メクル第496号 「鋭い切れ味 伝統の技」 鍛冶屋 田中勝人さん

熱した鉄を金づちでたたいて形を整える田中さん=大村市、田中鎌工業

 オレンジ色になるまで熱された鉄やステンレスなどの金属(きんぞく)に、金づちが振(ふ)り下ろされ、火花が飛び散る光景を、テレビなどで見たことはありませんか。鍛冶(かじ)とは金属を加工する作業のことで、刃物(はもの)や工具、農具などの製造(せいぞう)、修理(しゅうり)を行う職人(しょくにん)が鍛冶屋です。

◆全(すべ)てが手作業
 包丁の切れ味を左右するのは、「鋼(はがね)」という硬(かた)い素材(そざい)です。家庭で使われる一般(いっぱん)的な包丁はその鋼を、柔軟性(じゅうなんせい)のある「軟鉄(なんてつ)」で挟(はさ)み込(こ)むようにして作られています。それらを千度以上に熱し、手早くたたいて延(の)ばしていきます。この「鍛造(たんぞう)」と呼(よ)ばれる作業を繰(く)り返すことで金属の密度(みつど)が高くなり、刃の強度が上がるのです。
 田中鎌工業(たなかかまこうぎょう)では鍛造から、形を整えて切断(せつだん)、削(けず)り、研(と)ぐまで全(すべ)ての工程(こうてい)を手作業で行っています。
 私たちが手掛(てが)ける大村市松原地区伝統(でんとう)の「松原包丁」は、平安時代の平家の刀鍛冶が起源(きげん)といわれています。平家の子孫が戦国時代の1474年に大村に移住(いじゅう)し、刀の作り方を伝えたことから、鍛冶のまちとして栄えるようになったのです。
 武器(ぶき)の刀、農作業に欠かせない鎌、日本料理を支える包丁とも基本(きほん)的な作り方は同じです。時代が変わり、今は松原で刀を作ることはありません。田中鎌工業3代目の亡(な)き父は鎌の切れ味にこだわり、「鎌が切れないと農家は仕事にならない」が口癖(くちぐせ)でした。

一般的な包丁は軟鉄(オレンジ色の部分)に硬い鋼を挟み込んで作られている

◆やけど、けがも
 長男として生まれた私は家業を継(つ)ぐものと期待され、子どもの頃(ころ)は鎌の柄(え)付けなど、こまごまとした作業を手伝っていました。思春期になると周囲の期待が圧力に感じられて、「3K」(きつい、汚(きたな)い、危険(きけん))といわれる鍛冶の仕事から逃(に)げるように県外の大学に進学しました。しかし、父に「人手が足りないから戻(もど)れ」と言われて、大学2年の時に帰郷(ききょう)、家業を継ぐことになりました。
 「地(じ)作り」といって金属を熱する炉(ろ)の前で、ハンマーを使って刃物の形を整えていく作業はベテラン職人の担当(たんとう)で、私は磨(みが)きや研ぎの作業に従事(じゅうじ)していました。職人としての転機が訪(おとず)れたのは30代半(なか)ばのことです。ベテラン職人が病気になり、その代役として地作りを任(まか)されたのですが、100本のうち20本は不良品。そこで奮起(ふんき)し、試行錯誤(さくご)を繰り返しました。
 仕事場は暑くて、長(なが)袖(そで)の服は着ていられません。半袖から出た腕(うで)に火花が飛び、やけどをしたことも。刃物を削る作業で手を切ってしまったこともあります。それでも鍛冶屋として腕を磨くのに没頭(ぼっとう)してきました。
 鋼の材質(ざいしつ)から、刃の厚(あつ)さ、形状(けいじょう)など細部までこだわった松原包丁は鋭(するど)い切れ味が自慢(じまん)です。台所のメインの道具なので使いやすさはもちろん、さらにかっこよさや美しさも追求しています。

金属を熱する炉の温度は1000度以上にもなる

◆海外でも人気
 近年、肉などが切りやすいとして海外で人気が高まり、世界各国に輸出(ゆしゅつ)しています。4年前から三男が仕事に加わり、親子で力を合わせ、刃に独特(どくとく)のしま模様(もよう)が入る「ダマスカス包丁 十色(ToiRo)」という最高級品も作っています。
 たくさん注文を頂(いただ)いていて、できるだけ早く商品を届(とど)けたいのですが、手作業ゆえ大量生産はできません。朝から晩(ばん)まで仕事に追われる中、お客さんの「よく切れる」といった声が励(はげ)みになっています。
 日本の歴史や文化に深く関わり、県の伝統的工芸品にも指定されている松原包丁。その伝統を絶(た)やすことなく、未来に受け継いでいきたいと考えています。

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