息子が失踪……絶望する母の“その後”を描く『おもかげ』 観賞前後に噛みしめたい監督の言葉

『おもかげ』©Manolo Pavón

スペインの俊英、ロドリゴ・ソロゴイェン監督インタビュー!

10年前、息子が行方不明になったフランスのビーチで一人、時を止めたように暮らす女性エレナの再生を描くスペイン映画『おもかげ』。旅先で父親とはぐれた息子が怪しい男に追われ、消息を絶つまでを、電話での会話一本でスリリングに描き、第91回アカデミー賞短編実写映画賞にノミネートされた短編『Madre(原題)』(2017年)の長編映画化作品だ。

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息子を失う前までの人生を手放し、ほぼ人付き合いもせず妄執とともに生きるエレナが、心のうちに光を灯すまでを繊細に描いている。監督は『ゴッド・セイブ・アス マドリード連続老女強姦殺人事件』(2016年)のスペインの俊英、ロドリゴ・ソロゴイェン。短編をそのまま冒頭のシークエンスに使った長編『おもかげ』。なぜ本作を撮ろうとしたのか? なぜ女性の心理描写をここまでリアルに描けたのか? 主な舞台をフランスにしたのはなぜか? ソロゴイェン監督に聞いた。

『おもかげ』©Manolo Pavón

「自分の生み出した登場人物の“その後”が気になるようになったんです」

―短編映画『Madre』をもとに『おもかげ』を作った理由を、「家から飛び出し、不安に駆られながら息子を捜し回るエレナを放っておくことはできない。エレナの悲劇(あるいは、その始まり)の物語をこれだけ手をかけて伝えたからには、物語と登場人物に対して借りがあると考えていた」とおっしゃっていました。監督の言う“借り”とはなんですか?

歳をとるとともに、自分の生み出した登場人物に愛情を持つようになって……。いや、愛情はもっと前からありましたが、登場人物のその後が気になるようになったんです。若いうちは、ドラスティックな終わり方がむしろポジティブで、インパクトもあってよいと考えていました。でも歳とともに、人とのつながりを考えるようになった。短編のラスト、エレナは絶望の中にいます。そんなエレナ、またはそれを目の当たりにした観客を光へと導く責任を感じたわけです。

『おもかげ』©Manolo Pavón

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―とはいえ、わかりやすい大団円に導くのではなく、“光”をエレナ自身の心の在りように置かれたわけです。その脚本は大変興味深く、また味わったことのない新しさを感じました。仕事や友人などそれまで築いてきた人生を手放し、息子が消息を絶った異国の地に身を置いたひとりの女性を描くにおいて、監督、そして脚本のイサベル・ペーニャはそれぞれどんな役割を担ったのでしょう?

とても難しい質問ですね。同時に、この質問をいただけて本当に嬉しい。これは決して客観的に答えられる質問ではありません。短編は2016年に、この長編は2018年に撮影しました。この物語は数年間をかけて形になっていったわけですが、書き始めたときと完成したものはまったく異なります。イサベルと私の役割は明確には言えませんが、ただ間違いなく一緒に働くことが相乗効果、お互いがお互いを刺激しあいました。途中からいろいろな人々……女優のマルタ・ニエトも大きな存在としてそこに加わりますが。

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「必ず俳優たちと対話する時間を設けて、方向性が共有できたら演者たちが“役を生きる”ことを見守ります」

―エレナは、息子のおもかげをまとうジャンという少年をビーチで見かけます。また彼女には、ヨセバというスペインから通ってくる恋人がいる。彼ら、特にジャンの存在は、性の対象とも、母と息子とも取れる場面もありますが、映画は私たちの予想をいい意味で超越していきます。その意識の描き方は、チープな言い方ですが感動しました。

私たちがこの物語のなかで一つ訴えたかったのは、西洋には型にはまったロマンティックな物語があり、私たちはそれを見て育ったので、どうしてもみんなが求める、あるいは社会が求める答えは、他者によって導き出されるものと思いがちなんです。たとえばロマンティックなハリウッド映画が、誰と幸せになるのか、誰が私を幸せにするのか、と描かれるように。でも私たちはその型を壊したかった。「味わったことのない新しさ」と言っていただき嬉しく思いますが、このような試みはたくさんあるし、今後もっと増えるだろうと思います。

『おもかげ』©Manolo Pavón

結局のところエレナは、もちろんヨセバの支えはありますが、自身で解決の糸口へとたどり着くわけです。また、ジャンも彼女を助けたけれど、ジャンが答えを持っているわけではない。だからあのラストになるわけです。答えは彼女自身の中にあるから。彼女自身がその答えを導いて、越えていく。そこに到達する物語だと私たちは考えていたので、その姿を実際に見せたかったのです。

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―エレナとジャン、ヨセバの関係性を、それぞれ俳優たちにはどのように説明されたのでしょう?

脚本を渡したあと、俳優たちと対話する時間を必ず設けます。私はこの時間がとても好きで、長い時間をかけて対話していきます。そのなかで波長が合っている、考えが似ている部分を感じれば安心して任せられるし、まったく違うなら、そこはよく話し合わないといけない。話し合った結果、もともとの感じ方が似ていた場合、そこに演者の自由が生まれます。決して「どうぞご自由に」ということではないのですが、脚本を読んでもらっていろいろ共有し、方向性を確認できたら、微調整はありますが、基本その演者が役を生きることを見守ります。

『おもかげ』©Manolo Pavón

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「物語の舞台が“異国”であるという側面は、映画として非常に重要だと思っています」

―なぜ息子が消息を絶った場所、要するにエレナがその後の10年を過ごしてきた舞台を、スペインではなくフランスの海岸に設定されたんですか?

これにははっきりとした理由があります。愛する人を失うのはただでさえ辛いこと。それがよく知らない異国の地であるなら、なおさらです。言葉もよくわからない国で、息子の消息を10年間追い続ける。時には無力感を感じたこともあったでしょう。習慣や意識の異なる国で、母国語でない言葉を話すとき、これまで自国で積み上げてきたものがゼロになる感覚も味わったと思います。そこにはちょっと暴力的なまでの体験があった。「異国」であるという側面は、映画として非常に重要だと思っています。

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―ヨセバが暮らす家をサン・セバスティアンと設定したのには、どんな意味を込めていますか?

ヨセバの家はスペインであることが大切でした。映画が始まった時点でエレナは、すでに何か決定をしなければならない瞬間に立っていると言えます。あるいはすでに決めているのかもしれませんが、なかなか一歩が踏み出せずにいる。ヨセバと一緒に住むという選択は、エレナがスペインに帰ること、ある種の解決を見出したことを意味します。逆にヨセバがエレナのいるビーチのそばに住むことになれば、彼女の旅はいくぶん穏やかなものになるでしょうが、エレナの内面はさほど大きく変わっていない。ヨセバの居場所は、言ってみればエレナの抱える問題に大きく関わっているわけです。

『おもかげ』©Manolo Pavón

映画では描きませんでしたが、ヨセバはエレナに「ここにいる限りあなたは彷徨い続ける。離れることであなたはこれを克服できるんだ」というような説得もしただろうと思います。そんなことが背景にあると理解していただければと思います。

『おもかげ』©Manolo Pavón

――エレナは、フランスの海辺の町ヴュー=ブコー=レ=バンで、レストランの雇われ店長として働いている設定。そのビーチからの眺めは、美しく、彼女の心情を雄弁に語る。

ロドリゴ・ソロゴイェン監督が言うように、問題を解決するのはあくまで自分。ではあるが、その糸口は人とのつながりの中にあり、その中で“許し”という概念に気づいてこそ、獲得できるものとして描かれている。決して、人は一人ではないと。コロナ禍で、つながりが分断され、許せる余裕を失っているいまだからこそ、観てほしい映画ともいえる。ソロゴイェン監督はそんなつもりで作ったのではないと思うが、心がスッと軽くなる。

『おもかげ』©Manolo Pavón

なお本作のプロローグにあたる、エレナと必死で助けを求める息子との会話の様子をワンシーンワンカットで捉えた、緊迫感溢れる約18分の短編映画『Madre』(第91回アカデミー賞 短編実写映画賞ノミネート)が、『おもかげ』公式サイトにて2020年10月22日(木)23時59分まで期間限定で無料公開中だ。

取材・文:関口裕子

『おもかげ』は2020年10月23日(金)よりシネスイッチ銀座、YEBISU GARDEN CINEMAほか全国公開

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