怪物番組「ザ・ベストテン」が教えてくれた “アメリカ” とビリー・ジョエル 1978年 10月13日 ビリー・ジョエルのアルバム「ニューヨーク52番街」が米国でリリースされた日

怪物番組「ザ・ベストテン」と、数多のミュージシャンとの出会い

音楽を趣味とする人であれば誰にでも初めて惚れ込んだ曲がありますよね。その後の人生における音楽との関わり方を大きく変えてしまった運命の一曲。

特に洋楽の場合は多感な年頃になって出会うことが多いので、その思いも強くなる気がします。

僕が最初に惚れこんだのはビリー・ジョエルの「マイ・ライフ」です。そして、この曲に出会ったのは歌番組『ザ・ベストテン』でした。両方を知る人ならばこの組み合わせにはちょっと違和感を覚えるかもしれません。鏡のゲートから登場して、久米宏と黒柳徹子に迎え入れられるビリー・ジョエル…。想像するとなかなか愉快な光景ですが、そうではありません。

時は1979年、僕が小学6年生の年。現在の音楽番組事情からすると信じられませんが、当時の『ザ・ベストテン』は超ウルトラ怪物番組でした。

毎週ほとんどの同級生が木曜の21時からこの番組を観て、翌日の教室では誰かしら話題にしたり出演者の物まねをしていましたよね。もちろん僕も毎週必ず観ていました。まだ洋楽を聴き始める前でしたが、バンド系の音楽が好きでゴダイゴやツイストの出演を楽しみにしていました。

アメリカの光景が映し出された日立のCM、歌っているのは誰?

ある日いつものように番組を観ていたらCMの時間になり、軽快な音楽とともにアメリカの光景が映し出されました。たぶん番組提供社の日立のCMだったと思います。

いかにもアメリカ的な街並みの中、大学生風の白人青年が街をジョギングしています。そして、彼の近くにクルマが止まりドアが開きます。中から次第に現れる美しい脚と、その脚線美の持ち主が気になりつつも走る彼の表情を交互に映すカットバック。BGMは『ザ・ベストテン』なんかでは聴いたことがない、英語のポップな曲。その15秒間(たぶん)の映像の中に広がる世界は小学生の僕の心を虜にしてしまいました。

当時の僕は既にアメリカやイギリスなどの外国へ憧れを抱き始めていました。幼い頃から親が洋画をよく観に連れていってくれた影響が大きいのかもしれませんが、自らも『セサミストリート』や『PEANUTS』『世界の子供たち』『兼高かおる世界の旅』などの番組を好むちょっと変わった子供でした。特にアメリカに対しては未知の国というよりも郷愁的な思いすら感じていたように思います。行ったこともないのに。

そんな時に観たこのCMの映像は、僕の中で思い描くアメリカそのものだったのです。それからしばらくの間『ザ・ベストテン』は本編以上にこのCMの方が楽しみになりました。とはいえ、肝心のBGMは誰の曲なのかわかりません。当時の僕には洋楽の知識など全くありませんでした。

我が人生の原点、ビリー・ジョエル「マイ・ライフ」

しかし、強い思いは出会いを引き寄せます。しばらくしたある日、父が買ってきたナショナルのモノラルラジカセでラジオをつけていた時にその曲が流れたのです。こうして、そのラジオのDJのおかげで僕は “ビリー・ジョエル” という洋楽のアーティスト名を初めて知ることができました。

AMラジオで、しかも曲の途中からでしたが、慌てて録音したカセットテープを学校から帰っては何度も聴いて “アメリカ” を空想したものです。当時はビリー・ジョエルの顔を知る術がありませんから、声の感じをCMに出演していた白人青年に重ね合わせて聴いていました。

本当のビリーがまるで違う顔だということを知るのは小学6年生の冬になって、お小遣いでFM雑誌を買い始めてからです。ちょっとショックでしたね。自分の想像力があてにならないことも含めて。

もしこの曲との出会いがなければ、今の僕の音楽との関わりはどうなっていたかは分かりません。莫大な時間とお金を音楽に浪費をすることもなく、アメリカへの興味は商社マンになるという夢へ変わってしまったかもしれません。

ビジネスで大成功してなくても音楽のある人生でよかった。僕にとって「マイ・ライフ」こそ、まさしくマイライフの原点なのです。

 I don't care
 what you say anymore,
 this is my life

 何と言われたって気にしないよ
 これが僕の人生なんだから

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※2018年2月22日に掲載された記事をアップデート

カタリベ: 阿野仁マスヲ

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