界面活性剤と芳香族アルコールによる抗菌作用メカニズムを原子・分子スケールで解明

2020年10月20日
花王株式会社

花王株式会社(社長・澤田道隆)解析科学研究所とハイデルベルク大学(ドイツ)物理化学研究所 田中求教授(京都大学高等研究院 特任教授)の研究グループは、強力なX線である放射光X線を用いた精密解析によって、細菌の一番外側の表面を覆う層に対する抗菌※1剤の作用メカニズムを、原子・分子スケールで明らかにしました。今回の研究成果は、NatureのオープンアクセスジャーナルであるScientific Reportsに掲載されました※2。
※1 抗菌:菌に作用し、死滅させたり増殖させなくするはたらきのこと。抗菌加工製品における狭義の抗菌効果とは異なります。
※2 Specific localisation of ions in bacterial membranes unravels physical mechanism of effective bacteria killing
https://doi.org/10.1038/s41598-020-69064-1

背景

浴室のピンク汚れなどの主要な原因は、グラム陰性菌※3と呼ばれる細菌です。これまでの研究から、幅広い細菌の抗菌に有効な塩化ベンザルコニウムという界面活性剤と、界面活性剤のはたらきを助ける役割を持つ芳香族アルコールの一種であるベンジルアルコールを混ぜると、グラム陰性菌に対して高い抗菌効果を示すことが知られており、浴室の洗浄剤などに応用されています。一方で、これらの剤が、細菌のどこに作用して抗菌効果を示すのかについての原子・分子スケールのメカニズムは、解明されていませんでした。
グ ラム陰性菌の一番外側は、糖鎖と炭化水素鎖を主成分とする「リポ多糖」という分子がずらりと並んだ層に覆われており、カルシウムイオンがマイナスの電気を帯びたリポ多糖の分子同士をつなぐことによって、菌を守るバリアのような層をつくっています(図1)。一方、塩化ベンザルコニウムはプラスの電気を帯びており、マイナスの電気を帯びたリポ多糖の分子と電気的に引き合いやすい性質を持ちます。そこで、塩化ベンザルコニウムとベンジルアルコールの組み合わせによる高い抗菌作用の発現には、塩化ベンザルコニウムによる、菌の最表層のリポ多糖への関与があることが推測されていました。

図1 浴室のピンク汚れなどのもととなるグラム陰性菌の表面構造

花王は、剤と細菌が出会う場所として細菌の表面に着目し、界面物理学の世界的権威であるハイデルベルク大学の田中求教授のグループと共同研究を実施し、細菌表面のどこに剤が作用するかを原子・分子スケールで解析しました。
※3 すべての細菌は、「グラム染色」と呼ばれる染色法を施した際の染まり方の違いによって「グラム陽性菌」と「グラム陰性菌」のいずれかに分類できます。この2種類の細菌の大きな違いのひとつは、一番外側の表面を覆う層に「リポ多糖」という成分を持つかどうかで、グラム陰性菌は「リポ多糖」を持ちます。

実験方法

今回の国際共同研究では、細菌表面のリポ多糖の最表層を再現したモデル膜を用いて、塩化ベンザルコニウムとベンジルアルコールが、(1)リポ多糖層の微細構造や、(2)リポ多糖を安定化させているカルシウムイオンのバリア層をどのように変化させるか、を調べました。
実験には、実際の細菌の最表層に似た、リポ多糖が2次元的に均一に並んだモデル膜を用いました。これは、グラム陰性菌の一種であるサルモネラ菌の膜から、リポ多糖の分子を高純度で取り出して溶解させ、水面上に滴下することで作製しました。
得られたモデル膜に、塩化ベンザルコニウムとベンジルアルコールを作用させ、放射光X線を用いた解析手法であるX線反射率(XRR)および斜入射角X線蛍光(GIXF)を同時に測定できる欧州放射光施設(ESRF)※4の装置を駆使して、リポ多糖層の構造やカルシウムイオンのバリア層の変化を原子・分子スケールで解析しました(図2)。

図2 XRRとGIXFを用いたESRFでの同時計測

XRRとGIXFはどちらも、サンプルの表面すれすれの位置から放射光X線を当てる実験手法です。今回の実験では、XRRはリポ多糖層の微細構造の変化を原子レベルでとらえるため、GIXFはカルシウムイオン分布の変化を原子レベルでとらえるために使用しました。1000分の1mm程度の菌のさらに最表層という微小な領域を解析することは容易ではなく、これらの最先端の分析技術を用いて初めて、今回の解析が可能になりました。
XRRX-ray Reflectivity): 入射角と同じ角度で反射したX線強度から、サンプルの構造や密度、界面の粗さを、0.1Å※5の超微小スケールで解析できます。
GIXFGrazing Incidence X-ray Fluorescence): 照射したX線がサンプル内部の原子にぶつかることで原子から放射される蛍光X線※6を検出する手法です。入射角を変化させて測定を重ねることで、蛍光X線の強度からサンプル中の特定の元素やイオンの分布が計算できます。
※4 XRRとGIXFの同時測定を行なうことができる世界唯一の機関である、グルノーブル(フランス)にある施設です。ユーザーと施設所属の研究者が連携して装置を設計・最適化することで知られています。
※5 Å(オングストローム)は原子の大きさを表す際に使われる単位で、1Åは0.1nmに相当します。
※6 ある一定以上のエネルギーを持つ強力なX線を原子に照射すると、原子を構成する電子の移動が起こります。電子の移動に伴って発生するエネルギーはX線となって原子の外に放射され、このX線を「蛍光X線」と呼びます。

研究成果

実験の結果、プラスの電気を帯びた塩化ベンザルコニウムだけを加えても、マイナスに電気を帯びたリポ多糖に引き寄せられて結合はしますが、カルシウムイオンのバリア層に阻まれるため、モデル膜のリポ多糖は安定が維持されることがわかりました(図3左)。一方、ベンジルアルコールを一緒に混ぜると、カルシウムイオンのバリア層はありながらも、ベンジルアルコールの作用によって、リポ多糖分子の糖鎖と炭化水素鎖のつなぎ目(界面)部分にゆるみが生じます(図3右)。この変化によってモデル膜にゆるみが生じるため、塩化ベンザルコニウムが膜に潜り込んでリポ多糖分子の並びを乱し、リポ多糖の膜を破壊することを明らかにしました。XRRとGIXFを用いて、こうした抗菌作用メカニズムを0.1 Å(0.01 nm)の超微小スケールでとらえた事例は世界的にもまだ少なく、先駆的な発見となりました。

図3 本研究で解明した抗菌作用の原子・分子スケールのメカニズム

今後の展望

目に見えない抗菌作用メカニズムが原子・分子スケールで解明されると、人や環境に低負荷な剤の組み合わせによる効果的な抗菌剤や抗菌技術の開発が可能になります。また、今回のような原子・分子スケールの抗菌メカニズムの解析は、感染症の原因となるほかの細菌の抗菌だけでなく、細菌に似た表面構造を持つウイルスの感染性を失わせる(不活化)メカニズムの解析にも応用が期待されます。なお、本研究で取り上げた界面活性剤・塩化ベンザルコニウムは、経済産業省が公表している新型コロナウイルスに有効とされる界面活性剤のひとつです※7。
花王は、このような世界トップレベルの研究者との共同研究の成果を駆使し、サイエンスに裏打ちされた製品や技術の開発を行なうことで、「感染症と向き合う新たな社会」における喫緊の課題である公衆衛生レベルの向上と感染予防に貢献していきます。
※7 https://www.meti.go.jp/press/2020/05/20200529005/20200529005.html