックス、フロントマンのデイヴィッド・リー・ロス、ベース兼バック・ヴォーカルのマイケル・アンソニーという初期メンバーが定着。

LAのクラブ・シーンで名を馳せ、KISSのジーン・シモンズがプロデューサーを務めたデモ・テープを発表したあとにワーナー・ブラザースとメジャー契約。1977年、音楽史上最も印象的なデビュー・アルバムと称されるセルフタイトル・アルバム『Van Halen』をリリースした。「Eruption」「Running With the Devil」、キンクスの「You Really Got Me」のカヴァーなどで、エディは凄腕ギタリストとしての本領を発揮し、その評判を高めていった。

そのあともヴァン・ヘイレンは1984年の全米No.1シングル「Jump」をはじめ、「Hot For Teacher」やファンに愛された「Panama」など、数え切れないほどのヒット曲を世に送り出した。

ヴァン・ヘイレンでの仕事以外でも、エディ・ヴァン・ヘイレンの特徴的なギターは、1982年『Thriller』に収録されたマイケル・ジャクソンの大ヒット曲で、グラミー賞“最優秀レコード賞”に輝いた「Beat It」にも登場している。エディは2012年に行われたCNNのインタビュー中で、その象徴的なギターソロが生まれた経緯について次のように振り返っている。

「クインシー(・ジョーンズ)に“どんなのがいい?”って訊いたら、“何でもいいよ”って彼は答えたんです。だから僕は、“自分の発言に気をつけた方がいい。僕のことを知ってるなら、‘やりたいことを何でもやれ’って言うのは危険だ”って言ったんです」

1985年に、リード・シンガーだったデイヴィッド・リー・ロスが、ソロへ転向するためにヴァン・ヘイレンを脱退した後もバンドは活動を続け、80年代の残りの期間と90年代の大半はサミー・ヘイガーがリード・ヴォーカルを担当し、1998年にリリースしたアルバム『Van Halen III』では、エクストリーム(Extreme)のゲイリー・シェローンがフロントマンを務めている。エディ・ヴァン・ヘイレンは1995年のTotal Guitar誌のインタビューでこう語っていた。

「毎回、まるで初めてやる時みたいな感じがして、自分がまだまだ未熟だって気付くんです。11枚ものレコードを出して、凄いことやってきたんだから、自分のやっていることが分かっているはずだって思われるかもしれない。でも、まだ全くわかっていない。いつものように緊張して、不安になる。もっと上手くなったり、自信を持てるようになると思っていたのに、たとえ上達したと思えても自信は持てないんだ、面白いもんですよ」

ヴァン・ヘイレンの生粋のファンは、デイヴィッド・リー・ロス時代を好むかもしれないが、バンドがサミー・ヘイガーと共に収めた成功は否定し難く、彼らは「Dreams」「Why Can’t This Be Love」「Poundcake」といったヒット曲で世界中のスタジアムを完売させた。

ヴァン・ヘイレンが正式に解散することはなかったが、エディの健康問題により、何度も活動休止を余儀なくされていた。2002年に彼は癌を克服したとも言われていたが、その後何年にもわたって再発を繰り返していた。

ヴァン・ヘイレンは2007年にロックンロールの殿堂入りを果たしたが、以降もバンドは活動の再開と休止、波乱に満ちた再結成を繰り返していた。2012年には70年代のオリジナル・デモ音源など収録した新たなアルバム『A Different Kind of Truth』をリリース。彼らはこのアルバムを携えてツアーを敢行し、その3年後には再びスタジアムを巡るツアーを行っていた。

ヴァン・ヘイレンは2015年10月4日に、ハリウッド・ボウルで最後のライヴを行い、デイヴィッド・リー・ロスとエディがステージ上で抱き合うシーンもあった。そのステージでエディは、「人生最良の時だよ。君とステージに立ってる瞬間が、いつだって僕の人生のハイライトなんだ、ホームボーイ」と語っていたとローリング・ストーン誌が報じている。

エディ・ヴァン・ヘイレンは、2009年に結婚した2番目の妻で、バンドの元広報担当だったジェイニー・リシェフスキーと息子のウルフギャング・ヴァン・ヘイレンを後に残した。

Written By uDiscover Team

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