米国で実相伝えて 被爆の体験英訳、冊子完成

10年ぶりに再会したサイモンズさん(中央)と会話を楽しむ錦戸陽子さん(右)と惠子さん=長崎市田上2丁目の自宅(2018年10月撮影)

 長崎市田上2丁目の公務員、錦戸惠子さん(56)が、母陽子さん(90)の被爆体験記を英訳して冊子にまとめた。2人の友人で、翻訳を手伝った米オレゴン州在住のローナ・サイモンズさん(74)に冊子を届け、現地で原爆の悲惨さを伝えてもらう。
 陽子さんは14歳の時、学徒動員先の三菱長崎兵器製作所大橋工場(爆心地から1.1キロ)で被爆。近くのトンネル内で一夜を過ごし、生き延びた。
 母の体験を聞いて育った惠子さんは2006年に米国へ留学。現地で原爆の被害がほとんど知られていないことにがく然とした。16年、母は原稿用紙26枚に体験記をまとめた。惠子さんは体験記を英訳すれば海外の人々にも被爆の実相を知ってもらえると考え、作業を進めた。
 かつて惠子さん親子の英会話講師を務めたサイモンズさんにも協力を依頼。18年秋には来日したサイモンズさんと10年ぶりに再会し、英訳の打ち合わせをした。
 大まかな英訳はすぐに終わったが、当時の状況を正確に伝えるための言葉選びに苦労した。惠子さんは日々の仕事や、体調を崩して入退院を繰り返す陽子さんの介護に追われながら、9月下旬に体験記と英訳を収録した冊子を完成させた。
 冊子はA5版48ページ。日本語の体験記に「あの夏の記憶」、英訳文に「Nagasaki, My Testament(私の遺言)」とタイトルを付けた。
 現在、陽子さんは入院しており、新型コロナウイルスの感染防止のため面会が制限されている。冊子の感想をじっくり聞けていないが「無事に完成して安心したと思う」と惠子さん。サイモンズさんからは「将来の世代のために体験を語ってくれたことに深く感謝。(米国で)悲惨な体験を伝える」とメールが届いた。
 惠子さんは「徐々に体力と気力を失う母の姿を目の当たりにして、被爆者の記憶を受け継ぐ時間は少ないのだと痛感した。被爆75年の節目に間に合ってよかった」とかみしめている。
 冊子は100部印刷。長崎原爆資料館図書室などに寄贈する予定。

錦戸陽子さんの被爆体験を英訳した冊子

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