スティーヴィー・ワンダーが社会に向けたメッセージソング5選:政治や差別、人種問題を歌った名曲

Photo © Wonder Productions, Inc., Photo by Dante Marshall

2020年10月に4年ぶりとなる新曲「Can’t Put It in The Hands of Fate」と「Where Is Our Love Song」を米大統領選挙前に2曲同時に発表したスティーヴィー・ワンダー。日本では様々なテレビCMにも出演し、その陽気なキャラクターでファンキーな楽曲やラブソングを歌うイメージも強いが、今回発表した新曲のように、過去の名曲にも社会的、政治的なメッセージを込めたものも多い。そんな楽曲を音楽ライターの林 剛さんに解説頂きました。

____ 

「トランプを大統領に選ぶのは、自分に車の運転をさせるようなものだ」

2016年の米国大統領選挙でドナルド・トランプ(共和党)とヒラリー・クリントン(民主党)が舌戦を繰り広げていた時にスティーヴィー・ワンダーが発した名文句だ。盲目の黒人にして民主党を支持する彼らしい皮肉に満ちた言葉だった。

かようにスティーヴィーは昔から積極的に政治的発言をしてきたミュージシャンであり、先日も、今年5月のジョージ・フロイド殺害事件で再燃したブラック・ライヴズ・マター(BLM)運動を受け、奴隷解放記念日(6月19日)のタイミングで撮影したメッセージ動画を自身のYouTubeチャンネルに投稿。キング牧師の誕生日を祝日にするのにどれだけの時間がかかったかなども含め、彼の主張や見解を5分ほどにわたって述べた。〈The Universe Is Watching Us〉と題したこの動画は、9月にも続編をアップ。むろん、これらは今回の米国大統領選挙を前にしてのステートメントでもある。

そうしたメッセージは、これまでに発表された楽曲からも聴き取ることができる。60年代中期、社会〜政治意識を持ち始めたスティーヴィーは、ベトナム反戦運動や公民権運動の中で誕生したボブ・ディランの「Blowin’ In The Wind(邦題:風に吹かれて)」をカヴァー。これはモータウンが政治色を持ち込むことに難色を示していた時代(1966年)にシングル発売されたが、結果、大ヒット。

その続編とも言える曲として、同年には「A Place In The Sun(邦題:太陽のあたる場所)」(作者はロン・ミラーとブライアン・ウェルズ)を出し、こちらも大ヒットした。〈Movin’on, movin’on〉と同胞を鼓舞するように歌われるこれは、自作曲ではないもののスティーヴィーのオリジナル曲としてはほぼ初めてとなるメッセージ・ソングとして知られている。

そんなスティーヴィがマーヴィン・ゲイ同様、お決まりのモータウン・サウンドから脱却し、自分の言いたいことを歌にしようとプロデュース権を獲得した話は、映画『メイキング・オブ・モータウン』でも語られている通り。70年代に入ってからの彼は、ロバート・マーゴレフとマルコム・セシルの援護を受けながらシンセサイザーなどを駆使してサウンドの革新に挑むと同時に、政治をはじめ、人種や貧困の問題に斬り込んだポリティカルな楽曲を積極的に放っていく。ここではそうした70年代以降のメッセージ・ソングの中から広く知られている曲を、先日発表された新曲とあわせて5曲(+α)紹介したい。

1. Living For The City

社会的メッセージが込められたモータウン発のアルバムとしてマーヴィン・ゲイの『What’s Going On』(1971年)と並び称されるスティーヴィーの『Innervisions』(1973年)は、ドラッグや人種問題などに触れた曲を収録している。その中でもとりわけ鋭いリリックと歌で迫るのが、「汚れた街」の邦題で知られる本曲。スティーヴィの声がとにかく怒っている。リリックがわからなくても何かを訴えている様子が伝わってくる。

歌の内容は、差別が激しかった米南部のミシシッピ州で生まれ、両親に都会で逞しく生きていけるようにと育てられた男性の物語。だが、その両親や兄弟は有色人種であるがゆえに雇用差別を受け、ギリギリで生きている。また、姉は(おそらくバス・ボイコット運動で)徒歩で通学しているので、スラリとした脚は健康的だと皮肉を込める。やがて青年になった主人公もニューヨークのストリートを徘徊し、汚れた空気を吸って死にそうになりながらもかろうじて生きている。そんな彼らの苦悩や失望を、やるせない気分で語気を強めながら歌っていくのだ。

パトカーのサイレンが鳴り響き、麻薬所持の疑いで10年の禁固刑を言い渡されるという後半の寸劇も生々しい。そして最後には、青年の心の叫びとして、「でも、自分たちがこの世界を変えなければ、すぐに破局を迎える」というメッセージを呻くような声で歌う。

そもそもこの曲は、発売の前年にニューヨークのクイーンズで銃所持の疑いをかけられた10歳の少年が警察に射殺されたことに心を痛め、葬儀に参列したスティーヴィーが警察の横暴を世に知らせる必要があると思い立って書いたとされる(諸説あり)。ヒット・チャートでは1973年にR&Bチャート1位を記録したが、これに心を動かされたレイ・チャールズも1975年にカヴァーして話題を集めた。スティーヴィーが音楽を担当したスパイク・リー監督作『ジャングル・フィーバー』(1991年)では、クラック密売シーンにて本曲が使用されたことも付け加えておく。

 

2. You Haven’t Done Nothin’

邦題は「悪夢」だが、タイトルを直訳すれば「あなたは何もやっていない」。“あなた”とは誰か。リチャード・ニクソン大統領のことである。1972年6月、ワシントンDCにある民主党全国委員会本部にニクソン大統領再選委員会のメンバーらが盗聴装置を仕掛けようとしたことに端を発するウォーターゲイト事件。それに対して、スティーヴィーが大統領に怒りをぶちまけた曲だ。

当時同じような大統領糾弾ソングとしては、ブレイクビーツの古典として知られるロイ・C一派のハニー・ドリッパーズ「Impeach The President」(1973年)などが登場しているが、スティーヴィーも『Innervisions』収録の「He’s Misstra Know-It-All(邦題:いつわり)でニクソンを糾弾していた。もっと言えば、『Talking Book』(1972年)に収録した「Big Brother」でもニクソン大統領と思われる人物に不満を述べている。本曲「You Haven’t Done Nothin’」はその流れにあると言っていい。

1973年8月の交通事故で瀕死の重傷を負うも奇跡的に生還したスティーヴィーがその体験も反映させながら完成させた1974年作『Fulfillingness’ First Finale』、そこで披露したクラビネット大活躍のファンク・チューンだ。ニクソン大統領が再選しことで改めて怒りが込み上げ、「僕らが望むのは他でもない真実だけだ」などと歌いながらストレートに大統領を批判している。当時モータウンのレーベル・メイトだったジャクソン5を招き、彼らと一緒に〈Doo,doo-Wop〉と歌っていることでも知られている。シングルが発売されたのは、奇しくもニクソン大統領が辞任した1974年8月9日の2日前、8月7日だったというのも痛快極まりない。

 

3. Happy Birthday

『Hotter Than July』(1980年)のラストを飾るこの曲は、シンセサイザーを基調とした陽気なリズムとキャッチーなメロディ、お祝いムード溢れるコーラスの親しみやすさもあって、誕生日パーティーでかけられることも多い。だが、曲が作られた背景には切実な理由があった。

誰の誕生日を祝っているのかといえば、公民権運動のリーダーとして先頭に立ちながら1968年にメンフィスで銃弾に倒れたマーティン・ルーサー・キング。これはキング牧師の誕生日を国民の祝日にしようと求めた市民運動のアンセムであった。なにしろ冒頭から、「おかしいと思わないか? あなた(キング牧師)の誕生日を祝うことを反対する奴らにこそ法律があって当然なのに…」という嘆きから始まる。そして、「正義のために命を捧げた人間の成し遂げた偉業を祝う日を設けることができないなんて」などと歌っていくのだ。

その甲斐あって、1983年11月にキング牧師の誕生日(1月の第3月曜日)を祝日とする法案が可決。それに署名したのが、白人富裕層に有利なレーガノミクスを推進し、黒人などのマイノリティを困窮に貶めたロナルド・レーガン大統領だったというのも皮肉であったが、初施行となった1986年からは国民の祝日として定着している。

その初施行日には、カーティス・ブロウが音頭を取り、当時のヒップホップ/R&Bアーティストたちがキング牧師のバースデー祝日化を記念して歌った「Kings Holiday」がリリースされたが、この曲もスティーヴィーの尽力なくしては存在しなかったはず。

“音楽で世界を変える”というセリフは白々しく聞こえるものだが、「Happy Birthday」に関しては、本当に音楽が世の中を変えてしまった数少ない例と言える。ちなみに『Hotter Than July』では、「Cash In Your Face(邦題:哀しい絆)」というメッセージ曲も披露しており、黒人であるがゆえに家が借りられない住宅差別について歌っている。

 

4. Ebony and Ivory

ポール・マッカートニーとのデュエット・ソング。曲の作者はポールで、ジョージ・マーティンのプロデュースによってポールの1982年作『Tug Of War』に収録された。ポールはビートルズ時代にスティーヴィーが所属したモータウンの音楽に影響を受け、スティーヴィーもビートルズ「We Can Work It Out」のカヴァーを1970年に発表、その後の作品においてもビートルズの音楽にヒントを得て創作するなど、お互いをリスペクトし合っていた。

人種融和の曲を黒人シンガーと歌うという発想はポールによるものだが、ピアノの黒鍵(エボニー)と白鍵(アイヴォリー)を黒人と白人に擬えたのはスティーヴィーの発案とされる。「ピアノでは並んで調和を保っているのに、なぜ僕ら人間にはそれができないんだ?」と問いかける歌で、ミュージック・ビデオも、スケジュールの都合で別撮り(合成)だったようだが、ふたりがグランドピアノの前に並んで歌う様子は、まさしく人種融和のメッセージとなっている。

ポールらしいポップで柔和なメロディに乗せて歌われるメッセージ(「人間には美点も欠点もある。でも共に生き延びるためには大切な何かを互いに分け合うことだ」)はシンプルで普遍的だが、そのわかりやすさゆえに万人の心に響いた。演奏もふたりで分け合い、スティーヴィーはキーボードやドラムなどを担当。日本を含む多くの国で大ヒットし、この後、ポールがマイケル・ジャクソンと「Say Say Say」や「The Girl Is Mine」で、また、フィリップ・ベイリーとフィル・コリンズが「Easy Lover」で“エボニー&アイヴォリー”な共演をしたのも、本曲あってこそだろう。

一方で、「I Just Called To Say I Love You(邦題:心の愛)」(1984年)がアカデミー歌曲賞を受賞した際にスティーヴィーが「ネルソン・マンデラの名において、この賞を受賞します」とスピーチしたことによって、アパルトヘイト(人種隔離政策)下の南アフリカでは「Ebony and Ivory」が放送禁止になるという、曲のメッセージとは真逆を行く出来事もあった。また、スティーヴィーは1985年2月に南アフリカ政府に抗議するデモに参加して逮捕されているが、そんな屈辱を味わった彼は、『In Square Circle』(1985年)にて「It’s Wrong (Apartheid)」、『Characters』(1987年)にて「Dark N’ Lovely」というアパルトヘイト反対を表明した抗議ソングを披露している。

 

5. Can’t Put It In The Hands Of Fate

今年10月13日、スティーヴィーは新曲「Can’t Put It In The Hands Of Fate」と「Where Is Our Love Song」を2曲同時発表した。しかも11歳の時から在籍していたモータウンからではなく、自身のレーベル「So What The Fuss Music」(レーベル名は2005年作『A Time To Love』に収録したプリンス参加曲に由来する)を傘下に置いたリパブリック・レコーズからのリリース。

そのアートワークが伝えているように、前記のような曲を送り出してきたスティーヴィーらしく、両曲ともにコロナ禍や人種差別で揺れる世情を反映したメッセージ・ソングとなっている。特にラプソディー、コーデイ、チカ(・オラニカ)、バスタ・ライムスがラップで参加した「Can’t Put It In The Hands Of Fate」は、数年前にラヴ・ソングとして書いていたものを、BLM運動を受けて歌詞を変更。

Stevie Wonder – Can't Put It In The Hands of Fate feat. Rapsody, Cordae, Chika & Busta Rhymes

「オール・ライヴズ・マターなんて信じられない。狂った現在の状況を変えるためには待っているだけではダメだ。運命に任せてはいけない。今が変革の時だ」と力強く訴える。それは大統領選の投票を促す目的でもあるはずで、ゴーゴーのパーカッション・アンサンブルを基調にした曲になっているのは、ゴーゴーが、ホワイトハウスがあるワシントンDC発祥の音楽だからなのかもしれない。

ゲイリー・クラーク・ジュニアのギターをフィーチャーした「Where Is Our Love Song」も、18歳の時に作っていたメロディに、「対立は心の傷にしかならない」という、愛や平和、団結のメッセージを込めた歌詞を乗せた曲。ここでは自身の子供たちや、ウォーリン・キャンベルとその妻エリカ・キャンベル(メアリー・メアリー)らをバック・コーラスに従えて歌っている。

 

以上、社会や政治にコミットした5曲(+α)を新曲含めて紹介したが、スティーヴィーのメッセージ・ソングは、もちろんこれだけではない。例えば、『Songs In The Key Of Life』(1976年)では「Village Ghetto Land」にて貧困に喘ぐゲットーの生活を歌っていた。また、『Where I’m Coming From』(1971年)収録の「Think Of Me As Your Soldier」のようにヴェトナム戦争に因んだ曲もあり、特に1982年のベスト盤『Stevie Wonder’s Original Musiquarium I』に新曲として収録した「Front Line」では戦争で片足を失った復員軍人の視点で反戦を唱えていた。今これを聴くと、マーヴィン・ゲイ『What’s Going On』の収録曲を使ったスパイク・リー映画『ザ・ファイヴ・ブラッズ』の主人公たちの姿も目に浮かぶ。

今回の移籍先であるリパブリック・レコーズは、BLM運動の高まりを受けて、これまで主にR&Bやヒップホップを指す呼称として人種差別的だと一部で言われながらも使われてきた“アーバン(Urban)”という言葉を、今後は使用しないと、いち早く表明したレーベルだ。

移籍に際してはインディア.アリーの助言もあったようだが、近年までモータウン唯一の生え抜きだったスティーヴィーがリパブリックを選んだのも、結果的にではあるが、彼の政治的態度と合致している。もっとも、Varietyの記事によれば、本人は「モータウンを離れたが(心は)モータウンから離れていない」と言っており、かねてから企画していたゴスペル・アルバムはモータウン(おそらくモータウン・ゴスペル)から出すようで、縁が切れたわけではない。

もう何十年も“スティーヴィー・ワンダー”というブランドのもとで歌い続け、闘い続けてきた彼にとって、レーベルがどこであるかは大きな問題ではない。かつてステージでハーモニカ片手に歌いながらコール&レスポンスで会場を沸かせた少年が、70歳になった今もリスナーに問いかけながら人々の士気を高め、鼓舞する音楽を発信していることに、こちらも勇気をもらっている。

Written by 林 剛

© ユニバーサル ミュージック合同会社