一家崩壊のSOS、行政の反応鈍く 【下】3歳児を死なせた8人家族に起きたこと

 大阪市平野区の混沌とした家庭の中で、知的障害がある23歳だった姉に3歳男児が腹を踏みつけられて死亡した事件。「このままでは一家は崩壊する」。関わりがあった福祉関係者や弁護士がSOSを出していたにもかかわらず、行政の動きは鈍く、悲劇は起こるべくして起きた。(共同通信=真下周、斉藤彩)

ゆり被告らが通っていた作業所「パラダイス八尾」=9月下旬撮影

 ▽見守り支援の提案に「前例ない」

 事件が起きる少し前、金城ゆり被告と母親、長男の3人が通っていた大阪府八尾市の作業所「パラダイス八尾」代表の正野裕久さんは、育児の負担軽減のため保育所の利用を母親に勧めた。だが本人がその気にならず状況は動かなかった。

 行政には、事あるごとに長男の見守りを手厚くするよう進言していた。パラダイスでは、朝から夕方までは見守ることができても、それ以上の関わりはできない。長男の問題行動は、家に帰るまでの間に起きることが多かった。夕方から夜にかけて、どこか別の施設で過ごせる仕組みがあれば―。そう考え、例えば食事や入浴ができる高齢者のデイサービスのような支援ができないか、行政に提案してみたが、平野区は「前例がない」として応じなかった。

 事件の2年近く前、窃盗事件を起こして逮捕された長男を巡り、区役所で支援者らを集めた会議が開かれた。2017年6月のことだ。当時から父親による長男への暴力は分かっており、虐待として介入すべきとの求めがあったが、平野区の担当者は取り合わなかった。長男だけでなく一家全体を支援していく方向でまとまったものの、具体的な対応策は出ずじまい。また、長男の施設入所を希望する父親に対し、区の担当者は「自分で電話してみたら?」と施設の一覧を渡すだけだった。結局、「空きがない」という理由で、父親の求めに応じてくれる施設は一つもなかったという。

 その1年後、今度は雷斗ちゃんが長男の処方薬を誤飲したとして、救急搬送される事案が起きた。病院が児童相談所に「ネグレクト(育児放棄)の疑いがある」と通告したとみられ、児相は雷斗ちゃんを一時保護した。ところが約2週間後には「家庭内の安全を確認した」として解除。雷斗ちゃんは一家に戻され、児相は区役所や保健師に事案を引き継いだとした。この後に平野区が動いた形跡はない。支援側が手をこまねいている間に、両親は長男を閉じ込め、ゆり被告は弟を死なせてしまった。

大阪市平野区役所=10月下旬撮影

  ▽事件後に対応一転

 ゆり被告の主任弁護人を務めた荒木晋之介弁護士は、長男が起こした事件も担当していた。平野区役所には「支援が必要」と繰り返し働き掛けていたが、区の担当者が消極的な姿勢に終始していると感じた。雷斗ちゃんの事件後、担当者は「虐待通報として(情報が)上がっていない家庭だった」と開き直った。荒木弁護士は「会議が開かれた時点で対応していれば…。区を悪者にするつもりはないが、想像力が足りないのではないか」。恐れていた事態が起きてしまい、今では自責の念ばかりが募る。

 雷斗ちゃんの事件は大きく報道された。皮肉なことに事件後の行政の対応は迅速だった。長男(23)は公立施設に入所し、他の子らも児童養護施設などに預けられた。正野さんには、事件前後の対応の落差が解せない。「支援が行き届いていないことは前々から分かっていたのに、なぜ事件前に本気の対応ができなかったのか。起こるべくして起きた事件だ」と、区の姿勢を厳しく批判する。事実経緯と見解について、区の障害福祉課に取材を申し込んだが「今後も一家と関わり続ける立場。守秘義務があり、答えられない」と断られた。

 ▽父親「今更言い訳も」

 公判が終わった9月末。仕事を終え、車で自宅に帰ってきた父親(46)に夕方、玄関先で声を掛けた。証人としても出廷した父親。「判決も出たし、何もしゃべりたくない。思い出したくない。ごめんやけど」とつぶやくように話した。

 今も同じ一軒家でゆり被告の母親である妻(43)と暮らしている。近所の人によると、事件後にまた赤ちゃんができたようだ。父親は「嫁さんは障害があるし、年金もらっていても、一人じゃ生活していかれへん。(住宅ローンの)支払いも残ってる」と目をうるませる。夫婦間では「また一から家族をつくり直そう」と話し合っているという。

 法廷では雷斗ちゃんを「亡くなったとは思っていない」と話していた。改めて聞くと気持ちがこみ上げたのか、立ちすくんだまま「何を言ってもライは帰って来ない…。自分の子を忘れる親はおらんでしょ」とむせび泣いた。どんな子だったのか、父親の口から聞いてみたかったが「もういいねん。ゆりも(雷斗に)手を合わせてる、って検事さんが教えてくれたから」と自らを納得させるようにうなずいた。

 ゆり被告は事件後、両親との関係を絶つと言った。公判で証言する父親とゆり被告の間には、ついたてが立てられた。「(あの子の今後の生活を)応援したい」「ゆりの気持ちを尊重する。会いたいですけど」と声を震わせながら答える父親に、彼女がうつむいて耳を傾け、静かに涙を流していたのが印象的だった。

 家を建てて引っ越してきた際も近隣住民にあいさつをせず、トラブルばかり引き起こしていた一家。誰もが〝窮状〟に気付いていながら、親身になって手を差し伸べる人はいなかった。父親が「今更言い訳になるけど、自分は人が好きじゃないし、福祉もあまり信用してなかった」と振り返るように、自ら孤立していったようにも見える。

 成年後見人として付いた小坂梨緑菜弁護士は「両親を責めるつもりは全くない。行政の支援を受けられず、彼らも被害者だと思う」と話す。自助、共助がだめなら、公助(公的な支援)が必要不可欠だったが足りていなかった。

取材に応じる成年後見人の小坂梨緑菜弁護士=10月中旬

 ▽「普通は昼ご飯食べるの?」

 検察側は控訴せず、執行猶予付きの判決が確定した。ゆり被告は新天地のグループホームで暮らし始めた。小坂弁護士によると、元気に過ごしているものの、普通の人が毎日繰り返している規則正しい生活にはとまどいもあるという。

 事件前はパジャマを着る習慣がなく、ジーパンなどをはいたまま寝ていたため、朝起きて着替えることにも慣れないようだ。「普通の人は昼ごはんを食べるの?」と尋ねることもあり、世話人がつくる手の込んだ料理に感動している。

 小坂弁護士は、ゆり被告から母や姉のように頼りにされているようだ。筆まめなゆり被告からは、身柄を拘束されている頃から、かわいいキャラクターの絵が付いた手紙が幾度となく届いた。「母の日」には特別、思いがこもった手紙を受け取った。「感謝しています」という内容が、小さな字でびっしりとつづられていた。

 ただ小坂弁護士は「ちょっと私には重すぎますね」と苦笑する。昨年12月に後見人になってから拘置所の面会にこまめに通い、困り事を聞いたり差し入れをしたりして信頼を構築してきたが、まだ日は浅い。「そこまで濃い関係を築けていない中で、これだけの思いを私に抱いているのは、逆にこれまで育った環境の悪さや人間関係の薄さがうかがえます」。事件後は両親、特に母親の話は全くしないという。

 機能不全の家庭で育ち、障害による能力的な制限もあって人との付き合い方を十分に身に付けていないため、周囲との距離の保ち方などをめぐって今後、悩みが出てくるのではないかと考えている。これから少しずつ生活に慣れて〝地の部分〟が出てきた時に起きる問題を想定しつつ、他の支援者と協力しながら、慎重に見守り続けるという。

 ゆり被告が生き直しを図る環境は整った。ただ、かわいがっていた弟を死なせてしまった心の傷はずっと抱えていく。彼女は加害者であり、被害者でもある。少し想像力を働かせれば、行政の介入が必要な家庭であることは明らかだった。適切なタイミングで適切な支援があれば事件は起きなかった。行政の〝不作為〟は厳しく批判されるべきだ。そして私たちも問われている。金城一家がもし隣に住んでいたら、何ができたか?社会が手を差し伸べられず、大切な命を失わせてしまった事実はあまりにも重い。

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