進駐軍が捉えた、占領下の古都の姿 今と変わらぬ観光も

 終戦後に進駐軍関係者が奈良市で撮影したとみられる写真が多数見つかった。1947年ごろのものとみられ、接収された場所に設けられたキャンプ地内も捉えていた。日本人による撮影が禁じられていた場所が多く、専門家は占領期の軍の営みが分かる数少ない史料と評価している。(共同通信=田中なつみ)

仏像に座る進駐軍関係者の写真(Hiro Naganoさん所有

 ▽「進駐軍を迎える心得」

 持ち主は進駐軍に関連する研究を在野で続ける大阪市のHiro Naganoさん(54)で、今回の写真を含む複数のアルバムを保管していた。進駐軍がキャンプ地などとした旧日本軍第38連隊跡地(現奈良教育大など)にあったとみられる建物のほか、休暇の際に撮影したであろう東大寺や春日大社周辺の写真もあった。

 複数の書籍によると、奈良県に初めて進駐軍が駐留したのは45年9月だ。県庁には知事を本部長とする進駐軍受入県実行本部を設置され、英文での案内版などが設けられた。また、終戦後の虚脱状態にあった県民に対しては「進駐軍を迎える県民の一般心得」が発表されたという。

春日大社の鳥居前に設置された大阪や京都を示した英語の案内版(Hiro Naganoさん所有)

 9月24日には米第6軍の一部が駐留を開始し、旧日本軍の第38連隊跡地など奈良市内各地にキャンプ地を設置した。現在の天理市にあった大和海軍航空隊などの軍事施設を始め、将校用の住宅としていずれも奈良ホテルや旅館、奈良市の高畑町付近の民家も接収された。第6軍はその後、現在の奈良教育大内にキャンプを設けた第25歩兵師団が属する第8軍と交代となる。接収された建物は1952年のサンフランシスコ講和条約の締結後から徐々に解除され、58年2月に全面解除になった。

 ▽日本文化に興味

 今回見つかった男性2人が肩を組む写真の壁面には「235」のナンバーの刻印がある。「奈良教育大学史―百年の歩み―」によれば、米軍施設は壁面に黒字でナンバーが記され、基礎などが赤茶色のベンガラ塗り、壁は白などと記載がある。写真の特徴と一致しており、奈良教育大内で撮影されたものだと考えられる。写真の裏面には「47年11月、奈良」と英語の記載もあった。

進駐軍のキャンプ地内の写真(左)。裏には英語で「47年11月 奈良」と書かれている(Hiro Naganoさん所有)

 また、奈良市の若草山を背景にした集合写真では、男性の服に駐留していた米軍第25歩兵師団のマークとみられる葉っぱと稲妻のような図柄が確認できる。

奈良市の若草山を背景にしたとみられる集合写真(Hiro Naganoさん所有)

 大砲の絵や「64th」の文字が読み取れる看板の写真もあり、50年からの朝鮮戦争に行く前の所在地が判然としない同団第64野砲兵大隊の存在を示す可能性もある。

大砲の絵や「64th」と書かれた看板の写真(Hiro Naganoさん所有)

 入江泰吉記念奈良市写真美術館の説田晃大(せつだ・こうだい)学芸員(49)は「進駐軍にはむやみにカメラを向けることもできなかった。当時の様子は一部しか分かっておらず、写真もほとんど残っていないため貴重だ」と話す。写真には進駐軍関係者の笑顔が見られ、太平洋戦争と朝鮮戦争の間の平和な空気が漂っている。東大寺の仏像の膝に腰掛ける軍関係者とみられる男性の写真もあり、説田さんは日本文化に興味を持っていたのが分かると指摘する一方で、参拝についての深い知識はなかったのだろうと推測した。

 ▽惨めな時代

 東大寺の狭川宗玄(さがわ・そうげん)長老(100)は、奈良に進駐軍がいた時代の様子を知る1人だ。あの頃も今と変わらず大仏殿と春日大社を巡る観光コースが人気で、「今の外国人客と全く同じ様子だった」と振り返った。一方で、拝観料も徴収できず「戦争に負けた国だから何も言えない惨めな時代だった」という。

 当時、狭川長老は修行僧で、軍服を着た米兵が境内を散策する姿を何度も見かけた。休日だったとみられ、写真を撮ったりシカにせんべいをやったりして楽しんでいたという。境内には英語表記の掲示が設置され、米兵の参拝は珍しい光景ではなかった。

 進駐軍関係者が仏像の上に乗る姿が写真には写っていたが、狭川長老もそうした行為を目にしたという。だが、「当時、日本人は行動をとがめることはできなかった」と振り返った。

 ▽怖かった記憶

 奈良市の進駐軍キャンプ地近くで父が理髪店を営んでいた大矢享武(おおや・すすむ)さん(71)によると、朝鮮戦争前後からひげそりや散髪のために軍関係者が毎日店を訪れるようになった。奈良ホテルなど接収された建物の前には門番が立っており、日本人が入ることはできなかったこと、家の近くをジープで走りながらチューイングガムをまかれた記憶は今も残っている。「大きな男の人が『かわいい男の子』と英語で言って抱っこしてくれたが、怖かった記憶が思い出される」と大矢さんは話した。

 写真の中には、奈良市の春日大社の鳥居前に設置された大阪や京都を示す英字での案内版や、東大寺の鐘をついている進駐軍関係者の姿を写したものもあった。

東大寺の鐘をつく進駐軍関係者の写真(Hiro Naganoさん所有)

 Naganoさんは、主に占領期の人や物の流れを研究しており、国内だけでなく、韓国の釜山、済州島、巨済島、旧東パキスタン(現バングラデシュ)に関する当時の情報も広く募っている。連絡は電子メール、hpm.nagano@gmail.comまで。

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