戦犯が獄中立候補?そんなことできるの?!騒動の結末は果たして‥?(Actin)

もし、あなたが何らかの罪に問われて拘置所などに拘留されてしまったら、投票はできるのでしょうか。また、罪が確定して刑務所に収監された場合はどうなるのでしょうか。

そして、今ではまず考えられませんが、戦争犯罪に問われて刑を受けて収監された場合はどうなるのでしょうか。

今回は犯罪と選挙に関する権利の関係と、戦後しばらく存在した戦争犯罪人(戦犯)と選挙に関する権利、そして、そこから起きた騒動を紹介します。

1945年の巣鴨プリズン(Wikipediaより)

刑罰と選挙と獄中立候補

選挙権や被選挙権など選挙に関する諸権利は、一定年齢以上の日本国民であれば、誰でも有していると思われていますが、実は違います。公職選挙法第11条には「次に掲げる者は選挙権及び被選挙権を有しない」という条文があります。この条文に当てはまる人はどのような人でしょうか。

まず、禁錮以上の実刑に処されていて刑期が終わっていない人が挙げられます。また、選挙や政治資金、収賄関係などの犯罪では罰金刑や執行猶予でも選挙に関する諸権利をはく奪され、さらには刑や執行猶予が終わってもしばらくの間はこのような状態が続きます。

このように刑罰を受けると選挙に関する諸権利が停止されますが、犯罪によって選挙権や被選挙権が停止されている状態を公民権停止と呼びます。

前述したように禁錮以上の実刑に処されて刑務所に収監されている人には選挙権や被選挙権はありません。

一方で「獄中立候補」という言葉を聞いたことがある読者の方もいると思います。これはまだ刑が確定しておらず、拘置所や拘留所に勾留されている人物が公職に立候補することを指します。

刑が確定していない人、つまり有罪であるかまだ分からない人は選挙権や被選挙権は停止されず、投票するだけではなく立候補もすることもできます。そして、このような獄中立候補をして当選をした人も存在します。

刑が確定し、刑務所に収監されていても投票ができた人々とは?

禁錮以上の刑が確定した人、つまり裁判によって懲役何年というような刑が確定した人は選挙に関する諸権利を停止されると述べました。しかし、懲役何年という刑を言い渡されて刑務所に収監されているのに選挙権があった人々が過去には存在しました。

このように刑が確定しているのに投票ができたのはどのような人なのでしょうか。それは第二次世界大戦の戦犯です。

しかし、戦犯に最初から選挙権があったわけではなく、戦後初の1946年衆議院選では、まだ刑が未確定であっても戦犯容疑者は投票することはできませんでした。

この状況が変わったのは、1952年4月28日に発効されたサンフランシスコ平和条約でした。ここで収監されている理由は国内法ではないこと、条約発効前は連合国の管理下にあって選挙権の行使ができなかったということから、戦犯の選挙に関する諸権利の停止が解除されたのです。

戦犯が投票できた最初の選挙は1952年の第25回衆議院選で、この選挙の第1回の不在者投票が9月25日に行われました。戦犯は収監されている巣鴨刑務所の所在地の選挙区に投票するのではなく、家族の住所の選挙区に投票することになっていました。

投票は刑務所内で行われ、所在地である豊島区の選挙管理委員や刑務所職員、戦犯代表が立会人となりました。当時の報道では、選挙は20年ぶりと語る人や当初は選挙には熱意を示していなかったのに当日になるとそわそわしだして投票の列に並ぶ人などが紹介されているほか、A級戦犯で内務大臣を務めていた木戸幸一が知り合いに投票したとコメントしたことやA級戦犯の元軍人たちから笑顔が見られたことなどが紹介されていました。

戦犯が獄中立候補?

このように戦犯は選挙に関する諸権利が復活して投票ができるようになりましたが、復活したのは投票の権利だけではありませんでした。選挙に立候補する権利、つまり被選挙権も復活したのです。

ただ、法務省は法律上は選挙に立候補することはできるものの、当選して公職の活動をするには関係国の承認が必要なので事実上不可能であるとの見解を出しました。このように戦犯の被選挙権の行使は不可能かと思われましたが、予想外の動きが起きました。

あなたの一票は「政治家だけ」ではない時代も。教育委員会にも選挙があったこと知ってる?』で紹介したように1956年まで教育委員会も選挙によって委員が選ばれていました。

前述した戦犯が投票できるようになった1952年の衆議院選と合わせて各地で教員委員会の選挙も行われることになっていました。

ここで長崎県の南串山村(現在は雲仙市の一部)である動きが起きます。村の有力者たちが集まって教育委員選について話し合い、4人の人物を推薦して無投票当選をさせることを決定しました。しかし、この4人の中に懲役41年3か月の刑を受けて巣鴨刑務所で服役中の戦犯がいたのです。

長崎県選挙管理委員会は自治庁にも問い合わせた上で戦犯は被選挙権があるので、立候補だけではなく当選して教育委員になる権利はあるとの見解を出しましたが、一方で刑務所から出られなければ教育委員の仕事はできないので妥当かどうかは問題が残っているとも述べました。

それに対し、法務省は戦犯も被選挙権は持っているが、出所の権限は外国にあるので当方としては手の打ちようがないとコメントをしました。さらに教育を管轄する文部省は、現に服役中で出所する見込みがない人を推すというのは非常識で、被選挙権の有無とは別問題だと、かなり否定的な調子でコメントをしました。

最終的にこの騒動は推薦された戦犯本人が当選しても仮出所の見込みがないとして辞退したことで一件落着しました。

なお、今回の事態について、長崎県選挙管理委員会は戦犯釈放運動に教育委員選を利用しているのではないかともコメントしており、この推薦が釈放のためのパフォーマンスの一環であることが指摘されています。

 

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