村上春樹がはまったサンドイッチ 老舗で受け継がれる「どこか懐かしい味」

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1949年創業の「トアロードデリカテッセン」=神戸市中央区北長狭通2

 「そろそろ昼飯を作ろうかなと思ってたんだ。ぱりっとした調教済みのレタスとスモーク・サーモンと剃刀の刃のように薄く切って氷水でさらした玉葱とホースラディッシュ・マスタードを使ってサンドイッチを作る。(中略)うまくいくと神戸のデリカテッセン・サンドイッチ・スタンドのスモーク・サーモン・サンドイッチに近い味になる(後略)」(村上春樹「ダンス・ダンス・ダンス」より)

 村上春樹の初期3部作に続く「ダンス-」は、1980年代が舞台。主人公の「僕」は東京でフリーのライターとして「文化的半端仕事」をこなしているが、何年か前に泊まった札幌の不思議なホテルを再訪したことで、「現実性の回復をとおしての自己の回復」へ動きだす。サンドイッチを作ろうと考えた美しい4月の初めの日、物語は急展開していく。

 初期3部作では少年時代を過ごした阪神間の風景を描きながら、具体的な地名に触れてはいない。あえてここで実在の店を登場させているのは、かなりの思い入れが感じられる。実際、ファンからの「うまいサンドイッチは」という質問に同店を挙げ、「高校生のときからはまっていました」と答えている。

 トアロード周辺は洋書をあさり、ジャズ喫茶に通う早熟な作者の原点だった。

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 トアロードで「世界一の朝食」を提供する、神戸北野ホテル(神戸市中央区山本通3)。総支配人・総料理長の山口浩さん(60)と、同店2階のカフェを訪ねた。

 「そのマスク、マキシンさんのですか?」

 料理を運ぶスタッフに、明るく話し掛ける。坂の途中にある高級帽子メーカーは、山口さんにもおなじみだ。「デリカテッセンさんに来るのは久しぶり」と、相好を崩す。

 注文したスモークサーモンサンドイッチが運ばれてきた。店は1949年創業。外国航路の船乗りだった夫を持つ女性創業者が生んだという人気メニューだ。

 早速、皿からつまみ上げる山口さん。「どこか懐かしい味。あれこれと具材をたくさん挟んでいないのが老舗らしい」とおいしそうに頬張る。

 そう言われれば確かに、具材はサーモンだけとシンプルだ。小説で「僕」は、レタスやタマネギを入れて、この味を再現しようとしていたが…。

 店長の古家純子さんに聞くと、「昔から、このレシピ。パンフレットで野菜を挟む提案をしたこともありますが…」との答え。作家の記憶違いか、オリジナルのレシピだったのかもしれない。

 「代替わりしても、同じメニューを提供し続けるのがヨーロッパ的」と山口さん。「村上春樹は高校時代からこの味に親しんでいたそうです」と投げ掛けると、「生意気やね」とにやりと笑った。(伊田雄馬)