幼なじみの夫が語ったヴァン・ヘイレンの原点 「エディ、ありがとう。そして、大好きだよ」

エディ・ヴァン・ヘイレンさん=2012年3月、米ニューヨーク(UPI=共同)

 10月6日、世界中のロックファンを悲しみが襲った。米人気ロックバンド「ヴァン・ヘイレン」のギタリストとして活躍したエドワード(通称・エディ)・ヴァン・ヘイレンさんが咽頭がんのため65歳で死去したのだ。

 エレキギターの弦を右手の指先でたたきつけて音を鳴らす「ライトハンド奏法」に代表される神業テクニックで、数多くの人々を魅了したエディ。1984年に大ヒットした「ジャンプ」やマイケル・ジャクソンの人気曲「今夜はビート・イット」(83年)など生涯にわたって力強く、そして美しい旋律を奏でた。ロック史に残る偉大なギタリストの死を最も悼んだのがオランダの人々だった。(オランダ在住ジャーナリスト、共同通信特約=稲葉かおる)

 ▽「ファン・ハーレン」

 それもそのはず、エディは7歳までオランダで育った「オランダ人」なのだ。新天地を求めた家族とともに大西洋を渡り、米国西海岸のカリフォルニア州に移住する。その後、米国籍を取得したエディだったが母国オランダとのつながりを失うことは決してなかった。

 「国籍が変わろうが、名字が変わろうが、生まれ育った場所を変えることはできない。僕らにとってオランダは特別な国だ」

 オランダへ凱旋(がいせん)した際に出演したテレビ番組でエディが発した言葉だ。隣にはいつも2歳年上の兄で「ヴァン・ヘイレン」のドラム・アレックスがいた。オランダを離れてから長い時間がたっているにもかかわらす、英語ではなく流ちょうなオランダ語で答えている。ここに母国を大切に思うエディ、そしてアレックスの思いがよく表れている。

 オランダでのインタビューでは、エディは常にオランダ語で受け答えしている。別の番組では「オランダ語をぜんぜん忘れていないね! すごい!」と称賛するインタビュアーに対し「ほぼ毎日、近所に住んでいる母とオランダ語で話しているからね」と答えてもいる。

 そんなエディをオランダ人は心から愛していた。だからだろう。オランダでは「ヴァン・ヘイレン」ではなく、親しみを込めてオランダ語読みの「ファン・ハーレン」と呼ぶのが一般的だ。

「今夜はビート・イット」を演奏するエディ・ヴァン・ヘイレンさん(左)とマイケル・ジャクソンさん=1984年7月、米テキサス州(AP=共同)

 ▽おもちゃの太鼓に夢中

 オランダ東南部の町・ナイメーヘン。隣国ドイツまで直線距離で約7キロという国境近くのこの町でエディは幼少時を過ごした。

 実は筆者の配偶者もこの町で生まれた。そして、エディとアレックス兄弟の生家のすぐ近くに住んでいた。同世代ということもあって、自然と一緒に遊ぶようになった。

 「エディとアレックスはとても仲が良かった。まるで、双子のようだったよ」

 50年以上も前のことなので配偶者の記憶には、さすがに曖昧なところもある。だが、2人の仲の良さは今でもしっかりと覚えている。

 同時に、家の中ではおもちゃの小さな太鼓を夢中になってたたいて遊んでいた姿も鮮明に残っている。後にエディはドラムから本格的に始めたが、その片りんが伺える。ちなみに、当時ギターを担当していたのはアレックスだった。しかし、ドラムに興味を示すようになったアレックスが楽器の交換を申し出たことがきっかけでギターを手にした。

演奏するエディ・ヴァン・ヘイレンさん=2004年8月、米フェニックス(AP=共同)

 ▽笑みを絶やさない「ギター小僧」

 エディたちの母親ユージーニアは、オランダ領東インド(現在のインドネシア)出身である。写真を見ると小柄で美しく、いわゆるアジアン・ビューティと呼ぶにふさわしい女性だ。

 ヴァン・ヘイレン、中でもエディのファンとなった知り合いの日本人に話を聞くと、彼の笑顔に「何か」を感じるという。具体的に言うと、笑みを絶やさず楽しそうにギターを演奏するエディを見るたび、「同級生に一人はいたギター小僧」や「近所のお兄ちゃん」に抱くような懐かしさと親しみを覚えたのだ。

 彼らにそう思わせた原因としては、エディに流れる「アジアの血」が少なからず影響している。筆者はそんな風に推測している。

 父親のヤンはオランダ人。サクソフォンとクラリネットのプロ奏者で、息子たちの音楽教育には非常に熱心だった。事実、2人とも音楽に囲まれて育ち、幼少期よりピアノやバイオリンを習っていた。多くの人がミュージシャンとして成功できた背景として、このような環境を指摘している。

 華やかなりしスターとしての才能を開花させたエディだが、健康上の問題を常に抱えていた。それを隠すべく観客に振りまいた笑顔、そして誰にもまねできない彼独自の奏法を編み出した才能と努力を思えば、彼が病魔に侵された経緯をこの場で改めて述べるのはやぼというものだろう。

エディが家族と住んでいた住居の前には花が供えられていた=稲葉かおる撮影

 ▽今なお「隣の幼なじみ」

 「ヴァン・ヘイレン通り」を設けよう―。今、ナイメーヘンではこんな運動が盛り上がっている。10年ほど前から有志が町役場に働きかけていたが、エディの死を受けて再燃した形だ。

 配偶者は幼なじみのエディを失ったショックから抜け出せていないようだ。

 エディが両親とともに住んでいた住居は、わが家から歩いて5分ほどの場所にある。「供花しに行かない?」と、筆者が何度か提案した。しかし、返事は決まって「とてもそういう気にはなれない」。

 詳しく聞くと、花をささげることでエディがさらに遠くに行ってしまう気がして悲しみが増すのだと寂しそうにつぶやいた。彼にとって、エディは今でも思い出の中に生きる「お隣の幼なじみ」なのだ。

 素晴らしい音楽と、ほほ笑ましい思い出を残してくれたエディに感謝を込めて次の言葉を贈りたい。

 Bedankt Eddie,we houden heel veel van jou!(ありがとう エディ、大好きだよ!)

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