南スーダン:スタッフが目にした、紛争地での緊急医療の現場とは

南スーダン・ピボールでの戦闘で負傷し、治療を受けた29歳の男性 © Caterina Spissu/MSF

南スーダン・ピボールでの戦闘で負傷し、治療を受けた29歳の男性 © Caterina Spissu/MSF

今年に入ってから、南スーダンでコミュニティ間の紛争が頻発している。7月末から8月初旬にかけて起きた戦闘で、国境なき医師団(MSF)はわずか1週間のうちに102人もの負傷者を診療所に受け入れ、36人を病院へ救急搬送し手術などを行った。

このとき現地でMSFの活動を指揮したのは、緊急対応コーディネーターのジャン・ニコラ・ダンジェルゼ。これは、その緊迫した現場での体験をまとめた彼の手記だ。

24時間で負傷者45人

この手記をつづったMSF緊急対応コーディネーターのジャン・ニコラ・ダンジェルゼ © MSF

この手記をつづったMSF緊急対応
コーディネーターのジャン・
ニコラ・ダンジェルゼ © MSF

首都ジュバにあるMSFの事務所に8月3日の晩、ある急報が届いた。

「24時間足らずで負傷者が45人。さらに何百人に増えそうだ」

南スーダンでの任務が3カ月目に突入していた私は、新型コロナウイルス感染症への緊急対応を調整するために派遣された。コロナ禍によって大幅に増えた業務量や、人・モノ不足を改善し、現地チームをサポートすることが私の仕事だ。

そこへ、この一報──。

むろんMSFの調整チームは、数カ月前から北東部にあるジョングレイ州と大ピボール行政区の状況を見守っていた。去る5月に、ジョングレイ州の町ピエリで襲撃が起きたからだ。このときは数百人が死傷、MSFスタッフの1人も亡くなった。そしていま、武装した大勢の若者がその報復に出たのだという。

実は数日前、めずらしく晴れた8月1日に、飛行機で医療物資とスタッフ2名をピエリにあるMSF診療所へと送り出していた。厳しい時期に追加支援なしで、現地チームが全ての医療サービスをまかなうことは難しいと思われたからだ。ふたりは数時間のみだが現場のサポートを行い、再び帰路に就いた。

緊急援助をその日のうちに手配

その急場しのぎの物資供給から2日後に、何十人もの負傷者が診療所に運ばれたのだ。現場チームは24時間体制で臨み、わずか3日で73人の治療を行った。1週間後、その数は100人余りに上った。

一方、現場から定期的に報告を受けていた私たちは、一刻も早く彼らを支えられるよう、小規模なチームの派遣を決めた。ピエリのチームが疲弊するなか、数十人の患者が危篤状態にあり、さらに誰の身にも大きな治安リスクがのしかかっていた。

ピエリの滑走路は洪水により浸水していたため、あちこちの団体に連絡を取り、翌朝飛ぶヘリコプターを手配。移動手段が確保できたところで、食料と通信機器を詰め込み、出発に備えた。

数時間寝て夜が明けると、医師やロジスティシャンと共に小さなヘリに乗り込んだ。私の役割は交渉と治安状況の監視、そして対応の調整だ。その数時間後には別のMSFチームも、争いが起きた前線の反対側で援助活動するため、ピボールへ発つことになっていた。

MSFは8月以降、ジョングレイ州と大ピボール行政区で避難した人びとの医療ニーズに対応している © MSF

MSFは8月以降、ジョングレイ州と大ピボール行政区で避難した人びとの医療ニーズに対応している © MSF

現場のピエリに到着

ピエリにて、負傷者をMSF診療所に運ぶスタッフ © MSF/Shirly Pador

ピエリにて、負傷者をMSF診療所に運ぶスタッフ
 © MSF/Shirly Pador

ピエリのぬかるんだ飛行場に降り立つと、数人の同僚が待ち構えていた。周りには何百人もの人だかりができていて、女性や子ども、高齢者に加え、戦闘から帰還した武装青年団もいる。私たちが来て、致命傷を負った人を治療してくれるかもしれないと、皆、耳にしていたのだった。

負傷者を診察するため、すぐさまMSF診療所へ直行する。切迫した状況であることが感じられた。現地チームからは事前に「患者が何十人もいる」と衛星電話で知らされていた。

診療所へ着くと、重症患者が一番手前に集められていた。銃撃で負傷し、床に横たわった6人の包帯からは血がにじんでいる。

診察が行われている間、私は何人かの患者が咳をしているのに気付いた。新型コロナの懸念がすぐに生じ、搬送作業がさらに複雑になると予想された。以前、ある患者の陽性が確認され、スタッフをしばらく隔離しなければならなかったことがある。

ピエリからMSF病院があるベンティウ市の国連文民保護区までは、ヘリコプターで3時間半ほどかかる。コロナ対策で人との距離を確保したくても、ヘリの狭い機内ではまず実践できない。重体の患者を一人でも多く搬送しなければならない緊急事態では、なおさらだ。搭乗者にはマスクや個人防具を着けてもらい、感染リスクをできる限り抑えた。

それから72時間以内に5回の搬送を行い、計36人の患者がMSF病院へと運ばれた。患者は土壁の診療所から、手術室や外科医、麻酔科医の揃った病院で治療を受けられることになったのだ。

ベンティウ市の病院で治療を受けるジョングレイ州出身の男性(35歳) © Caterina Spissu/MSF

ベンティウ市の病院で治療を受けるジョングレイ州出身の男性(35歳) © Caterina Spissu/MSF

戦闘の影響は計り知れない

私たちがピエリへ着いた当初の数日間は、騒々しかった。何百人もの若者が戦闘から戻ったばかりで、攻撃時に捕まえた数千頭の家畜まで持ち帰っていた。そして昼夜問わず、帰還を知らせる祝砲を挙げるのだ。

その週も終わりが近づくと、ピエリは徐々に日常へと戻っていった。人びとは仕事を再開し、ひっきりなしだった祝砲も止んだ。

今回の緊急対応で何より驚かされたのは、南スーダン人の同僚たちの働きぶりだ。彼ら自身も生活の苦しみを抱えながらも、他の人びとを救おうと献身的に努めていた。

先の報告で聞いていた「何百人もの負傷者」には幸い出会わなかったが、ケガやマラリアなどの病気により途上で亡くなった若者や、あるいは他の地域に向かった者もいたという。

今年のジョングレイ州とピボール行政区では、暴力的な抗争が繰り返され、地域社会に壊滅的な打撃を与えている。保健医療、食料、住居、生活、そして教育への影響は計り知れない。襲撃で負傷した人びとへの医療処置に貴重な人手や物資が割かれ、急性・慢性の病気への対応が追い付かない状況でいる。

ピボールでは昨年の大洪水により河川が増水。浸水による深刻な被害も続いている © Tetiana Gaviak/MSF

ピボールでは昨年の大洪水により河川が増水。浸水による深刻な被害も続いている © Tetiana Gaviak/MSF

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