焦土のカップル「わしじゃ…」90歳名乗り 被爆翌年撮影、74年越し

 

自身が写った写真を手にする川上清さん=9月、広島市南区

 「これ、わしじゃないの」

 ことし夏、知人から教えられ出版間もない写真集を見ていた広島市南区の川上清さん(90)は、一枚の白黒写真に思わず声を上げた。

 夏の日、屋上のひしゃげたフェンスの間から一組の若いカップルが建物もまばらの焼け野原の街を眺めている。原爆投下翌年に、広島市中心部のデパート屋上から撮られた写真。カップルは川上さんと恋人だったのだ。(共同通信=西村曜)

 ▽焼け跡に希望

 実はこの写真、2年前にツイッターに投稿され話題になっていた。投稿したのは、東京大大学院の渡邊英徳教授(46)。戦争前後の白黒写真を人工知能(AI)でカラー化に取り組み、毎日、同じ日付の過去の写真をカラー化して投稿していた。

 カップル写真は2016年、米国の大学が保存する資料の中に見つけた。白黒で撮影者不明。分かったのは「1946年の広島」だけだった。渡邊教授はカラー化し白黒写真とともに2018年8月6日に投稿した。

原爆投下の翌年に広島市のデパート屋上から焼け野原を見つめるカップルを捉えた白黒写真=1946年

 リツイート(転載)はそれまでで最多の1万7千回を超えた。「カップルが写ってい ることで未来を感じます」「こうやって復興していったのかと思いました」…寄せられたコメントも、思想の左右を問わず冷静なものばかりだったのが印象的という渡邊教授は、「8月6日に出回る写真の多くが被爆の惨状を捉えたものだが、カップル写真には焼け跡に芽吹く希望といったメッセージがあり、それが感動を呼び起こしたのだろう」と分析する。

 反響がきっかけとなり昨年、この写真は共同通信の記者が、敗戦1周年の特集のため広島市中区のデパート「福屋八丁堀本店」の屋上から撮影した写真であることが分かった。渡邊教授と、一緒に活動に取り組む東京大1年の庭田杏珠(にわた・あんじゅ)さん(18)はことし7月、この写真も収めた写真集「AIとカラー化した写真でよみがえる戦前・戦争」を出版した。

「AIとカラー化した写真でよみがえる戦前・戦争」に収録された、原爆投下翌年の1946年に広島市のデパート屋上から焼け野原を見つめるカップルの写真

 ▽デートコース

 川上さんによると、写真の2人は当時16歳。家業のカキ養殖を継ぐため修行を始めたばかりの川上さんと、高等女学校5年生(現在の高校2年生)だった百合子さん。友人の紹介で知り合って間もない頃だったという。

 「今は広島カープの本拠地(マツダスタジアム)になっとる、広島駅近くの線路脇で口説いたんよ」。毎日夕方になると学校まで百合子さんを迎えに行った。焼け野原の広島にデートスポットは乏しく、ただ並んで町を歩くばかり。デパート屋上も定番のデートコースだったという。原爆の傷痕が色濃く残りまだ前を向けなかった日々の中で、2人だけのデートは幸せな時間だった。

写真が撮影された当時の様子を語る川上清さん=9月、広島市南区

 撮影されたときは「瀬戸内海の島の名前を教えよった時じゃ思う」と川上さん。そして共同通信と別にもう一組撮影隊がいたのだと証言した。写真集をまとめた2人によれば、米国立公文書館(NARA)に、米軍が同じアングルで撮影した動画があり川上さんの記憶と一致する。写真のカップルは川上さんと百合子さんに間違いないと判断できるという。

 撮影した記者から後日写真を送ると言われ住所を教えたが届かず、川上さんはどんな写真が出来上がったのか知らなかったという。写真集に幼少期の百合子さんの写真が載っているのに気付いた知人に教えられ、写真集を手にしたそうだ。

 ▽いつ元に戻るのか 

 今回名乗り出たことをきっかけに、2人の写真がツイッター上で「焼け跡に希望」と話題になっていたことを知った川上さん。撮影された当時の気持ちは、そんな反応とはかけ離れたものだったという。

 「悲しいというのを通り越した気持ちで、1年が過ぎても前を向く気にもなれていなかった」。川上さんも百合子さんも被爆者。家族に死者は出なかったが、爆心直下で、当時繁華街だった旧・中島本町(現在の平和記念公園)に住んでいた友人は骨さえ残らず消えた。百合子さんの父親も原爆症で苦しんだ。

 写真集のカラー化写真を見たときも「当時と全然違う。もっと焼け跡全体が黒っぽかった」と思ったという。「街は今にも煙が再び上がりそうなほどの焦土だった。いつになれば広島は元に戻るのかと思いながら眺めていた」と振り返る。

 庭田さんは「希望が感じられる写真だという先入観から全体的に明るい仕上がりになっていたのかもしれない」と、何度も川上さん宅に通って色の修正を重ねた。修正後の写真は、赤っぽかった地面が黒くされ全体的にくすんだ印象になった。

川上さんの証言を元に色を修正した写真

 写真をカラー化させる活動では、AIが付けた色で正しいか、当時を実際に見た人の証言を聞くことも重要な作業だ。ツイッター上でカップル写真を見た人々が想像したものとは違う、川上さんの当時のつらさを知った庭田さんは「証言を聞き、色に反映させる重要性を改めて実感した」と話す。

▽生きていたら… 

 川上さんと百合子さんは撮影から5年後に結婚した。

1950年ごろに撮影された川上清さん夫妻(本人提供)

 74年越しに、自分と妻の恋人時代をみた川上さんは「当時の思い出がよみがえった。妻が生きていたら喜んだろうな」。今年1月、百合子さんは90歳で亡くなった。

 地元漁協で組合長を務めるなど一生懸命働くうちに広島も復興を遂げていった。写真が撮られたデパート「福屋八丁堀本店」は、今も当時の建物のまま営業を続けている。周囲にはビルが林立し、焼け野原の面影は全くない。

74年前に川上清さん夫妻が撮影されたデパートの屋上から見た、現在の広島市内の様子=9月29日

 庭田さんから現在の屋上からの風景を写真で見せられた川上さんは「原爆で灰になってからよくここまで復興したと思う。屋上に立っていた当時は想像もできなかったが、微力ながら自分も復興に携わった一人になったかな」と誇らしげだった。

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