大阪都構想で「ふしあわせ」は解消するか どこも仲悪い?道府県と政令市

 11月1日に住民投票で賛否が問われる「大阪都構想」。推進派が掲げる最大の目的が、大阪府と大阪市が同じようなハコモノ建設や事業をする「二重行政」の解消だ。歴史をひもとくと、今に始まった課題ではないことが分かる。道府県と政令指定都市が衝突するケースは大阪にとどまらない。(共同通信=黒木和磨)

 ▽東京しのいだ「大大阪」

 江戸時代に「天下の台所」として栄えた商都・大坂。1889年の市制施行で誕生した当時の大阪市のエリアは約15平方キロメートルで、現在の面積と比べると7%弱にすぎなかった。その後3度の市域拡張で発展を遂げる中で、大都市としての在り方を巡る模索が始まる。

 

 第1次市域拡張は1897年。周辺28町村を編入した。官選知事が市長を兼ねる特例が廃止され、翌98年に初代の市長が誕生した。

 1923年に7代目市長に就任した関一は都市計画事業を進め、25年に第2次市域拡張を実施。44町村が加わった。この時点で、大阪市の面積は名古屋市を抜いて国内で最大の都市となる。

 人口も関東大震災で急減した東京市を上回り、全国最多の211万人に。世界でも6番目の大都市となり、「大大阪」と呼ばれた。大阪市史料調査会の小田直寿調査員は「当時の都市計画は無秩序に進んだ工業化や人口増加問題を解決するのが狙いだった。大都市としてどうあるべきか、初めて向き合った時代と言える」と話す。

 

 ▽幻の「特別市」

 戦後は都市制度を巡る議論が活発化する。47年施行の地方自治法に、大都市を府県から独立させ権限を拡大する「特別市」制度が明記された。

 大阪市も特別市を目指したが、府は激しく反発。東京都制を参考に特別区を設置する対案をまとめ、府議会も53年に「大阪産業都建設に関する決議」を採択した。一連の対立劇は「府市合わせ(不幸せ)」とやゆされ、その後も不和が続くことになる。結局、特別市は全国で一例も実現せぬまま幻に終わる。

 現在の政令指定都市制度ができたのは56年。大阪、横浜、名古屋、京都、神戸の5都市が選ばれたが、権限は特別市よりも弱かった。大阪市では前年の55年に第3次市域拡張が実施され、現在とほぼ同じ広さとなった。大阪府の面積は都道府県の中で香川県に次いで2番目に小さく、大阪市はその中で市域を拡大してきたことになる。

 ▽10センチ違いのビル

 都市開発などを巡り大阪府市には強いライバル意識がある。その象徴が1990年代に建設された大阪市の旧「大阪ワールドトレードセンタービルディング(WTC)」(同市住之江区)と、府の「りんくうゲートタワービル」(大阪府泉佐野市)だ。高さはWTCが256・0メートル、ゲートタワーが256・1メートルで、その差はわずか10センチ。バブル期に高さを競い合い、ともに巨額の費用をつぎ込んだ末に経営破綻した。大阪維新の会が「二重行政の弊害」として真っ先に言及する事例だ。

大阪市の旧ワールドトレードセンタービル(左)と泉佐野市のりんくうゲートタワービル

 全国で市町村合併が進んだ2001年、太田房江府知事(当時)は市との統合を視野に「大阪都」を創設する構想を提唱。これに対し市側は都道府県並みの権限を持つ「スーパー指定都市」への格上げを掲げて対抗した。

 両者の対立はその後も続いたが、10年4月に事態は大きく動きだす。橋下徹知事(当時)が「大阪都構想」を看板政策に、地域政党「大阪維新の会」を設立。各種選挙で大勝し勢力を急拡大した。

政治団体「大阪維新の会」の設立総会であいさつする橋下徹氏=2010年4月

 国政政党にも働きかけて、特別区制度の根拠となる大都市地域特別区設置法を成立させる。同法に基づき15年5月、1回目の住民投票が実施されたが、結果は僅差で否決となった。

 今回の制度案は、25年に大阪市を廃止して4特別区に再編する内容。神戸大大学院の砂原庸介教授(行政学)は「今の都構想はこれまでの大都市制度議論の延長線上にある」と指摘する。

 ▽どこも仲悪い?

 大阪市と大阪府のように、政令市と道府県が対立するケースは少なくない。市が住民投票に向けて開いた市民説明会では、「全国の政令市の中でなぜ大阪市だけが特別区になるのか」との質問に対し、松井一郎市長が「政令市と道府県はどこも仲が悪いんです」と答える一幕もあった。

「大阪都構想」の制度案について住民らに説明する松井一郎市長。右は吉村洋文知事=9月、大阪市中央公会堂

 実際、愛知県では芸術祭「あいちトリエンナーレ2019」の企画展「表現の不自由展・その後」を巡り、大村秀章知事と河村たかし名古屋市長の対立が激化。河村氏は9月、県議会に知事への辞職勧告を求める請願を提出した。

 両者は2011年の知事・市長選で、共通公約として県市を一体化する「中京都構想」を掲げたが、議論は具体化しないまま事実上、頓挫。静岡県でも川勝平太知事が静岡市を解体する「県都構想」を提唱したものの、市は静観する姿勢だ。

愛知県知事の辞職勧告決議を求める請願を提出した河村たかし名古屋市長=9月、愛知県議会

 ▽本気の覚悟

 国は道府県と政令市を統合するのではなく、両者の「調整会議」を設置するよう義務付けて連携を促す。新潟県と新潟市はかつて県市統合の「新潟州構想」を掲げていたが、現在は調整会議に衣替えし、新型コロナウイルス対策で共同歩調を取る。

 一方、神奈川県と横浜市は17年の初会合以降、調整会議を開催していない。横浜市は「今後必要になれば開催する」としつつ、県の権限と財源を譲り受けて独立する「特別自治市」の実現を国に要望し続けている。特別自治市制度は、林文子市長が会長を務める指定都市市長会の目標でもある。

 「特別区に変えるのはすごく政治的なパワーがいる。現職市長が自分の椅子をなくすので、本気の覚悟が必要だ」。大阪市の松井市長は、他地域に同様の動きが広がらない理由をこう解説する。

 ▽結局は「人」次第

 地方自治を所管する総務省内では、仮に今回の住民投票で都構想が可決されても全国への影響は限定的との見方が大半だ。ある幹部は「すぐに地方分権や大都市制度の議論に火が付くとは思わない。投票後の経過を様子見する状態が続くのではないか」と見る。

 一方、二重行政の問題に悩まされてきた政令市側には期待する声も大きい。指定都市市長会の幹部は「住民投票をきっかけに、二重行政解消に向けた議論を加速させたい」と語る。

 都市制度に詳しい小原隆治早大教授(地方自治)は、政令市の在り方について「特別区に再編されても、独立しても道府県との調整はなくならない。大阪都構想が実現したとしても、特別区長と府知事の折衝は発生する」と指摘。都構想で二重行政が解消されるとの主張には懐疑的な見方を示し、「結局は制度ではなく人の問題。首長の党派の違いや職員の意識の差によって、連携具合は左右される」と話した。

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