ル・マン24時間の歴史の一部になったトヨタ/スペイン人ライターのモータースポーツ便り

 9月17~20日に、フランスのル・マンで行なわれた2019/2020年WEC世界耐久選手権第7戦ル・マン24時間レースは、8号車トヨタTS050ハイブリッドのセバスチャン・ブエミ/中嶋一貴/ブレンドン・ハートレー組が総合優勝を果たした。トヨタの優勝は“ライバル不在”の結果という意見もあるが、スペイン在住のフリーライター、アレックス・ガルシアは異を唱えている。

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 2020年のル・マン24時間レースが終わり、トヨタはこれでル・マン24時間の3度の勝者となった。この3年でTS050ハイブリッドは、長年ドライバーを務める中嶋一貴とセバスチャン・ブエミ、またフェルナンド・アロンソ(2018~2019年)とブレンドン・ハートレー(2020年)とともに、歴史的なマシンとなった。数年前の最大の困難をくぐり抜け、トヨタは過去3シーズンですべてを勝ち取ってきたのだ。私はトヨタが達成してきたことに感銘を受けずにはいられない。彼らはル・マン24時間の歴史の一部になったのだ。

 多くの人々はトヨタのル・マン優勝を“価値が低い”と言うかもしれない。なぜならファクトリーのライバルがいないからだ。戦う相手となるポルシェやアウディがいないのは事実である一方で、トヨタはレギュレーション自体と戦ってきた。

 ワークスプログラムであるため、TS050はレベリオン・レーシング、バイコレス、ジネッタのマシンよりはるかに速いことは明らかだ。しかしFIAとACO(フランス西部自動車クラブ、ル・マン24時間主催者)はレギュレーションによって接戦を促進しようと最善を尽くしてきている。つまり、プライベーターやノンハイブリッドのLMP1マシンが競争できるように、基本的にトヨタのパフォーマンスは落とされているのだ。

 私はこうなることになった判断を理解できる。なぜなら競争がまったくなく、ひとつのマニュファクチャラーのみがレースを支配することは、レーシングシリーズにとって良くないことだからだ。しかしそれと同時に、私はこれではトヨタにとってあまりにも不公平だといつも感じていた。

 適当な時期にドイツのマニュファクチャラーがWECから撤退した一方で、トヨタは現在の形式のチャンピオンシップのサポートを唯一継続した。2021年にはル・マン・ハイパーカー規定が導入されるが、シリーズをサポートすることに対しての“報酬”は、パフォーマンスを削られることだった。結局トヨタがル・マンで勝ったら、人々は「もちろん彼らは勝つさ!」と言うし、ル・マンで負ければメディアとファンはそれを失敗と見なすだろう。

 しかし実際には、このようの状況でレースをするのは非常に複雑なことでもあると私は考えている。トヨタは新しい状況に適応するために姿勢を変え、状況を最大限に活用することが求められた。トヨタは3年連続で勝利を収めた。そのため、多くの人々がハイブリッドとノンハイブリッドの間に競争を生み出すためのEoT(テクノロジーの均衡。実質の性能調整)が不十分だったことを、この結果が示していると考えている。多くの点で、今日のWECでは「トヨタは負ける必要がある」という考え方がされているのだ。トヨタがル・マンであれほどの情熱を傾けて戦っているのに、このような扱われ方をされているのは悲しいことだと思った。

 幸い、彼らの2018年、2019年、2020年のパフォーマンスは素晴らしかった。この3年間で、彼らはまったく異なる3回のレースと挑戦に取り組んだようなものだ。最初の優勝では、チーム内のバトルと技術トラブルがあった。2016年と2017年に、トヨタはライバルたちに負けたわけではない。彼らはル・マン自体に敗れたのだ。目的はレースに勝つことだったので、いろいろな意味で誰がライバルだろうが関係なかった。最も重要なのはレースに負けないことだったのだ。トヨタが優勝して嬉しかったが、それは彼らの献身が公平に報われたからだ。レベリオン・レーシングが2020年にル・マンで優勝し、その後WECから撤退することを想像できるだろうか?

■2016年におこったトヨタ8号車の悲劇

 トヨタ8号車が3度目の優勝を果たした時、ふたつの思い出が私の心に浮かんだ。ひとつ目は2016年の出来事なのは明らかだ。「パワーがなくなった!」中嶋一貴の言葉が4年経っても私の頭の中でこだまする。私は何が起きたのか信じられなかった。終わりまであと数分だった。それは素晴らしいものになるはずだったレースの残酷な終わり方だった。接戦を演じた3つのマニュファクチャラーのうち、トヨタは他よりも戦略面で抜きん出ていたのだ。

 2番目の思い出は、ケルンにあるTOYOTA GAZOO Racingのヨーロッパの拠点を2017年の春に訪れたことだ。(そこはまだTMGと呼ばれていた)そこには技術的観点から感動させられたことが多くあったが、最大の驚きはエントランスのすぐ横にあった。彼らが何年にもわたって作り上げてきた伝説的なクルマ数台とともに、トロフィーが飾られたガラスのキャビネットがあった。トロフィーが置かれていない空いたスペースがあったが、そこには2016年のレースの写真が飾られていた。それは優勝車ポルシェ919がトヨタ8号車を抜く瞬間を撮影したものだった。私は写真に感銘を受け、なぜそこにあるのかを尋ねた。基本的にその写真はトヨタがル・マン優勝にどれだけ近づいていたかを示していた。「我々はあと少しのところだったのです!」

 この時の敗北は、好ましくない瞬間として扱われただけではなかった。代わりにチームは、ル・マンでの最大のレッスンとして捉えたのだ。翌年、TMGは3台で参戦したものの、もうひとつの試練に耐えることになった。3台での参戦はTMGが決定したことで、日本のトヨタではなかった。彼らはどうしてもル・マンで優勝を飾りたかったので、社内の多くの人たちが3台目のマシンを作るのに十分な資金を集めるために余分な時間を費やした。それでも十分ではなかったが、チームは決して諦めなかった。これが2017年に私が感動を受けた姿勢だ。

 ル・マンで優勝することがどれだけ難しいことかを忘れてしまうことは簡単だ。だが正確に記憶したい者は、7号車を見る必要があるだろう。小林可夢偉、マイク・コンウェイ、ホセ~マリア・ロペスによってドライブされた7号車は、何年にもわたってあらゆる種類の困難な挑戦と状況に見舞われていた。ル・マンは今も非常に難しいレースで、勝利を保証してくれるものは何もない。そのことを覚えておく必要がある。そしてホンダやマツダなど他のマニュファクチャラーが公にトヨタを祝福しているのを見る時、ふたたび気づくのだ。これは非常に特別な瞬間なのだと。

 時間が経つのは早いものだ! 私が前回伝説のサルト・サーキットを訪れた当時、トヨタはまだル・マン24時間で勝てていなかった。だがパズルの正しいピースがそこにはあった。教訓は学ばれ、彼らが優勝するのは時間の問題だった。3回の優勝が示しているのは、優勝は思いがけない幸運などではないということだ。トヨタは1回目と2回目の優勝の後も、継続的に改善に努めてきた。TS050は新たな成功とともにル・マンに別れを告げる……。そして私は、新たなトヨタGRスーパースポーツに何ができるのか見るのを楽しみにしているのだ。

2020年ル・マン24時間レースのスタート前セレモニーに登場した、トヨタが開発中の市販ハイパーカー、GRスーパースポーツ(仮称)

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