2020年から小学校でもプログラミング教育が必修化されたことで、「プログラミング教育の重要性」が説かれることが多いですが、実はそれ以上に大切なのは「キーボーディング」だと、角川アスキー総研の遠藤諭氏は言います。いったいどういうことなのでしょうか。
米国の学校で重要視されているスキル「キーボーディング」
グーグルで米国法人副社長や日本法人会長を務められた村上憲郎さんに、子どものプログラミングに関するシンポジウムにご登壇いただいたことがありました。そのとき村上さんが「キーボーディング」について話をされました。
キーボーディング(Keyboarding)とは、文字通りコンピューターのキーボードを打つこと。英語のまま検索してみると、このキーボーディングのスキルが上がるサイトや本の情報が、思いのほか出てきます。「プログラミングのシンポジウムで文字入力の話?」と思いましたが、お話をうかがっていくと、その日のテーマに即した、非常に意味のある内容だとがわかりました。
村上さんがお仕事で米国に住んでいたとき、小学生の娘さんが、学校でキーボードを使うことを徹底的に教えられ、そしてさかんに「エッセイ」(作文)を書く課題が出されたそうです。日本の小学校でも、もちろん作文や読書感想文という課題はあるわけですが、米国の学校ではしつこいほどたくさん出さたそうで、これがよかったというお話しなのですが、ここで勝手に整理しなおしてみると、次のようなことなのだと思います。
- キーボードによって鉛筆よりもラクに書ける
- それによって、自分の考えをアウトプットすることに慣れる
- ワープロやエディターを使うので、削除や入れ替えを大胆にやるようになる
- それによって自分の考えを省みて、ふたたび整理することを覚える
- コンピューター上のデータとなる
- 手書きより読みやすくなり、あとで利用したり発信したりできる
もう1つ重要なのは、日本の作文は「夏休みの思い出」のような自分の《気持ち》を書く傾向があるのに対して、米国のエッセイは自分の《考え》を伝えることを重視しています。「Five Paragraph Essay」(5段落エッセイ)などというのですが、説得力のある文章の書き方まで決まっている。小学生でどこまで、とも思えますが討論と説得の国です。
今、子どもとコンピューターの話題は《プログラミング偏重》かもしれない
GIGAスクール構想によって、日本の子どもたちが学校で1人1台のPCを使えるようになるというのは大変にすばらしいことです。そのコンピューターはどのタイプを導入するのがよいのかなど(Windows 10搭載PC、Chromebook、iPadの3つのOSから選ぶことが決められている)、非常に賑やかな状態です。しかし、そのときに1つだけ気になっていることがあります。
それは、あまりにも「プログラミング教育」だけが前面に出ていることです。今年から必修化がはじまるという背景はわかります。しかし、コンピューターを使うことで、便利なこと、楽しいこと、学びになることはもっとたくさんあります。プログラミング・コンテストを主催する側の私が言うのもヘンなのですが、子どもとコンピューターの話題は、やや「プログラミング偏重」なのが今だと思います。
コンピューターを使うというのなら、基本的なことがいくつかあります。たとえば、スポーツでもなにか学問的なジャンルでも遊びでも、それをやるための基礎的な知識やトレーニングや心構えがあると思います。そのいちばん基本的な部分として、キーボーディングとエッセイを書くことの意味を紹介されたのでした。
ワークショップなどで、「Scratch」や「Viscuit」などに早い時期に触れておくことは、それとは別の意味があると思っています。次の機会に触れたいと思いますが、経験的に、テクノロジー的なことに苦手意識をもつ前に触ってしまうとよいからです。しかし、基本としての知識やトレーニング、セキュリティやマナーなど心構えは、それ以上に大切なこととも言えます。
プログラミングの前にコンピューターでやっていいこと
キーボーディングは、「コンピューターリテラシー」(Computer literacy)という言葉で説明されてきたことです。「リテラシー」とは「読解記述力」と訳されるので、「読み・書き・ソロバン」の「読み・書き」の部分に相当します。
コンピューターの基本操作を覚えて、ワープロや表計算を使えるようになれば、子どもが宿題などでやるステージもあがるでしょう。子どもが学校でやることと大人のオフィスワークには、共通した部分も多いからです。たとえ小学生でも、そうしたソフトは問題なく使えるようになるでしょう。
ところで私が、村上さんのお話をうかがっていて興味深いと思ったのは、そうした「読み・書き」が学びの基本であるという部分だけではありませんでした。最初のほうで挙げた4つの「キーボーディングとエッセイを学ぶことで得られること」は、そのままプログラミングにも当てはまるということです。
少し意外ではあるのですが、プログラミングも作文も、何が学べるかという点に関しては共通しているのです。ということは、プログラミングの前にキーボーディングとエッセイをやるというのもありだということです。
プログラミングで得られるものは《論理的な思考力》だ、という意見もあると思いますが、私はあまりそうだとは思ってはいません。むしろ、エッセイの書き方の「5段落エッセイ」のように、「決まったやり方がきちんとできる力」だと思っています。
たしかに、プログラムを作るときには、論理的にものごとをとらえてコードを書いていきます。しかし、それは子どもでもふだんの生活の中で「雨が降りそうだったら傘を持っていく」とか、「階段を10段上がったら踊場に出る」といった程度のことです。注意しなければならないのは、プログラミングでは、ふだんの生活では使わないような、パズルなみに頭ひねってプログラムをつくることもできることです。しかし、そのようなプログラムは、得てしてバグが発生するもとになります。
凝りに凝ったプログラムを苦労して何度も直して動いたときに、一定の達成感が得られるのも事実です。ところが世の中では、そのように他の人が見て理解できないようなプログラムはまったく求められていません。世の中で求められているプログラムは、よい作文(エッセイ)と同じように、人が見てもわかりやすくてコンピューターが誤解なく実行できるものなのです。
人が見てもわかりやすいものであるべき理由は、いちど書いたプログラムを、あとで自分自身や自分の仲間が、よりよいものに修正(アップデート)したり、想定していなかったバグを直すときのためです。
ことほどさように、プロクグラミングと作文(エッセイ)は似ているというわけです。逆にいえば、人に説明したり説得したりするエッセイのほうは、日本人が考えているよりも論理的であるべきということかもしれません。しかし、それはあくまで読んでいって理解できる範囲の論理性ということです。このあたり、しばしばいわれる「プログラミング的思考」については、あらためて書かせていただこうと思っています。
キーボードに話を戻させてもらうと、実はプログラミング教育をされている先生からキーボードに感することを耳にすることがありました。大学の先生からは「せめて高校生のときにきちんとキーボードを教えておいてくれたら」と、高校の先生からは「せめて中学生のときにキーボードを教えておいてくれたら」というのです。
キーボードなんか子どもはすぐに覚えてしまいそうでもありますし、たかだかキーを押したら文字が入るだけのことに見えます。しかし、プログラミングも含めたあらゆる場面で、コンピューターを使う人を助けてくれるのが《キーボーディングがきちんとできていること》なのです。日常的にキーボードを使っていくことが大切ですが、練習サイトやソフトもあります。「タイピング 練習」などのキーワードで探して試してみてください。
そのようにコンピューターを広い視野でとらえて、もっと使い、もっと楽しみましょう。
これまでの【遠藤諭の子どもプログラミング道】は