【大学野球】シンガポールで野球を始めたドラフト上位候補 みちのくの150キロ右腕が待つ運命の日

八戸学院大・大道温貴【写真:高橋昌江】

投手育成に定評のある八戸学院大、大道温貴投手

今秋のドラフト上位候補、八戸学院大・大道温貴投手(4年、春日部共栄)。最速150キロの直球にスライダー、チェンジアップなどを持つ右腕は、1年春からリーグ戦で登板してきた。これまで同大学からは高橋優貴(巨人)ら9人が進んでいるが、そのうち、6人が投手。また好投手誕生の予感がする。運命のドラフト会議を前に、夢の扉の前に立つ大道にこれまでの歩みを聞いた。

最速150キロの直球にスライダー、チェンジアップなどを持つ右腕は、1年春からリーグ戦で登板してきた。

――春日部共栄高校から八戸学院大に進学した経緯を教えてください。

「高校の進路相談で『プロ野球に入りたい』と言ったのですが、本多利治監督から『お前が行くところはもう決まっている』と言われたのが、ここ(八戸学院大)でした。東北地方は力をつけて独り立ちできればピッチャーが輝けるじゃないですか。(八戸学院大の)正村公弘監督からは『関東から東北に来て、プロを目指すのもありなんだぞ』という話をされました」

――大学では1年春からはどのような取り組みを?

「最初はひたすら、思いっきり投げていました。2年生くらいまでは三振に興味がなくて、相手打者の木製バットを折ってやろうって感じでしたね。1年秋のリーグ戦の青森大戦で、1試合に7本のバットを折ったんですよ。だから、僕、下級生の頃はそんなに三振を取っていないんです」

――その後は?

「正村監督から1年秋にカットボール、2年春にチェンジアップを教わりました。そこから幅が広がり、変化球でも三振を取れるように。3年秋にはストレートが149キロに。今年に入って、スライダーが評価されていないことを知りました。僕、負けず嫌いなのでどうにかして打者の近くで曲がるスライダーを作りたくて、そこから練習しました」

――投手育成に定評がある正村監督の教えはどのようなものでしたか?

「3年秋までひたすら怒られていたので、甘やかしてもらえなかったことが一番じゃないですか。立ち振る舞いや場面での投球など、理想に近づいていなかったので。僕は『どこが悪かったんですか』とか聞いちゃうタイプ。漠然と怒られるのではなく、理由を理解したい。だから、よく言い合いみたいになりましたね。入寮3日目には“ケンカ”したので。でも、年々、徐々に監督の言っていることが分かっていきました」

八戸学院大・大道温貴【写真:高橋昌江】

憧れの投手は斉藤和巳さん

――野球をはじめたのはシンガポールと聞きました。

「小学1年の終わり頃、親が地球儀を持ってきて『ここに行くぞ』という話をしてきたんです。それが、シンガポールでした。父の海外赴任が決まり、3年間だったので家族で行くことになりました。父はもともと、テニスのコーチをしており、シンガポールに行ったらテニスをすることになっていました。すでにはじめていた水泳も継続しました。小学2年からシンガポールの日本人学校に通い、そのクラスの子がソフトボールをやっていたので、僕も入りました。野球はソフトのオールスターみたいな子たちが集まってチームを作っていて、ソフトと野球を両立している人がエリートという感じがあったんです。野球をやっている人、かっこいいなと思って、野球もやらせてもらいました」

――覚えていることはどのようなことですか?

「小学2年で野球をはじめ、基礎がないじゃないですか。そんな時に行われた元メジャーリーガーの野球教室ですね。英語だったので何を言っているのか分からなかったですが、ジェスチャーで読みとった感じです。アジア大会に出たり、大会で台湾に行ったりもしました」

――プロになりたい、と思った時期はいつ頃ですか?

「大学3年の秋が終わってからです。3年秋からは怖いものがなくなったというか。毎試合、毎試合、自分と戦っていたんですかね。表現しにくいんですけど、なんだか、“怖さ”がなくなったんです。数字や人の評価って自信につながるじゃないですか。2年の時に侍ジャパン大学代表の候補合宿に行ったけど、打ち込まれて。その時、『来年、もう1度』って決めて行くことができ、2次選考まで進むことができたので」

――野球を嫌になったことはありますか?

「ありますよ。高校3年間を振り返ると、成功したイメージはありません。失敗、失敗の高校野球でした。実は高校3年の春、荷物をまとめて寮を出て最寄駅まで行ったんです。コーチが追いかけてきて『お前しかいないんだぞ』と止めてくれて。その後、3日間くらいは練習に行きたくなくて、教室にいました。でも、やっぱり、戻るしかないのかなって。結局、野球なんだなって思いましたね。あの時、コーチに止められていなかったら辞めていましたね」

――参考にしているプロ野球選手はどなたですか?

「斉藤和巳さん(元ソフトバンク)です。三振を取るべきところで取りますし、あとは、マウンドに上がっているオーラっていうんですかね。すごいですよね。自分の魂とボールの勢いがマッチしている感じがありますよね。いろんな選手の動画を見ても、一番、インパクトが強かったです」

――ピッチャーの醍醐味はどういう部分にありますか?

「自分次第で試合が動くこと。いい方に動かすこともできるし、悪い方に動いてしまうこともある。バッターが打つ、打たないというのもピッチャーの投球内容で決まると思っています。意図的に三振を取るところで取れたら大人しく終わるのではなく、態度に出すことによってバッターが燃えて点を取ってくれる。そういうスタイルだから、斉藤和巳さんが好きですね」

――今後、伸ばしたいところはどんなところでしょうか?

「伸ばしたいのはストレート。いや、もう、すべてですよ。というのも、やっぱり、今の自分に満足していないですから。ここまでは行けるという理想はあります。ストレートの球速だったら、158キロくらいまで出せると思っているんですよ。でも、満足することなく、終わるんじゃないですかね。逆に、満足したらその時点で終わりじゃないですか」

○取材後記
シンガポールで野球をはじめた珍しい経歴から、ドラフトを前にした心境までインタビューさせていただいた。こちらの質問に対し、丁寧に答えてくれた。中でも、「自分がどんな選手なのか」ということを話す時は、言葉にギアが入った。その一言一句にうまくいなかった時の反骨心と、持ち続ける向上心が垣間見えた。

入寮3日目で正村監督のアドバイスにキャパオーバーして“ケンカ”に発展しながら、キャンプまでの1か月間、寮の入り口のガラスに向かってシャドーピッチングを繰り返し、助言を求めた。1年春のリーグ開幕戦で先発。今春は新型コロナウイルスの感染拡大の影響でリーグ戦が中止となったが、4年間7季で44試合に登板し、22勝7敗の成績を残した。

本人が話したように毎年のように使える変化球が増えていき、今年はスライダーが武器に。6試合、36イニングを投げ、60三振を奪ってみせた。このスライダーも否定されたことからメラッときて、磨きをかけたもの。名前に入っている「温」を感じさせるのは、ふとした時の笑顔だけ。心の中も瞳の奥も、炎が燃え盛っている。

【動画】ど迫力の150キロ直球! ドラフト上位候補、八戸学院大・大道温貴の実際の投球映像

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(高橋昌江 / Masae Takahashi)

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