アジア系コミュニティの今(2)=サンパウロ市で奮闘する新来移民=大浦智子=フィリピン編<5>

©Nikkey Shimbun

ジュディ・アベフエラ・チケルバさん

ジュディ・アベフエラ・チケルバさん

 「私たちのチームのために」と、フィリピン人コミュニティーの取材を快諾してくれたのは、ジュディ・アベフエラ・チケルバさん(44歳)。ブラジルに暮らすフィリピン人たちの人生を紹介することを通して、フィリピン人移民のチャンスを広げることに積極的な女性の一人だ。
 ジュディさんはフィリピンのビコル地方ソルソゴン州で生まれ育った。12歳から奨学金を得てマニラの中学校で勉強し、サンタイザベル大学で会計学の学位を取得。大学卒業後は文字通りキャリアウーマンとして生き、コーポレートワールドに参加し、海事学校の会計スタッフや航空会社の内部監査人ほか、不動産会社でセールスマネージャーを務めていた。
 フィリピン在住のナイジェリア人男性と結婚し、より快適に暮らせるということで、2005年に夫がブラジルに一人で渡航した。その後、2007年に夫に呼ばれてジュディさんも9カ月の長女を連れてブラジルに。観光ビザで入国し、期限切れで不法滞在となったが、2008年に二女を出産したことで、罰金を払って永住権を申請し、2010年にはRNE(外国人登録証)を取得した。
 フィリピンでは仕事も充実し、お手伝いさんを雇って順調に家事育児も両立していた。それがブラジルに来て仕事探しに始まり、2010年には3人目の長男を出産。二女は生まれつき足に障害があり、長年病院通いが続く中、家庭の事は女性に任せきりという考えの夫との生活。

NGOのメンバーとジュディさん(左から4番目)

NGOのメンバーとジュディさん(左から4番目)

 実質的に一人で仕事をしながら家事育児をやりくりしなければならず、フィリピンに帰国する時間もこれまで持てずに奔走してきた。
幸い、両親がブラジルまで孫の顔を見るために遊びにくれたことは、喜びのひと時だった。
 現在はブラジルの大手銀行の幹部クラスや米国系の多国籍企業などの社員に、個人やグループレッスンでビジネス英会話を教えている。自分で休日を設定した月曜日以外はほぼ毎日複数のレッスンで埋まっている。
 「ビジネス英語の教師はニーズがあり、ブラジルでは仕事のチャンスも多いです」と話すジュディさん。今日まで日常生活も仕事も英語で過ごす時間が圧倒的に多かったが、フィリピン語(ビコル語)と英語の教育を受けてきたバイリンガルでもあり、異言語への壁は低く、ポルトガル語の日常会話にそれ程悩んだことはない。
 唯一、子どもたちの保護者会に出席した時、先生たちの説明がよく分からず、困ったことがあったと振り返る。
 パンデミックになってから英語のレッスンはオンラインに切り替わった。企業の中には社員への英語の授業料支援をカットしたところもあり、グループレッスンが減るなど、以前より少し仕事は減っている。

ミッソン・ダ・パス教会で集まるフィリピン人コミュニティー

ミッソン・ダ・パス教会で集まるフィリピン人コミュニティー

 そんな中、ジュディさんはオリエンタルフードレストランを10月にリベルダーデ地区でオープンする予定だ。将来はフランチャイズの語学学校ウィザードを開くという夢もあり、自分のできる小さな事から着実に歩を進めている。
 異国のブラジルでネットワークを広げながら新たな基盤を築いて来たジュディさん。仕事以外でもミッソン・ダ・パス教会のフィリピン・コミュニティーやNGOの慈善事業でボランティア活動に携わる。『現代の奴隷制』というテーマでフィリピン移民についてPUCで特別講演に登壇したこともある。
 どこにいても、温かい人柄と常に全体の事を視野に入れながら、確実に仕事をこなす姿は一目を置かれ、皆に頼られる存在となっている。NGOの語学教育の事業では、ナイキと提携して有能な難民の教師の収入をアップさせるように取り次いだ。
 「ブラジルが好きですし生活にも慣れました。もしフィリピンに戻ればまたゼロからのスタートになります。フィリピンへは旅行するだけか、戻るなら自分でビジネスをすることしか考えていません」
    ☆
 ブラジルでは圧倒的に女性が多いフィリピン人移民。リベルダーデ地区を歩いていても日本人か中国人かブラジル生まれのアジア人か見分けがつかない。異国の土地で、思いやりや助け合い精神といった女性ならではの強みを生かし、連携して強くしなやかに生き抜いているのがフィリピン人移民の姿だ。(フィリピン編、終わり)