何故懐かしく感じるのか?謎が解けました【駅ぶら04】西武池袋線047

※2020年6月撮影

トップ画像は、西武池袋線西所沢駅に到着した上り急行池袋行。

跨線橋から西所沢駅前の南東側、池袋駅側になります。

※2020年8月撮影

反対側、駅前には飲食店などが並んでいます。

※2020年8月撮影

ホームから一段下がった改札口。右に「TOMONY」があります。

※2020年8月撮影

西所沢駅正面。

※2020年8月撮影

駅舎には店舗が並んでいた様ですが「TOMONY」を除いてシャッターが閉まっていました。2018年(平成30年)に西所沢駅の東西自由通路と橋上駅舎化の事業計画費が所沢市で計上されています。その関係でしょうか。赤い矢印の下に「小手指火車站創設之碑」があります。

※2020年8月撮影

これが「小手指火車站創設之碑」。交番の前にありますが、高さが2mほどあって巨大です。

※2020年8月撮影

火車は蒸気機関車、車站は停車場。碑文は漢文ですがおおよその内容を意訳すると、

西所沢は古くから小手指原として知られた。新田義興と足利尊氏が戦った場所として歴史に残っている。西には青梅、五日市、北に飯能、入間川、川越がある。大正3年武蔵野鉄道は池袋から飯能に開業したが、この地に駅がなかった。村人が寄付金を集め、駅設置を求めた結果駅が作られた。村人たちはこのことを子々孫々のために記し残したいと願った。大正八年四月。

駅の歴史では大正4年(1915年)に小手指駅から西所沢駅に改称されていますから、そのしばらく後(1919年/大正8年)に開業時の小手指駅の名前で石碑が作られています。西所沢という地名もおそらくは駅名が改称されてから誕生したものでしょう。

駅前を東の方に進みます。

※2020年8月撮影

県道55号線との交差点を右に曲がると西所沢駅池袋側の踏切です。右から4番ホーム(池袋線上り)と3番ホーム(池袋線下り)。

※2020年8月撮影

こちらは、1番ホームと2番ホームのスマイルトレイン「各駅停車西武球場前行」。

※2020年8月撮影

踏切の駅舎側に細い道があってときおり人が歩いてきます。

※2020年8月撮影

入ってみると駅への抜け道の様です。ちょっと魅力的なお店も並んでいます。(笑)

※2020年8月撮影

西所沢駅周辺をプラプラしていて「何か懐かしいなぁ」と感じるので不思議でした。ここからの写真は8月11日の写真です。

※2020年8月撮影

そう言えば、学生時代に知人がこの先の「金山町」交差点にある建物で塾を開いて、その塾の先生を1年ほどやっていたことがあったのです。40年近く前なので風景は今と全く異なっていましたけれど。

※2020年8月撮影

浦和明の星女子校の生徒さんがいて、優秀なので教えることが無くて困ったことを懐かしく思い出しました。かと思えば、分数の足し算・引き算や英語の主語・述語、それ以前に日本語の名詞と動詞の区別が分からないという困った高校受験生などもいて、これには苦労しました。

8月11日に再訪したのは、8月4日に撮り残した写真があったことと、その時に食べた手打ち蕎麦が美味しかったので、もう一度食べたくなったのです。ところがお店は水曜定休でした。

※2020年8月撮影

この通りにあった「70年代不動産」。面白いコンセプトですね。

※2020年8月撮影

では小手指火車站ではない、現在の小手指駅に向かいます。

【駅ぶら04】西武池袋線048 に続きます。

(写真・文章/住田至朗)

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