“お城巡り”する女子急増中!現存天守6城の場所や歴史などを紹介《前編》

勘違いしている人も多い「お城」

上記のような建物を、「お城」だと思っている人が多いのですが、こちらは、「天守」または「天守閣」と呼ばれる、お城の一部のことです。

簡単に説明すると、天守閣などの建物がある部分を「本丸」と言い、本丸の外側に「二の丸」、そして二の丸の外に「三の丸」などがあります。

二の丸や三の丸とは、城壁や堀、屋敷などで構成され、本丸を囲むように配置されているケースもあれば、そうではない場合もあります。

また、本丸・二の丸・三の丸を含む広大な敷地がすべて「お城」です。

「現存天守」とは?

「現存天守」とは、江戸時代までに建てられて、修復されつつ現在まで残っている天守のことで、「天守(天守閣)」とは、城内でいちばん高い建物のことを言います。

この天守閣を「お城」だと勘違いしている人が多いことからもわかるように、立派に作られたもので、お城のシンボルなのです。

1. 弘前城(青森県)

青森県の南西部に位置する弘前市にあるお城で、天守1棟・櫓3棟・城門5棟が現存し、いずれも国の重要文化財に指定されています。

ちなみに、「天守」が現存するのは、東北地方では「弘前城」だけです。

1603年(慶長8年)に戦国武将で弘前藩の初代藩主「津軽為信」が計画し、為信の息子で2代目藩主の「津軽信枚」が1611年(慶長16年)に完成させました。

2015年には、石垣の改修工事のため「天守」をそのまま移動させる「曳屋(ひきや)工事」をし、70mほど北西への引っ越しを経験した全国的に珍しいお城でもあります。

■津軽信枚と石田三成の娘
津軽信枚は、徳川家康と戦ったことでも有名な石田三成の娘「辰姫」と結婚、2人の子である「津軽信義」が3代目藩主を務めました。
はじめは正室として迎え入れられた「辰姫」ですが、のちに徳川家康の養女「満天姫」が正室となり、側室となっています。

■見どころと周辺観光
桜や紅葉の季節はもちろん、「天守」の雪化粧が楽しめるのは、雪国ならでは。
城内では、櫓・門・橋・濠などのほか、2018年にオープンした『弘前城情報館』が見どころとなっています。
弘前城の周辺観光でオススメなのが「津軽藩ねぷた村」で、大型の「ねぷた」見学や資料の閲覧ができるほか、日にちや時間によっては津軽三味線の生演奏が楽しめます。

2. 松本城(長野県)

長野県松本市にあるお城。1593年(文禄2年)から1594年(文禄3年)にかけて築造された現存天守は日本最古の可能性が高いと言われており、国宝5城のうちのひとつです。

また、日本でも「天守(天守閣)」の壁が漆黒なのは松本城だけ。

築城者は、武将で信濃松本藩の初代藩主と言われる石川数正と、息子の石川康長。親子二代にわたって完成させたと言われています。

■松本城を守った美しい女神(二十六夜神伝説)
五代目城主・戸田康長が松本城に入って迎えた初めての新年、1618年(元和4年)1月26日の夜中のこと。本丸御殿で守りをしていた武士の前に、赤い袴をつけたきれいなお姫様が現れたそうです。
お姫様は錦の袋を与え「これから二十六夜様をまつり、米を炊いて祝えばお城は栄えていくでしょう。ただし、この袋は決して開けてはなりません」というと、天守の上の方へ消えていきました。
このことを聞いた康長は、天守六階の梁の上に二十六夜様をまつり、毎月26日にはお餅をそなえました。
1727年(享保12年)、本丸御殿が火事にあったとき、天守が焼けなかったのは二十六夜様のおかげだと語り伝えられています。

■見どころと周辺観光
薄ピンクに咲き乱れる桜とのコラボレーションも見ものですし、「天守(天守閣)」の漆黒が、真っ白な雪景色のなかに浮かぶその美しさは、圧巻です。
また、城下町の情景が思い浮かぶ、縄手通りの小さな商店の数々やレトロ感が楽しめる中町通りの土蔵造りの建物が人気。
松本市内を観光するなら、1日乗車券のある周遊バス「タウンスニーカー」がお得です。

3. 丸岡城(福井県)

福井県坂井市にあったお城で、織田信長の命(命をかけて果たすようにとの指示)を受けた柴田勝家が、甥である柴田勝豊に築城させました。

1576年(天正4年)に築城された丸岡城は、北陸地方で唯一の現存天守であり、国の重要文化財にも指定されています。

以前は「日本国内最古の現存天守」と言われていましたが、2019年3月に発表された学術調査の結果から、1624~44年の江戸期に建てられたことが判明しました。

■戦国一の美女「お市の方」
丸岡城の築城を命じられた柴田勝家の奥さんが、丸岡城の築城を命じた織田信長の妹「お市の方(おいちのかた)」で、戦国一の美女だったと言われています。
柴田勝家とは再婚であり、25もの年齢差があったようですが、夫婦仲はよかったようです。
豊臣秀吉と対立した柴田勝家は「賤ヶ岳の戦い」で敗北、お市の方は娘3人だけを逃して留まり、夫とともに自害したと言われています。

■見どころと周辺観光
満開に咲き誇る桜の向こうに浮かぶ丸岡城の「天守(天守閣)」は、凛として重厚でありながらも、まるで霧に包まれたように幻想的で美しい景色となっています。
また、別名「霞ヶ城」の由来にもなっている、大蛇が出現したという井戸も見ものです。
大蛇は、敵が攻撃しようとすると、「天守(天守閣)」の横にある井戸から出現し、霞を吹いてお城を隠したと言われています。
丸岡城のある丸岡町には、四季折々の景色が楽しめる「霞ヶ城公園」や、県下最古の民家が見学できる「千古の家」、越前竹人形が展示されている「越前竹人形の里」などがあります。
少し離れた山あいにある、北陸最大級の水車が2連、やさしいメロディーにあわせてゆっくりと回る姿が楽しめる「竹田水車メロディーパーク」もオススメ。

4. 犬山城(愛知県)

尾張国と美濃国の境、木曽川南岸の地「犬山」(現 愛知県犬山市)にあったお城で、1469年(文明元年)頃に前身の「木ノ下城」を織田広近が築城、豊臣秀吉が誕生した1537年(天文6年)、織田信長の叔父である織田信康が城郭を移築したと伝わります。

現存する木造天守では日本最古と言われており、国宝に認定されています。

また、織田信長が倒された1582年(天正10年)「本能寺の変」のあと、「小牧・長久手の戦い」では緒戦の舞台となり、秀吉が入城しました。以後、小牧山城に陣を構えた家康とにらみあいが続きました。

■犬山城存続のために生きた女性達
犬山城は戦いの渦に何度も飲み込まれた印象があり、戦国武将達男性の事ばかりが取り上げられます。
しかし、犬山城存続の歴史の中には、重要なところで女性の存在があります。代表的なところでは、成瀬家中興の祖と呼ばれた養子の9代目成瀬正肥の正室『富女』、そして現在の犬山城所有財団の理事長で12代目成瀬正俊の長女『成瀬淳子』氏です。
彼女たちは常に「犬山城の存続」を願い、そこからその時々の時代背景を受け止めて、自然の流れに乗っていったように思えます。現在の犬山城はこの様な強い信念によって存在するのです。

■見どころと周辺観光
「天守(天守閣)」の最上階から眺める景色は絶景で、天気のよい日には御嶽山(長野)や伊吹山(滋賀)を望め、近くには名古屋駅ビル群や岐阜城も見渡せます。
周辺には、写真映えする城下町の風景やパワースポットと言われる三光稲荷神社などがあり、多くの観光客でにぎわいます。
2018年の観光客数は、60万人というから驚きです。

5. 彦根城(滋賀県)

滋賀県彦根市にあるお城で、井伊直継が1622年(元和8年)に築城しました。

関ヶ原の戦いで功績をおさめた「井伊直政」が、徳川家康から石田三成の居城「佐和山城」を与えられたことが彦根城のはじまりでした。

井伊直政の死後、完成を急いだ彦根城は、工事期間の短縮や費用を抑えるために、各城の部材を再利用したことでも知られています。

■不遇ながらも立派な息子を育てた女性
井伊直政の死後、おとなしい性格だった井伊直継(井伊直政の長男)に代わり、のちの藩主となった井伊直孝(井伊直政の次男)。その母は、井伊直政の正室・唐梅院の侍女だったと言われています。
井伊直継が生まれたとされる1590年(天正18年)2月、同時期に誕生した井伊直孝。
気を悪くした唐梅院はその侍女を家に帰らせたため、井伊直孝はひっそりと生み、育てられたと言います。

■見どころと周辺観光
国宝に指定されている「天守(天守閣)」はもちろんのこと、重要文化財に指定されている「天秤櫓」や「太鼓門及び続櫓(1棟)」、「二の丸佐和口多聞櫓」や「西の丸三重櫓及び続櫓(1棟)」、「馬屋」も見ものです。
彦根城域では、ファンも多い、ゆるキャラ「ひこにゃん」が毎日登場します。
残念ながら「ひこにゃん」と一緒に写真撮影や握手をすることはできませんが、その愛らしい姿を眺めたり遠くから写真に収めたりすることはできます。
また、人力車に乗っての観光や屋形船で遊覧しながらのお堀巡りもオススメです。

6. 姫路城(兵庫県)

兵庫県姫路市にあるお城で、赤松貞範が1346年(正平元年/貞和2年)に初めて築城しました。

こちらの姫路城は、天才軍師として有名な戦国武将の「黒田官兵衛(黒田如水・黒田孝高)」が誕生した場所としても知られています。

■黒田官兵衛に生涯愛された「櫛橋光」
黒田官兵衛が死ぬまで愛したと言われるのが、才徳兼備と称えられた「櫛橋光(くしはしてる、くしはしみつ)」で、15歳のときに嫁入りしています。
黒田官兵衛と櫛橋光は、血を絶やさないよう多くの子孫を残すことが求められた戦国時代において、一夫一妻を貫いた珍しい夫婦です。

■見どころと周辺観光
城壁が白漆喰であることから、 別名「白鷺城(はくろじょう)」と呼ばれていることでも有名で、その美しい姿には思わず脱帽するという人も多いようです。
とくに、桜が咲き乱れる春の季節には、幻想的な姫路城が楽しめます。

まとめ

江戸時代までに建てられ、修復されつつ現存している「天守(天守閣)」12城、同じ「お城」でもそれぞれに歴史や特徴があります。

また、実際に足を運んでみないとわからない、良さもあります。

戦国武将たちや城にまつわる女性たち、城下町の情景なども思い浮かべながら、お城を歩いてみてはいかがでしょうか?

※掲載内容は、諸説あるなかの一説となります。

© 株式会社大新社