メクル第494号 いいところ見つけ褒めよう 指揮者 伊藤玲阿奈さん

「ワクワクするものに飛び込んで!」とメッセージをくれた伊藤さん(本人提供)

 オーケストラの前でタクトを振(ふ)り、楽器それぞれの音色を巧(たく)みに調和させる指揮者(しきしゃ)。青雲(せいうん)高(西(にし)彼杵(そのぎ)郡時津(とぎつ)町)出身で、アメリカ・ニューヨーク在住(ざいじゅう)の伊藤玲阿奈(いとうれおな)さん(41)に話を聞きました。

 アマチュアオーケストラを運営(うんえい)する家に生まれ、子どもの頃(ころ)はピアノやバイオリンを習っていました。小学校の時に興味(きょうみ)があったのは考古学。中学では当時の「宇宙論(うちゅうろん)」ブームで天文学に引かれました。
 長崎での高校時代は、まさに勉強漬(づ)け。毎週のようにテストがあって、点数や偏差値(へんさち)などの数字だけで人生が決まるという考え方に、自分も染(そ)まっていました。
 でも物理や数学は苦手で、受験勉強にはあまり興味がなくて。ちょっと外へ出れば戦争の遺跡(いせき)があり、平和について考える機会が多かったせいか、「何で戦争をするんだろう」と考えるようになりました。安全保障(ほしょう)や平和維持(いじ)に関わりたいと思い、外交官になりたくてアメリカの大学へ進学しました。
 しかし、2年時に音楽家を目指すきっかけが訪(おとず)れました。それは「英語を使わなくていいから」と受講(じゅこう)した一般(いっぱん)教養のピアノクラス。すごく褒(ほ)められて、一気にのめり込(こ)みましたが、親との約束だった大学卒業をしてから音楽院を受験しました。
 初めはピアニスト志望(しぼう)でしたが、幼(おさな)い頃からピアノの訓練に打ち込んできた他の受験生との差は歴然。試験から逃(に)げだして、入れそうな別のコースを探(さが)し、指揮者コースを選びました。いくつかの音楽院で指揮の基礎(きそ)を学んだ後、大学院の指揮科を受験するのですが、募集(ぼしゅう)人数はごくわずか。2浪(ろう)するなど苦しい時間も経験しました。
 しかし、人生は何が起こるか分からないもの。大学院在学(ざいがく)中の2008年3月、先生の代役としてオペラの指揮をしてプロデビューできたのです。さらに、その公演(こうえん)を聴(き)きに来ていた方から声が掛(か)かり、ニューヨークの「カーネギーホール」で指揮をするチャンスにつながりました。
 1891年にできた同ホールは「音楽の殿堂(でんどう)」ともいわれ、音楽家やキング牧師(ぼくし)ら伝説的な人物も立ってきた場所。“オーラ”が漂(ただよ)い、指揮者用楽屋の壁(かべ)には名だたる人たちのサインがいっぱい。恐(おそ)れ多くて、でも何か痕跡(こんせき)を残したくて、ソファの裏(うら)にサインしました。その後も3回、同ホールの舞台(ぶたい)に立ちました。
 私は指揮者が天職(てんしょく)だと思っているけれど、活動はそれらしくないんです。数少ないクラシック愛好者より、なるべく多くの人に心が平和になるような音楽イベントを開いて社会貢献(こうけん)がしたい。子どもたちにも年収(ねんしゅう)が多いとか、偉(えら)くなりたいとか考えず、心からワクワクする、興味あるものに食い付いてほしいです。
 若(わか)い頃は「短期間にいろいろ決めろ」って言われがちですが、合う、合わないを繰(く)り返し、自分にぴったりなものを見つけていくのが理想。成功することにとらわれず、満足していければ、一番幸せな生き方じゃないかな。悪いところよりも、いいところを見つけて自分も他人も褒める、そんな大人になってください。

 【プロフィル】いとう・れおな 1979年2月28日、福岡(ふくおか)県田川市生まれ。青雲高-アメリカのジョージ・ワシントン大国際(こくさい)関係学部卒。複数(ふくすう)の音楽院で指揮を学び、アロン・コープランド音楽院で修士号(しゅうしごう)取得。2008年、プロデビュー。アメリカで活躍(かつやく)する優秀(ゆうしゅう)な音楽家を表彰(ひょうしょう)する「アメリカ賞」を14年に日本人初受賞。

指揮者として世界で活躍するほか、平和活動にも取り組み注目されている=2015年4月、東京芸術劇場(本人提供)

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