政治家に学問は必要か?歴代総理の学歴を見てみよう(歴史家・評論家 八幡和郎)

川勝平太静岡県知事が、日本学術会議の任命拒否問題をめぐり、菅総理を「教養のレベルが露見した」、「秋田に生まれ、小学校中学校高校を出られて、東京に行って働いて、勉強せんといかんと言うことで(大学に)通われて、学位を取られた。その後、政治の道に入っていかれて…。学問された人ではないですね。単位を取るために大学を出られたんだと思います」と罵倒した。

 

川勝知事(左)2016年9月4日、静岡県掛川市で実施された「静岡県・掛川市総合防災訓練」にてアメリカ合衆国陸軍兵士らと(Wikipediaより)

川勝知事は、大知性ならではの、宇宙人チックなところが魅力でもあり、あまり大問題にならないと思うが、普通の知事がこれをいったらただではすむまい。東北人に対する京都人(川勝知事は京都出身)の差別意識ととられかねないし、学歴にむすびつくエリート意識の極致でもある。

ただし、「単位を取るために大学を出られたんだ」というのは、いかがなものか。私は大学の教官は、学問を不十分でも経験させようと教えるし、そういう努力をした学生に単位を与えるのが普通だ。私だって期末テストの採点基準は、「大学で政治学を勉強したという痕跡がどのくらいあるかである」と学生は言っている。学問とは関係なくにわか勉強で暗記だけしたら単位を与える教師がいたらそれこそ大学としての価値がない。

菅総理(首相官邸Facebookより)

もちろん、学者と称している個人にせよ、あるいはなんとか学会として立派な組織があっても値打ちは様々だ。憲法学などヨーロッパで日本と同じような地位はない。私に言わせれば、いまの憲法を擁護する政治運動としての「日本国憲法学」でしかないし、だから実務では誰も相手にしない。

歴史では文献学者や考古学者が歴史の真実の最終審判者のような顔をしているが、文献調査や考古学という狭い分野の専門家であることが、歴史という森羅万象の知恵を必要とする学問の独占的審判者だなどというのは思い上がりだ。

しかし、だからといって、政治家にとって、学問に価値がないわけでない。政治に携わる人が学問をすることで得るものは大きいし、あるいは、学問の素養がないと政治家同士の対話で仲間はずれにされることだってある。

というわけで、時代によって、政治家の世界で学問がどのように見られてきたか、歴代総理の学歴を分析して考えてみようと思う。

歴代総理の学歴を時代別に見る

明治維新で新政府が成立してから内閣制度が成立する明治18年までは、公家の三条実美が首位で岩倉具視が二位で、それを薩長土肥など出身の維新功労者のなかで頭がいいのが扶ける仕組みだった。

公家は平安時代から家庭教師について勉強する仕組みだし、武士は江戸中期から藩校があったが、教育機関としてはお粗末で、読み書きと若干の論理的思考の訓練ができただけだった。だから、三条や岩倉の幕僚であり、内閣制度ができて最初期の首相となった、伊藤博文(英留学)、黒田清隆、山縣有朋(ヨーロッパ長期出張)、松方正義、大隈重信のいずれも、十分に知的な人々だが藩校での秀才ではなかった。

その後の首相のなかでは、留学組が幅をきかした。桂太郎(独)、西園寺公望(仏)、山本権兵衛(ドイツの軍艦に派遣)、寺内正毅(仏)、原敬(フランス勤務だが実質的には留学)、高橋是清(米)、までは、広い意味での留学組の時代だったといえる。彼らの時代は国内にいても御雇外国人に学んだり、学校で使う教科書も原書だったりしたから、根っからの国際人だったのである。

「ダルマさん」の愛称で親しまれた高橋是清(国立国会図書館webより)

次ぎは東京帝国大学や陸軍大学、海軍大学出身のエリートたちが、主役になる。

元祖ライオン宰相浜口雄幸から大平正芳までの首相をみると以下の通りだ。

東京帝国大学法学部が、加藤高明(英留学後に大蔵省、外務省)、若槻礼次郎(大蔵省)、浜口雄幸(大蔵省)、広田弘毅(外務省、米、露、蘭勤務)、平沼騏一郎(司法官)、幣原喜重郎(外務省、米、英、蘭、白勤務)、吉田茂(中国、イタリア、イギリス勤務)、片山哲(弁護士)、芦田均(露、仏、白勤務)、鳩山一郎(弁護士)、岸信介(商工省、欧米に長期出張。満洲勤務)佐藤栄作(鉄道省)、福田赳夫(大蔵省、英・仏・中勤務)。

陸軍大学が田中義一(ロシア留学)、林銑十郎(独留学、英勤務)、阿部信行、東条英機(スイス・ドイツ勤務)、小磯国昭(独・墺勤務)、東久邇宮稔彦(仏留学)。

海軍大学が、加藤友三郎、斎藤実(米国勤務)、岡田啓介、米内光政(露・独勤務)、鈴木貫太郎。

そのほかでは、清浦奎吾は高齢で首相になったので、江戸時代の教育制度で咸宜園など。近衛文麿(長期海外出張)と池田勇人(大蔵省)は京都帝国大学、石橋湛山は早稲田大学、、犬養毅は慶応大学、三木武夫は明治大学から米留学後に若くして代議士、大平正芳は東京商大から大蔵省だった。

これをみれば、官僚と職業軍人がほとんどで、そのほかの人も、田中角栄を除いて、旧制高校的なリベラル・アーツの持ち主だったわけだ。たとえ、自分が官僚や軍人でなくても、彼らの知的な会話について行けないと永田町での出世は望めなかったと云えよう。田中角栄は天才として、官僚以上に頭のいいところを見せたり、官僚では思いつかない発想で官僚をむしろ魅了した人だ。

「平民宰相」田中角栄(Wikipediaより)

政治家が知的な話題をしなくなったわけ

ところが突然に学問は総理になる要件でなくなったのは鈴木善幸の首相就任がきっかけだ。大平正芳が急死したときの首相候補は、中曽根康弘(東京帝国大学、内務省)、宮沢喜一(東京帝国大学、大蔵省)、河本敏夫(日本大学、実業家、旧制姫路高校を学生運動で退学)といういずれも伝統的なエリートだった。

ところが、互いに牽制して、水産学校出身の鈴木善幸が首相になった。ショートリリーフではあったのだが、これで国会議員達は、学歴とか知的教養がないと総理にはなれないという呪縛から解放されたのである。

それ以降の学歴だけ並べて見ると、東京大学は前記の三人組のうちの中曽根、宮沢は総理になったが、宮沢以降は東京大学法学部卒で総理になったひとはいない。工学部の鳩山由紀夫だけだ。

早稲田大学は、竹下登、海部俊樹、小渕恵三、森喜朗、福田康夫、野田佳彦だ。慶応大学が橋本龍太郎、小泉純一郎。それ以外は一人ずつで、宇野宗佑(神戸商大中退)、細川護熙(上智大学)、羽田孜(成城)、麻生太郎(学習院)、安倍晋三(成蹊)、菅直人(東京工大)、菅義偉である。

さらに、学歴も知力も不要になったのは、ジュニア全盛ということもある。宮沢喜一よりあとの総理のうち、直系の父や祖父が誰も政治的な仕事についていないのは、村山富市、菅直人、野田佳彦だけである。

国会議員でなかったと言えば森喜朗と菅義偉がいるが、これも、父が町長と町議会議員だった。ジュニア同士の出世競争も、知力とは関係ないところで繰り広げられる。昔の政治家が好んだ高尚な話題などすれば嫌われるだけになったのである。

ただし、これは、日本だけの話ではない。海外ではどうだというのは、また回を改めてしよう。

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