伝える、伝わる

 手を小まめに洗うようになったり、ご自宅で過ごす時間が増えたりと、新型コロナで生活の習慣が変わった人はごまんといるに違いない。先日、読者の女性から、ありがたくも恐縮するはがきをもらった。コロナ禍で外出が減った今春から、本欄の書き写しを続けているという▲ノートを読み返しては過ぎた日々を思い出すのも「楽しい時間です」。便りにはハッとさせられる所もあった。「杞憂(きゆう)」「剥(は)がす」-と、ここでは読み仮名を振るが、前に本欄に載った時は読み仮名がなく、これらを読めなかったという▲分からない漢字は調べ、毎日が頭の体操です-。温かな文を読みながら、こちらは自問する。その漢字を書いたとき、読みづらさに多少なりとも想像は及んだか、と▲漢字に限らず、読めなければ伝わらない。読まれなければ伝わらない。新聞週間がきのう始まった。新聞を作る側の私たちが「伝える」とは何か、胸に問う頃でもある▲記事は分かりやすいか。読む人が関心を持ち、求める情報を届けているか。「伝えたつもり」になっていないか。いくらかでも誰かのためになっているか。新聞週間にちなみ、社会面では記者たちが取材に寄せる思いを書き、迷いもそのまま明かしている▲「伝える」と「伝わる」。似て非なる二つの動詞を、ほろ苦くかみしめる。(徹)

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