必然だったホンダのF1撤退決定 残念だが次世代の芽は確実に育っている

 アルファタウリでシート合わせする角田裕毅(C)Scuderia AlphaTauri

 10月2日午後5時。ホンダのF1活動撤退発表がオンラインで行われた。2013年の5月16日に発表し、15年シーズンから始まった「第4期」のF1挑戦に終止符を打つのだ。とはいえ、21年シーズンまで参戦するので、しばらくはその勇姿をサーキットで見られることになる。

 この発表以降、さまざまなメディアや個人がホンダの決定と姿勢についていろいろな意見を述べている。それらの意見について語るのは適切ではない。また、さまざまな意見があってしかるべきだ。

 ただ、ホンダにとってモータースポーツ活動は特別なものだ。創業者の故本田宗一郎氏がレースに出場した経験を持ち、モータースポーツ活動に並々ならぬ情熱で挑んでいたからだ。ホンダにとって、いわば「DNA」なのだ。

 ホンダという世界的大企業を形作っている大切なものであっても、企業自身が存続出来なければ意味を持たない。プロ野球を見れば、そのことがよく分かる。ソフトバンクは南海電鉄(1938―1988)、ダイエー(1988―2005)とオーナーが代わった。西武も西鉄(1949―1972)、太平洋クラブ(1972―1978)と変遷した歴史を持つ。市民球団である広島と2003年の球界再編で誕生した楽天を除くと、いわゆる「身売り」していない球団は巨人、中日、阪神の3球団だけだ。

 日本で高い人気のマラソンや駅伝といった陸上競技の世界でも同様だ。日本陸連マラソン強化戦略プロジェクトリーダーの瀬古利彦が所属していたことで、有名なエスビー食品陸上部は12年に解散した。その後、DeNAが引き継いだが、こちらも来年3月末をもってクラブの廃止を発表した。

 企業経営が厳しくなると、どうしても非情な決断が迫られることになる。

 F1から撤退を決めたホンダにも、そうした要因があるのではないか―。そんな思いで、1961年から2019年までのホンダの決算(1977年以降は連結決算)を有価証券報告書などから調べた。すると、とても興味深い関連性が見つかったのだ。

 ホンダのF1活動は次のように分類される。第1期(1964―1968)、第2期(1983―1992)、第3期(98年参戦発表、2000―2008)、第4期(13年参戦発表、2015―2021)。この年表と決算資料を照らし合わせて見ると、はっきりと分かることがある。

 参戦中は好決算で利益率が高いのに対して、撤退決断時は利益率が大幅に低下しているのだ。

 第1期参戦の前年にあたる1963年(米国会計基準で前年9月から8月末)の当期利益率は8.13%、参戦初年度の64年も5.82%だった。一般的に経営状態が健全とされる利益率は3.0%~0.6%とさえるので、かなり高いことが分かる。

 ところが、撤退前年の67年は0.67%、撤退した68年は1.76%しか当期利益率がなかった。

 第2期を見てみよう。参戦した83年度(日本会計基準で4月から翌年3月末)は当期利益率が4.03%、翌84年度も4.85%だった。それが、90年度には当期利益率が1.77%と落ち込んだ。91年度も1.48%と低調で、撤退した92年度に至っては0.93%しかなかった。

 第2期といえば、マクラーレンと組んで圧倒的な強さを見せつけていたころだ。レースでの好成績とは裏腹に、ホンダの経営は決して良いと言えるものではなかった。そのことが決算書から読み取れる。

 それでも参戦を継続できた理由として、本田氏の存在があったことは疑いようがない。事実、91年8月5日に本田氏が亡くなった翌年にホンダはF1撤退を決断している。

 第3期はどうなのだろう。F1参戦を名言した98年度の当期利益率は4.09%。参戦を開始した2000年度こそ3.59%に下がるが、その後は08年のリーマン・ショックまで毎年のように過去最高売上高と過去最高利益を記録した。当期利益率も毎年5~6%前後と高かった。

 2000年度から07年度にかけて、売上と当期利益をほぼ倍増させている。F1での成績は振るわなかったが、企業経営は絶好調だったのだ。ところが、突然の撤退となった08年度の当期利益率は1.37%。まさにリーマン・ショックによる急速な景気後退が大きく影響した結果、撤退を決断したと言わざるを得ない。

 最後に第4期だ。F1参戦を発表した13年度の当期利益率は4.85%。昨年の19年度は3.05%だ。それほど悪くないように見える。しかし、主力に位置づけられる四輪事業に目を向けると、別の側面が見えてくる。18年度の四輪事業営業利益率が1.9%、19年度に至っては1.5%しかない。現在のホンダは2輪事業と金融事業に頼っていることがが現在のホンダなのだ。

 このように決算数字を見ていくと、今回のF1撤退は新型コロナウイルスが引き起こした騒動が決定打となったことが良く分かる。実は昨年9月にもホンダ撤退に関するうわさがパドックに流れたことがあった。だが、マックス・フェルスタッペンが持つ能力と残している好成績によって、いったんは活動延長の決断に至ったのだろう。

 ホンダのF1活動撤退は残念なニュースだが、次世代への芽は確実に残っている。それが角田裕毅の存在だ。20歳の角田は、SRS―F(鈴鹿サーキットレーシングスクール)の22期生。16年卒業した後、レッドブルのジュニアドライバーになった。

 現在はF1の下位カテゴリー、F2で年間ランキング3位に付けている。残り2戦で年間ランキング4位以内ならばF1のスーパーライセンス取得資格を得る。

 ちなみにSRS―Fはホンダの子会社が運営している。佐藤琢磨(3期生/F1、インディカー)、山本尚貴(12期生/スーパーフォーミュラ、スーパーGT)、松下信治(17期生/GP2、F2)など、そうそうたるメンバーを輩出している。

 角田に関してはもっと大きなニュースもある。既にアルファタウリでシート合わせを行っただけでなく、11月4日にはイタリアのイモラ・サーキットで2018年型マシンを使ったF1テスト走行することが決まっている。現時点では来季のF1昇格は未定だが、可能性がないドライバーにF1テストを任せることはない。小林可夢偉以来のフル参戦F1ドライバー誕生の可能性が高まっているのだ。

 一人のドライバーがF1までたどり着くには莫大(ばくだい)な費用が掛かる。海外に目を向ければ、親が億万長者でチームごと買収してF1へステップアップという話も珍しくない。そんな世界へ日本人ドライバーが挑戦するには下位カテゴリー時代から自動車メーカーのサポートが欠かせない。

 だからこそ、角田裕毅に続く才能を途絶えさせないためにも、ホンダには経営基盤を強化させ、再びF1参戦を宣言するような未来を期待したい。同時に、今後も若い日本人ドライバーの才能を積極的に後押ししてほしいものだ。(モータースポーツジャーナリスト・田口浩次)

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