【追悼 山本寛斎】世界的デザイナーが愛した映画とは? 衰え知らずの探究心の源泉がそこにある

山本寛斎

ファッション界の巨星逝く~追悼・山本寛斎~

デザイナー/プロデューサー・山本寛斎氏が2020年7月21日、この世を去った。享年76。ロンドンで日本人初となるファッションショーを開催し、パリコレをはじめ70年代からグローバルに活躍した寛斎氏は、日本のデザイナーたちの世界進出を切り拓いた先駆者のひとりであった。20~30代の若い世代にも“常に元気爆発な大御所デザイナー”という印象だけでなく、盟友デヴィッド・ボウイとの交流から生まれた「出火吐暴威」衣装などでおなじみだろう。

2013年ロンドンで開催された「Fashion in Motion: Kansai Yamamoto」の際のオフショット

日本を代表する偉大なクリエイターであり、最後まで“カッコいいオトナ”であり続けた山本寛斎。そんな寛斎氏を偲び、2017年にCS映画専門チャンネル ムービープラスで放送されたオリジナル番組「この映画が観たい ~山本寛斎のオールタイム・ベスト~」で寛斎氏が語った映画を改めて紹介したい。ファッションとも切り離せない関係にある映画について語るその言葉から、人間・山本寛斎の片鱗が見えてくるはずだ。

時代劇映画の金字塔から伝説的マフィア映画まで、山本寛斎の映画遍歴

まず寛斎氏が「過去もっとも見た映画」として最初に挙げたのが、黒澤明監督の傑作『七人の侍』(1954年)だ。氏は、一太刀のもとに斬られる殺陣のリアルさ、黒澤作品独特の照明使い、そして映画ファンにはお馴染みの“雨のシーン”を挙げつつ、作品中の“盛り上げどころ=フック”について「細部まで気を配りつつも大胆に面白い」と、黒澤作品が持つ相反する魅力を挙げる。

まだ日本が西洋への劣等感に支配されていた時代、黒澤明をはじめ日本の映画監督たちが手掛けた名作の数々が、若き寛斎氏の“日本人にしか表現できないもので世界と勝負しよう”という心意気、そして海外から見た日本のイメージを覆す“婆娑羅”や“歌舞く”といった華やかな美意識を育んでいったのだろう。

中学・高校と応援団長を務め、いわゆる番長として他校との“決斗”にも精を出したという意外な青春時代を懐古した寛斎氏。そして、あの「LIFE」誌にスナップされたという20代半ばの寛斎氏の姿には驚き! そのまま現代の東京の街を歩いていても先鋭的に映るであろう抜群のセンスは、10~20代の若者にもインスピレーションを与えてくれるはずだ。

山本寛斎氏が25歳のときに、雑誌「LIFE」に掲載された写真

続いて挙げたのは、マーロン・ブランドが監督・主演を務めた異色ウエスタン『片目のジャック』(1960年)。キャラクターの人間性を反映させたような衣装を含め、ブランドが情熱を傾けたであろう“悪さ”の表現に胸を打たれたという。

そのブランドがマフィアのドンを、若きアル・パチーノが後継者を演じた『ゴッドファーザー』(1972年)は、「まさに大河ドラマのような、延々と続く人間の生き方がひとつの大きな作品になっているのがすごい」と、フィルムに焼き付けられた人間の生き様そのものに惹かれたと語る。

「目の前で空気が変化していく瞬間を観るのが好きなんだろうなと思う」

「“クリエイションする”ということの限界を感じさせない作品」として挙げたのが、映画史に残る銃撃戦が堪能できるサム・ペキンパー監督による西部劇『ワイルドバンチ』(1969年)。「70歳を超えてから“持ち時間というのは大体こんなもんだろう”ということが分かってきた。“自分とは、人生とは何か?”みたいなものが分かりかけてきているなって、最近思うんです。なので手抜きをすると無駄な時間になってしまう。よしんばビジネスとして、私の“考え”にお金が集まったとしても、それは最終的に天国には持っていけないんですよね。だから生きているうちに接する人に対しては、私が学んできたことを目一杯リレーしておきたいなと思いますね」という、まるで自身の最期を予見していたかのような言葉が印象的だった。

だが『レヴェナント:蘇えりし者』(2015年)に対して「壮大な自然を描いているので、全て手作りのアナログなものだと思いがちなんですが、いたるところにコンピューターの力が巧く入っているみたいで。だから今後の私の仕事も、あくまで大きな自然の力を表現しつつ、この世界まで行ってみたいなと思っています」と語るとおり、ジャンルや手法を問わず“造り手の良心”が垣間見える作品に、終生クリエイティビティを刺激され続けたようだ。

寛斎氏は近年、いわゆる“モノを売る”ための商業ファッションのシーンから離れ、人間の在り方そのものを提案するかのような“生の現場(ショー)”を主戦場としてきた。大型イベントのプロデューサーとして大勢のスタッフを率い、文字通り全身全霊を傾けてイベントを作り上げ、約30年間で370万人動員という偉業を達成している。2020年7月に開催された「日本元気プロジェクト2020 スーパーエネルギー!!」は時勢を鑑み初のオンライン開催となったが、プロデューサー・山本寛斎の集大成とも言える充実の内容だった。

「映画とは、師匠。私の先生です」と番組を締めくくった寛斎氏。「目の前で空気が変化していく瞬間を観るのが好きなんだろうなと思う。映画というのは現実を超えたものを描けるわけで、クリエイションの、人間の生き方のお手本だと思います」という言葉からも、モノづくりへの飽くなき探究心が窺えた。

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