プログラミング教育だからこそできる! 子どもに活動を「委ねる」こと

「プログラミングは現代の砂場遊び!」と訴えるのは、どこよりも早く小学校でのプログラミング授業を積極的に推進してきた前小金井市立前原小学校校長の松田孝先生。その真意はどこにあるのでしょうか。前原小学校での活動を通して見ていきます。

プログラミングは現代の砂場遊び

前回、「プログラミングは現代の砂場遊び!」だと訴えました。前原小でプログラミングの授業実践を重ねていけばいくほど、その活動が砂場遊びに興じる子どもたちの姿と重なって見えてきたのです。

子どもたちは砂場遊びが大好きです。砂場をさまざまな世界に見立て、そこに自分の思いを表現しようとします。思いや願いのある活動は、子どもたちを夢中にします。前原小のプログラミングも子どもたちの「おもしろそう!」「やってみたい!」という気持ちを沸き立たせることから、活動に入っていきました。

“砂場遊び”への誘い

低学年では、Lチカの素敵な点滅やカムロボを縦横無尽に走らせるプログラムを教えることで、導入を図りました。

中学年では、距離(赤外線)センサーの制御プログラムで子どもたちを驚かせました。センサー制御プログラムによって障害物である手を検知したロボットが止まったり、右に回ったりする様子を見て、子どもたちは「ハンドパワーだ!」と言って興奮していたことを今でも鮮明に覚えています。

高学年のプログラミングは、ドローンを飛ばしてみせるだけで多くの子どもたちは興味を抱きましたし、サイバー空間の導入では、GOTOというコマンドを追加するプログラムで子どもたちの「やってみたい!」という気持ちを沸き立たせてきました。

各学年で行うプログラミング授業の一番初めの時間は、その単元で学ぶ知識と技能を使った指導者によるパフォーマンスで、子どもたちの興味と関心をひこうと工夫しました。そして多くの子どもたちは、そのパフォーマンスを自分でも再現したくなって、説明(Briefing)に聞き入ります。

このとき、そのパフォーマンスを再現する知識と技能を順番を追ってていねいに解説し、子どもたちに理解させることはしません。基本的な操作方法とプログラム作成の考え方を伝えるだけです。そして、

「やってごらん!」

説明(Briefing)の時間をできるだけ短くして、子どもたちが試行錯誤(Tinkering)する時間を可能な限り保障します。ですから、プログラミングの授業は2単位時間連続の90分(45分×2)で実施できるよう、時間割も調整しました。そして教室もそのときの活動が十分に保障されるように、机をくっつけてグループ活動を促したり、砂場のようなスペースをつくったりもしました。

『どうしたの。何か困ってる?』周りが助けてあげることの大切さ

全員ではありません。先のようなパフォーマンスに、興味を示さない子どもがいるのも事実です。

でもその子の内実を探っていけば、パフォーマンスにある楽しさとかおもしろさを拒否はしていないのです。その日の体調が不良だったり、そこに向かう自信がなかったり、これまでの生活や学習体験によってその子自身が育んできた自己効力感(Self-efficacy)の度合いによって、反応が低調だったりするのです。

ですから、一人一人に即してその状況を理解し、活動との関わり方を一緒に考えていきます。このとき指導者は、その年齢によらずメンターとしての役割を期待されているのです。

「やってごらん!」と活動を促せば、一人で取り組む子どももいれば、友だちと相談しながら進める子どもも出てきます。このとき、何をどうやってよいかわからずに、固まってしまう子もいます。そんな子どもがいることを前提に、活動に入る前には必ず、援助要請と能動的援助の大切さを話します。

「わからなくて、困ったときは、『これどうやるの?』って教えてもらって!」

「そう声をかけられたとき、『お前、そんなこともわかんないの?』なんて、傷つくようなことを言う人はこの学級にはいないよね」

「『こうやるんだよ』と教えてあげれば、『ありがとう!』ってお礼が返ってきて、お互に温かな気持ちになれるよ」

また誰か困ってそうな人がいたら、

「『どうしたの。何か困ってる?』って声をかけて」

「こういう声かけを『能動的援助』って言って、『教えて!』と言う援助要請と合わせてとっても大切な力なんだ。そしてこの二つが自然とできる学級はとっても雰囲気がよくなって、一緒に学ぶことが楽しくなるよ」

低学年からこのような関わりを積み上げていくことで、子どもたちの関係性はより豊かなものになっていきます。そして砂場遊びとしてのプログラミング活動を見守っていれば、このような場面が自然と創り出されていることに気づきます。その場面をすかさず取り上げ、価値付けることこそ、指導者の大事な役割なのです。

プログラミング授業は結果ではなく過程が大事

子どもたちは、指導者から援助要請や能動的援助の話を聞けば、それを行動で示すようになります。しかし他教科の学習活動では、なかなかそうはならない現実があります。

この違いの原因は、教科学習のねらいが知識と技能の習得にウエイトがおかれ、目標として設定された基準に照らして、その習得状況を評価されることにあるからです。達成すべき目標が設定されていれば、当然それを効果効率的にクリアできることがよいことであって、目標と自分の現状との乖離をさらけ出すような行為(わからないから教えてと言う援助要請)は恥ずかしいことなのです。

しかし前原小が目指してきたプログラミング授業は違います。最初に示したパフォーマンスの再現によって効果効率的に知識と技能を習得させるのではなく、再現に至る子どもたちのさまざまな取り組みやうまくいかないときに諦めずに取り組もうとする意思、さらにはその子なりのオリジナリティあふれる表現をお互に尊重し合うこと、に「学び」の価値を求めて授業実践してきました。

砂場遊びとしてのプログラミングの授業は、試行錯誤(Tinkering)の活動によって「粘り強く学びに向かうことの大切さ」や「多様性の尊重」を、効果効率的な知識と技能の習得よりも重視します。だから恥ずかしがることなく子どもたちはお互いに援助要請、能動的援助できるのです。

「美林をつくる」教育から「雑木林をしなやかに生きる」教育へ

杉の美林(Society3.0)から……
雑木林(Society5.0)へ

このように考えてくれば、プログラミングで学ぶ子どもの事実は、まさにSociety5.0の教育のあり方を描き出していると考えられます。

従来の教育活動は、子どもたちを「杉の美林」として育てることに注力してきました。指導者は目標として設定した基準に照らして知識と技能を効果効率的に教え、子どもたちにはそれを唯一解として再現できることを求めたのです。

結果、目標を達成すれば子どもたちは「美林」として認められ、工業社会に適合できる人材として世の中に送り出されていったのです。まさに昭和・平成が築き上げた、Society3.0の社会に適合するための教育です。

しかしコンピューターがつくるサイバー空間と現実のフィジカルな空間が渾然一体となった社会、変化のスピードがものすごく速く、複雑な相互依存関係にある社会において、唯一解などが存在するはずはありません。教わったことを一言一句再現できる力は新しい社会を生きていくときの力とはならないのです。

現状にある課題を自らが発見し、その解決に向かって粘り強く取り組む力、デザイン思考でもって協働的に最適解を求め続けることのできる人材が、今求められているのです。

Society5.0の教育は、林の美林を育てることではありません。雑木林の中にあって自身の個性によってしなやかに生きる力を育むことにその本質があります。雑木林はけして荒れた林ではありません。里山の住人が下草を刈ったり、枝打ちをして陽の光が差し込む明るい林です。雑木林の一本一本の樹木を温かく見守り、その成長を促すことこそSociety5.0の教育なのです。

本当の学びは、子どもたちに活動を「委ねる」ことからはじまる

子どもたちが、「おもしろそう!」「やってみたい!」となれば、グダグダした説明(Briefing)は要りません。「やってごらん」と活動を促すだけです。

砂場遊びを教える大人はいません。大人は子どもの安全を見守り、活動を委ねます。そしてさまざまな気づきに共感的理解を示すことで、彼らを笑顔にさせ、さらなる意欲を醸成できるのです。

ここに学び本来の姿、そして指導者の役割があります。

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