「過ちは重要ではない」 奇妙な接着剤から生まれたポスト・イット🄬製品開発物語

今はとかく「失敗」を許さない風潮があります。特に日本ではSNSでうかつな失言をすれば炎上し、場合によっては「失敗」「失言」をきっかけに当事者が死を選んでしまうケースまで。失敗は確かに失敗。しかし、「失敗=絶対悪」の空気はとても息苦いものです。

長い歴史を振り返ると、当初は「失敗」だったものの、後に強い影響力を持つようになった例は数多くあります。特に文房具のジャンルで有名なのが3Mの「ポスト・イット® ブランド」。世界中に「付箋」を広めた商品ですが、実は、接着剤開発中の「失敗」から生まれたアイデアによって大成功に至った製品です。®

失敗を大成功に導いたポスト・イット® 製品のヒストリーを、スリーエム ジャパンでマーケティングを担当する坪井壘(るい)さんにお聞きします。


「失敗」の連続から転じられた数々の製品

―粘着式付箋の元祖のポスト・イット® 製品ですが、「失敗」製品が転じられ生まれたようですね

坪井 :はい。はじめに、3Mのカルチャーからお話をさせてください。「失敗」をアイデアで転換、1つのアイデアを次のアイデアや用途の結び付けることで成長したのが、3Mです。ですので、弊社には「失敗だと思うものでも、別の見方をする」「そうすればとんでもないオポチュニティ(好機)が隠されているかもしれない」という考えが、今日まで受け継がれています。

そうしたカルチャーがあったからこそ誕生したのが、ポスト・イットⓇ 製品です。実は、強力な接着剤開発中に偶然出来てしまった「よくつくけれど簡単に剥がれてしまう」という奇妙な試作品が原点となっています。

3Mの総支配人であり、中興の祖とも呼ばれるウイリアム・マックナイト。「誤りは起きる。しかし、それを犯した者が基本的に正しいのなら、長期的に見てその者が犯した誤りは、それほど重要ではない」という名言を残した(写真提供:スリーエム ジャパン)

教会の賛美歌集がペインだった

―接着剤の開発が、どのようにしてポスト・イット®製品に転じられたのでしょうか?

坪井 :ポスト・イット® 製品の粘着剤の開発は、1968年、3Mの科学者で、接着剤の研究をしていたスペンサー・シルバーという人物によるものでした。当時偶然開発された粘着力が弱く、再剥離性を持つ粘着剤は、「何にも使えないじゃないか!」と、この接着剤はお蔵入りになります。

約6年後、前述のスペンサー・シルバーとは別の研究員で、敬虔なクリスチャンだったアート・フライという人物が、教会で賛美歌を歌う際、賛美歌集のページをめくるたびにしおりが落ちることに対し、苛立ちを覚えていたようです。

さらに「ページを破ることなく、紙にくっつくしおりがあればいいのに」と思いたち、その不満を社内共有したようです。そこで6年前にお蔵入りになった粘着性の弱い接着剤(粘着剤)の話と結びつき、ここで「付箋」というものを思いついたようです。

メモノートとしては「失敗」、オフィスユースに活路

―開発当初から、現在のようなクオリティだったのでしょうか。

坪井 :いえ、技術は日進月歩なので、当時と比べたら今の商品のほうが断然優れているのですが、コンセプトや使い方は大きな差はなかったと思います。

この「付箋」は「他にも何か使えるんじゃないか」と思い立ったスペンサー・シルバーとアート・フライは、「全く新しいメモノートになるだろう」と、1977年にアメリカの4大都市で大々的なテスト販売を実施しました。すでに3M社内では「付箋」の評判が良かったので、「きっと素晴らしい結果が出るはずだ」と思っていたのですが、予想に反して報告書の内容はさんざんな結果でした。

―また「失敗」ですね。

坪井 :ただ、この頃のテスト販売と同時にサンプル提供をいくつかの会社の秘書の方に行っていたところ、試した方の9割の方から「本格的な製品化に至ったら絶対購入したい」という回答をいただいたそうです。

そこでオフィスユースには活路があることを見出し、1980年にポスト・イット® ノートを全米で発売しました。発売後は、大規模サンプリングなどのマーケティング活動を通じて広まっていきました。というのも、商品自体に宣伝効果があり、誰かに渡す資料にメモを書いてポスト・イット® ノートを貼ると、それを受け取った人は必ず「これは何?」と好奇心を持ちます。しかも、そのポスト・イット® ノートは貼ったり剥がしたりもできますから、より人の印象に残るものだったようです。

日本では当初、浸透せず

―そのポスト・イット® ノートが日本に輸入されたのはいつ頃のことですか?

坪井 :全米で発売した1980年の翌年のことです。ただ、鳴り物入りで日本でも発売が始まったポスト・イット® ノートですが、アメリカで起きたことが日本でも起こるかと言うと、そんなに甘くなく、「何これ」「どうやって使ったら良いかわからない」といった感想が多く、当初はなかなか響かなかったようです。

日本で伸び悩んだ原因の一つとして考えられたことが、付箋のサイズ感でした。アメリカで最も売れたポスト・イット® 製品は3インチ×3インチの正方形の製品でした。でも、日本市場はこのサイズに馴染みがなく、そこで考えたのがサイズの追加でした。

日本オリジナルとして、75ミリ×25ミリという細長のサイズにカットして販売したところ、大ヒットに至ったようです。

―なぜ、「75ミリ×25ミリ」がウケたのでしょうか?

坪井 :実は日本には、端部に赤い色がついた付箋紙のような商品が伝統的に存在しました。これは切手のように水で濡らして貼り付けるタイプで、はがす際に原本や書類が傷ついたり破けたりしがちでした。これに近いサイズが75ミリ×25ミリだったんです。

その上で、「貼ったり剥がしたりできますよ」ということが多くの人に伝わるとどんどん売れ始めたそうです。

今日にも受け継がれている「75ミリ×25ミリ」のポスト・イットⓇ 製品(写真提供:スリーエム ジャパン)

他社の付箋と圧倒的に違う点とは?

―ポスト・イット® 製品のヒット以降、各社から「付箋」製品が販売され始め今日に至っています。他社製品と絶対的に違う点はどういったところでしょうか?

坪井 :ポスト・イット® 製品の特長は粘着度が強めで剥がれにくいところです。ポスト・イット® ブランドでも、独自の技術を使い、製品ごとに粘着剤を使い分けています。

特に、強粘着タイプのポスト・イット® 製品は2000年代以降、特に好評をいただいています。当初はノートや本などに貼るために作っていたポスト・イット® 製品ですが、近年ではパソコンの脇にちょっとメモを残しておくなども増えていまして、これまで貼りづらかった樹脂面や垂直面にも貼れるように対応した製品です。

―しかし、そもそも「貼って剥がせる」という粘着性能のバランスも難しそうですし、さらに強粘着となると、より開発が難しそうな気がします。

坪井 :おっしゃる通り、粘着強度をアップさせながら、糊残りを残してはいけないという、ある意味でトレード・オフの関係を実現するわけですから、技術的にはかなり難しいです。お使いいただく際にポスト・イット® 製品の技術を感じていただけると嬉しいです。

また、粘着剤が厚くなると、紙自体がカールしやすくなる問題もあります。付箋を使うということは、何かの目印にしたり、メモとして書き込んだりするためですから、紙自体がカールしてしまっては本末転倒です。そこで、「付箋紙表面への書き込みのしやすさ」「カールのしにくさ」といった点もかなりこだわって開発しています。

ノートや本だけでなく様々な物に貼る人が増え、通常の付箋よりも強い粘着力を求められるようになった(写真提供:スリーエム ジャパン)

コロナ禍に投入した新製品

―特に今は、コロナ禍によるリモートワークの浸透などで、オフィスユースが減り、ポスト・イット® 製品へのニーズもだいぶ変わったと思います。現状の市場動向と今後の戦略は

坪井 :新しい生活様式となる中、「だからこそ新しいニーズが生まれるはずだ」と考えています。

特に、この夏発売したコネクトディスペンサー/ホルダーという商品は、新しい生活様式になる前から言われていた「働き方」の変化を意識して開発した製品です。

これまではオフィスなどだけで使われていたポスト・イット® 製品ですが、今の仕事場は勤務先のオフィスに限らず、自宅、コワーキングスペース、シェアオフィス、カフェなど様々に変わってきています。こうした「働き方」の変化に呼応し、「どこでも、どんなときでも使える」よう、作業する場所に手軽にポスト・イット® 製品を設置できるコネクトディスペンサー/ホルダーをリリースしました。最小のスペースで文房具を机の上などの取り出しやすい場所に置いておけるのが特徴です。

コネクトディスペンサー/ホルダーは、同梱の特殊テープによって壁面などにつけることもできる。もちろん接着剤に知見のある3M製品なので、簡単に取れたりはしない(写真提供:スリーエム ジャパン)

スマート化に対抗する「優しいコミュニケーション」

―また、あらゆる物、コミュニケーションが、急速にスマート化されていますが、この時代にあっての「付箋」、ポスト・イット® 製品の意義をお聞かせください。

坪井 :デジタルの情報交換は確かにわかりやすいソリューションです。しかし、これは情報を発信する側の便宜性を優先するだけで、果たしてその情報を受け取る側に対して優しいものかと言うと、そうじゃないのではないか、というのが私個人の意見です。

家庭での情報伝達を例にすると、午前中、お子さんは受験勉強のために自習室に通っている。夕方に家に戻った際にお母さんは外出している場面があったとします。

お子さんに対して「おやつをテーブルに用意しているよ」という情報をデジタルツールで朝10時の時点で送った場合、その時間帯に受け取ったお子さんは、その場で「わかった」と思っても、実際に「おやつ」のことを考えるのは自宅に戻る夕方です。

つまり、送り手の都合で情報を送っても、受け手はその時間には別のことをしていて、必ずしもその情報を必要としていないかもしれない。もしかしたら、送り手の都合で送られた情報を、受け取った側は全部受け取って整理して、夕方まで覚えておかなければいけないかもしれない。
デジタルによって、全てのコミュニケーションがスムーズになると考えられていますが、これは実は円滑な情報のやりとりではないように思えてなりません。

デジタル化によるすれ違いをつなぎたい

その点、例えばお子さんが家に戻ってきて、初めておやつの情報を欲したとき、例えば家庭の分かりやすいところにふせんが貼ってあり、「おやつはこれだよ」と書いてあれば、受け手にも優しいコミュニケーションになのではと思います。

これは家庭での例え話ですけど、どんなシチュエーションであっても行動のすれ違い、お互いの環境の違いに対する課題は、むしろ今後はもっと叫ばれるようになると思います。その上で、行動のすれ違い、お互いの環境の違いをうまく繋ぐアナログのコミュニケーションツールとして、ポスト・イット® 製品がよりお役に立てる機会があるのではないかと思っています。

1980年に誕生し今年で40周年を迎えたポスト・イット® ブランド。これを記念してリリースされたポスト・イット® 強粘着ふせん マルチカラー スペシャルセット(写真提供:スリーエム ジャパン)

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