V間近の古巣「あの輪にいられたら」 元巨人マシソンが語る日本愛と阿部慎之助との絆

巨人で活躍したスコット・マシソン氏(画像はスクリーンショット)

オンラインで米フロリダのマシソンをインタビュー、前後編でどうぞ

昨年限りで日本でのキャリアを終えた元巨人のスコット・マシソン投手。今季の古巣は圧倒的な戦いで2年連続のリーグ優勝目前に迫り、2012年以来の日本一奪回を視界に捉えている。このたび、Full-Countのインタビューでマシソンは、その2012年のVが自身の野球人生で最も輝いた瞬間だったと明かし、同僚にエールを送りながら、8年間の巨人での思い出を語った。

現役時代とは変わらない明るい姿がそこにはあった。自宅のある米フロリダで時には野球指導、時にはトレーニングを行っている。「日本に行きたいよ」とこの社会情勢で、予定していた来日も白紙に。「来年は絶対に行きたいね」と思いを馳せた。

そんなマシソンにキャリアを少しだけ振り返ってもらった。

2012年にフィリーズから巨人に移籍した。当時はトミー・ジョン手術明けで、マイナー暮らしも多かったが、日本行きのチャンスをもらうと迷わずに、海を渡った。

最初は先発投手だったが、オープン戦で結果が残らず、開幕2軍スタート。しっかりと静止しないとボークを取られる日本のプロ野球の慣習に戸惑ったが、当時の豊田清2軍投手コーチ(現西武1軍投手コーチ)の指導により修正。その後、脅威の武器となるスプリットも学び、中継ぎとして1軍に昇格した。

捕手・阿部慎之助(現巨人2軍監督)の存在も大きかった。バッテリーを組んだ試合は今でもよく覚えている。

「阿部さんと組んだとき、最初から彼のリードについていけばいいとすぐにわかりました。アメリカでは、投手が投げたい球を投げるけど、阿部さんのリードに従っていけば、間違いないとわかったので、すごく新鮮で心地よかったです」

マシソンは中継ぎですぐに戦力となった。時には160キロを計測する直球とマスターしたスプリットはそう簡単に打たれはしなかった。来日1年目は40登板、2勝10セーブ8ホールド、防御率1.71。日本ハムとの日本シリーズでも好投し、チームの日本一にも貢献した。

「ファイターズとの試合でも阿部さんと組んで投げられ、日本一になったのは良い思い出です。2012年は日本に来て初めての年だった。それまでは、仕事として野球をやっているという感じだったけれど、初めて野球を楽しめた。アメリカも含めて、自分の野球人生で一番、印象に残っている大きな1年だったと思っています」

マシソンはフィリーズでメジャー登板の経験もある。だが、米国よりも日本で過ごした一年の方が、より心に刻まれているという。日本のファンにとっても幸せなことだ。

阿部慎之助との絆、2000安打達成後にもらったプレゼントとは?

昨年9月27日のDeNA戦(東京ドーム)。阿部の引退試合も忘れることはできない。自身にとっても巨人最後の公式戦登板となった。

「何度も何度も彼と一緒にバッテリーを組んできたし、自分にとっても、最後の試合なんだろうなと思いながら投げていた。思い出深い試合になりました」

2人の間に言葉の壁はない。阿部が2017年8月13日の広島戦(マツダ)で2000本安打を達成した。東京でマシソンは阿部と食事に出かけた。

「その時に、阿部さんは僕に記念のユニホームをくれたんだ。サインも入れて。大事にとってあるよ。僕の方からは、記念のキャッチャーマスクを渡したんだ。そのユニホーム、一緒にメッセージを添えてくれた。なんと書いてくれたかは今度、ファンの皆さんの前でお話ししたいね」

ファンも大事にするマシソンらしい答えだった。来年の東京五輪・カナダ代表として日本に行くことを願い、トレーニングを行なったり、現地の有力高校の指導も行っている。日本へ行きたくても行けないため、オンラインでは、コミュニケーションを取ったりしている。10月17日の土曜日には応援してくれたファンを対象にした日本へ向けたオンライントークイベントに出演する予定となっている。

マシソンは、今季の試合も毎日のようにチェック。マジックも順調に減らす古巣をどのように見ているのだろうか。

「自分にとって、優勝することはうれしいこと。でも、羨ましさを覚えることもあるよ。あの中にいられたらなと思ったり……。アメリカでプレーしていたより、ジャイアンツでプレーしていた方が楽しかった。その仲間がまた優勝に近づいているのはとても僕も楽しみ。頑張って欲しいね」

今もチームメートと日本の野球を大事にしている気持ちが伝わってきた。良き思い出として心にしまってある。(楢崎豊 / Yutaka Narasaki)

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