【たかつき歴史アラカルト73】三島の埴輪(はにわ)

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三島で埴輪が登場するのは古墳時代前期(3世紀末頃)のことです。岡本山古墳や闘鶏山古墳では飲食物を入れる壺の形をした埴輪が古墳の要所に置かれました。それから半世紀ほど経た前期後半(4世紀中頃)には、壺をのせる器台の系譜を引く円筒埴輪や楕円(だえん)筒埴輪が現れ、埋葬施設や墳丘を囲むように並べられています。弁天山C1号墳や茨木市の将軍山古墳、紫金山古墳が代表例です。古墳時代中期(4世紀末頃)になると、並べた円筒埴輪の間を埋めるように、長方形の板が左右に付いた鰭付(ひれつき)円筒埴輪が郡家車塚古墳でみられ、家や道具(器財)、動物の埴輪も現れます。

5世紀中頃になると巨大古墳・太田茶臼山古墳の築造に際して数千点の埴輪が必要となり、最新の埴輪窯を用いて効率的に埴輪を作る一大工房が開かれます。新池遺跡の登場です。それまで古墳の近くで、個別に埴輪を作っていたのに対して、新池遺跡は三島に広く埴輪を供給するとともに、古墳の大きさに合わせて大小の埴輪を作りわけていました。その一方、新池産の埴輪をあまり用いない古墳もあり、三島の豪族たちの関係性を読み解くことができます。

6世紀前半に今城塚古墳の築造がはじまると、新池遺跡に再び窯を築いて6000点もの埴輪の生産を再開します。大きな家や精巧な人物の造形など、多種多様な埴輪は大王墓に相応しいもので、埴輪文化の有終の美を飾るものです。

(今城塚古代歴史館)