岩隈の引退会見に花添えた最後の“グータッチ” 喜びと苦しみ知る原監督から贈る言葉

引退会見で巨人・原監督と“グータッチ”を交わす岩隈久志投手(左)【写真・編集部】

サプライズとして登場し、花束とメッセージを贈る

巨人・岩隈久志投手が23日、東京ドーム内で引退会見を行った。21年間の感謝を述べると、花束贈呈のために姿を見せたのは巨人・原辰徳監督だった。マイクを強く握りながら、獲得経緯から受けた引退報告まで、岩隈へ注いだ時間を愛情と熱を込め、振り返った。

原監督はまず会見に集まった報道陣、その先にいるファンへ感謝の言葉を伝えた。21年という長い月日を支えたのはファンの声援だった。岩隈も何度も「絆」という言葉を使って、お礼を示すなど、同じ思いで壇上に立っていた。

スタートを切った2018年オフも同じ気持ちだった。獲得当時のことを原監督が明かす。

「私が3回目の監督に就任する時に、まずはじめに、調査といいますか(岩隈のことを)調べました。メジャーリーグで(右肩の)手術も終わり、マイナーリーグで、試合でも投げていた。一番最初に(補強へ)白羽を立てたのは岩隈投手でした」

契約が決まった時は「勇気が湧いた瞬間」だった。世界一になった2009年のWBCでは「投手のMVPは岩隈、打者ではガッツ(小笠原道大・現日本ハムヘッドコーチ)」と敬意を表するほど。巨人の覇権奪回を共に目指していくことを誓い合った。

しかし、道は険しかった。体の状態は一進一退が続き、昨年8月24日の日本ハムとの2軍戦に登板したが、ファーム暮らしが続いた。その中でも、若手に積極的に声をかける姿や、背中で経験を見せていたことは指揮官の耳には伝わってきた。

「ジャイアンツの若い選手の手本になったのは、大きな財産でもあります。今だから言えるんですが、私が結構、しつこい人間で、どうしても、今年の後半、戦いの場に入れたいという思いがあった。8月くらいだったでしょうか……。日にちを指定して、東京ドームのマウンドでシートバッティングのために来てもらったんです」

岩隈の力を借りたかった。一緒に約束、夢を叶えたかった。そんな思いが、一進一退を繰り返す岩隈の体に、前向きな変化をもたらせればという“親心”だったのかもしれない。

岩隈が「全力の一球だった」と明かしたシート打撃の一部始終

「その日を迎えました。僕はあえて、スタンドから背番号21の姿を見ていました。ただ、私の知り得る岩隈投手というのはそこには見えなかった」

岩隈が会見で「全力の一球だった」と放った一球目は打者の肩に当たり、右腕はそのまま膝をついていたという。原監督も「彼も懸命に投げたボールだった」と気持ちは伝わった。しかし、診断の結果、右肩を脱臼。他にも要素はあるが、これが引退を考えるきっかけとなった。

一部始終を伝えると、さらに言葉に力がこもっていく。新たな一歩を踏み出すことになる岩隈の背中を押した。

「燦然と輝くレジェンドだと胸を張って欲しい。ユニホームを脱ぎ、これから先も、人生は遥かに長いわけですから。野球人として、社会人として、生きていこう、と。2人の夢は叶いませんでしたけれども、非常に最後の最後まで、2人の中で戦っていこうという思いは私も非常に強く印象に残っています」

岩隈も原監督だったから、その胸に飛び込んだのだろう。共に描いた「戦力として日本一」になる夢は叶わなかったが、巨人のユニホームを着た2年間は、今後の人生にとって大きな財産となる。

サプライズ登場は短い時間だったが、情愛溢れるものだった。

「(2009年に)世界一の監督にしてもらったという、その感謝も忘れません。花を添えて、送れたというのは私としても光栄ですし、本当にご苦労様でした。素晴らしい野球人生だった。ゆっくりしてもらって、第二の人生をスタートしてほしい。お疲れ様でした」

最後に叶わなかったグラウンドでの“グータッチ”をして、原監督は会見上を後にした。21年間の実績と名誉を称えたその言葉は、贈った鮮やかな花のように、岩隈の最後のキャリアも彩った。(楢崎豊 / Yutaka Narasaki)

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