蒲生三代の思いを今へ「戸ノ口がつなぐストーリー」

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蒲生氏郷公会津入府430年記念特集
会津の宝探し
蒲生氏郷公が会津に入府して430年の歳月が流れました。初代・氏郷からの蒲生家三代の功績には、まちづくりや産業振興などさまざまなものがあり、氏郷によってつくられた城下町は、今でも面影を見ることができます。
そして、三代・忠郷の功績の一つである戸ノ口堰の着工は、会津若松の発展に無くてはならないものです。時を超えて、その水源は現在の私たちの生活を支えています。

■近世会津の幕開けとなる「蒲生家初代・氏郷のまちづくり」
◆城下町の誕生
蒲生氏郷が会津を治めるる以前、多くの有力な侍は周辺に自分の領地があり、城下には侍の屋敷や、商人や職人の住居と工房、寺社が混在していました。そのため、氏郷は、城の建築と同時に城下のまちづくりを開始しました。
氏郷は、城の周囲の東西2km、南北1・8kmに、楕円形に土塁と堀を巡らし、そこを郭内として重臣の武家屋敷にし、16カ所の郭門を設けて防備を固めました。その外側の郭外には、中・下級の武士や、商人や職人の住居と工房、寺社を配置しました。
土塁や外堀の設置は、武士と商人などの身分差を目に見える形で表すとともに、防備や防火には大変有効でした。

◆武士の町、商人の町
郭内の武家屋敷は、道路によって長方形に区画されていて、東西の道路は「丁」、南北の道路は「通」と呼ばれました。郭外の大手には、氏郷の故郷の日野町や松阪から従った商人が住み、その西側の大町には蘆名氏以来の商人が住んでいました。また、商人や職人は郭外に同業者で町をつくることにし、各町では市が開かれ、正月年始は1月10日に大町で、毎月1日と8日が馬場町、2日と7日が本郷町、3日が三日町、4日と9日が桂林寺町、5日と10日が大町、6日が六日町と決められました。

▽コラム(1)蒲生氏の日野への思い
古来からの領地である日野に対する蒲生氏の思いは、とても強いものでした。氏郷が日野から招き入れた商人を住まわせた「日野町」だけでなく、息子の秀行が転封した宇都宮や、孫の忠知が転封した松山でも名付けられました。その後、会津若松と松山では「日」は「火」に通じるということから町名が変えられましたが、宇都宮では日野町通りとして現在でも、その名前が残っています。

▽コラム(2)町名に残る蒲生氏の功績
氏郷の孫・蒲生忠郷時代の書物には、大工や壁屋、瓦師、畳師、彫物師、鷹匠、象嵌(ぞうがん)、塗師、塗屋、桶屋などをはじめとする30以上もの職種で、700人の職人の数が挙げられています。その多くは蒲生氏郷の入府の際に入ってきた職人であり、今につながる会津の産業の基にもなっています。
これらの職人が住んでいたことから、針屋町(針工)、紺屋(こうこ)町(染物)、晒屋(さらしや)町(湯川の水で布をさらす)、大工丁などの名前が残っています。

■蒲生氏郷の孫・忠郷による「戸ノ口堰の着工」
◆戸ノ口堰の始まり
蒲生氏郷が会津に入ったころの黒川(会津若松)の町は、現在の湯川からの黒川堰(後の雁(かりがね)堰からの用水)の水を利用していました。
しかし、氏郷の考えたまちづくりは、この用水や、東山山系から流れ出る沢水では賄いきれませんでした。こうした中、猪苗代湖の水を引くことで、広大な原野を水田にすることができると考えたのが八田野村の肝煎(きもいり)・内蔵之助です。元和9(1623)年に蒲生氏郷の孫の忠郷はそれを聞き入れ着工させました。
しかし、工事が進まず、2年で中止になってしまいました。その後、村々の努力により工事が引き継がれ長い年月をかけて、元禄6(1693)年には若松城下までひかれました。明治元年の戊辰戦争で白虎隊士が通った洞門は天保6(1835)年に佐藤豊助によって改修されたものです。

▽先人の知恵が生んだ水
戸ノ口堰土地改良区 T.Yさん
源現在の戸ノ口堰の水は、水道水の一部や農業用水、水力発電に利用されたり、御薬園の池や鶴ケ城のお堀の水として利用されたりしています。昔は重機もなかったですから、大変な苦労をして、水路を作り、洞門を開通させたと思います。市内の小学生が洞門くぐりをする際には、先人の功績や歴史、そして水の大切さを話すようにしています。

▽先人に感謝しています
(有)山主飯盛本店 代表取締役 飯盛正徳さん
水はインフラですから、猪苗代湖から水を引けたということは、劇的に人々の生活が変化したと思います。この洞門も含め、今のような技術のない時代に良く実現できたなと思いますし、先人への感謝の気持ちでいっぱいになります。
戸ノ口堰の水は、水道水など現代でもさまざまな用途で使われていて、生活に必要なものです。先人が築いた戸ノ口堰をはじめ洞門は、大変に価値のあるものであり、身近に洞門があることを感慨深く感じます。

■現在の戸ノ口堰「生活を支える水源」
蒲生忠郷が着工し、長い時を経て完成した戸ノ口堰は、現代の私たちの生活を支える水源で、水道水や農業用水、水力発電などに利用されています。現在の戸ノ口堰の施設を紹介します。
◆猪苗代湖の湖面が低下したため、水は小石ケ浜からトンネルで十六橋下流の日橋川に流されています。そのため、猪取取水口が設置されました。この施設も、竣工後40年を経過し、老朽化が進み、定期的に補修をしています。

蒲生氏は三代にわたって、現在の会津若松の礎を築きました。美しい城下町をはじめ、地場産業、そして、命を支える水――。蒲生氏の思いは時を超え、私たちの身近なところに息づいています。ふと空を見上げたとき、美しい景色が目に入ったとき、何気ない日常の中で、先人がつないだ「会津の宝」を感じ、先人に思いをはせてみませんか。
それは…戸ノ口が「今」につなぐストーリー