首里城火災は「舞台の準備が原因では」 ネットで飛び交う臆測 あの日それぞれが感じた“悔しさ”

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2019年10月31日、夜明けを迎えた首里城公園の火災現場。正殿(中央)は焼け落ちていた。今月31日で丸1年になる=那覇市首里当蔵町(小型無人機で撮影)

[首里城火災 あれから1年](上) 「10.31」当日

 昨年10月31日、首里城の正殿など9施設を焼いた火災から、31日で丸1年が過ぎる。沖縄を象徴する城を巡って、大勢の人々がそれぞれの現場で何を思い、どう行動したか。「10.31」当日と、その後を2回に分けて振り返る。

 

 「防護服を着ていても、肌が焼けそうに痛かった」。昨年10月31日未明、首里城正殿から炎が噴き出していた。南殿、北殿…周りに燃え移る猛火に耐え、那覇市消防局首里出張所の首里第一小隊長の玉城良さん(37)は御庭(うなー)でホースを握った。

 午前2時40分過ぎに聞いたのは首里城の「付近」で火災という指令。首里城公園に着いて初めて、正殿が燃えていると知った。「まさか」。子どもの頃、首里末吉町の獅子舞を踊った思い出の御庭から放水した水は、熱でたちまち蒸発しているように見えた。1年後の今も、火災の映像を見ると消し止められなかった悔しさが込み上げる。

 編集者のいのうえちずさん(51)は、首里鳥堀町の家から着の身着のまま、カメラを持って首里城に走っていた。「首里城が大変!」。午前3時半ごろ、知人の電話で跳び起きた。

 「燃えてるよ、こんなのだめだよ」。首里城公園の入り口で、警官2人に羽交い締めにされて止められても「撮るほかない」。正殿の見える池、龍潭近くに移って午前3時49分、動画の撮影ボタンを押した。

 SNSでの中継に、国内外から次々と反応が来ていた最中。静かに燃えていた正殿が、崩れた。「しゃらしゃらしゃらー、と、あまりに悲しい音だった」。柱が傾き、瓦が滑り落ちた瞬間の音が忘れられない。

 午前4時前、舞台技術を担っていた我如古勝弥さん(56)は沖縄美ら島財団や消防から電話で呼び出された。御庭で数日後に披露される予定だった組踊300年の記念舞台を午前1時まで設営後、痛めた足の治療で病院にいた。

 プライドをかけて支えるはずだった舞台は、一夜で消えた。失意の中、事情聴取が始まった。火元の正殿には入っていない。なのにネット上には、舞台の準備が原因では-と臆測が飛び交った。

 自分たちのせいではないと消防は結論を出した。が、機材を失い、補償もない。新型コロナウイルス流行で仕事も減る「いばらの道の入り口」となった10月31日。それでも「再建元年」の今年も首里城でイベントを支える。(首里城取材班・城間有)