大いなる誤解を受けた「ボーン・イン・ザ・U.S.A.」届かなかったメッセージ 1984年 10月30日 ブルース・スプリングスティーンのシングル「ボーン・イン・ザ・U.S.A.」が米国でリリースされた日

ベトナム帰還兵の現実を綴った「ボーン・イン・ザ・U.S.A.」

その夜、ブルース・スプリングスティーンは自宅の部屋で椅子に座っていた。机には1冊のノート。ページをめくると、ベトナム帰還兵をテーマにした書きかけの歌詞の断片がある。机にはもうひとつ、送られてきた映画の脚本が置かれていた。

ブルースはギターを手に取ると、コードをつま弾きながら、その歌詞の一節をなぞるようにして歌った。そして、まだ開いていない脚本に目をやり、表紙に書かれたタイトルを口ずさんでみた。

「ボーン・イン・ザ・U.S.A.」(アメリカで生まれた)

ベトナム戦争が終結してから10年あまりがたっていた。帰還兵の多くが負った肉体的・精神的な傷は大きく、そのことに対する世間の不理解が、彼らの社会復帰を一層難しいものにしていた。

ブルースが帰還兵についての歌を書こうと思ったのは、米国ベトナム戦争退役軍人会の代表だったボビー・ミューラーに会ったことがきっかけだった。ブルースは、彼らを取り巻く現実をそのまま歌の中に綴っていった――

シンプルなフレーズに込められた母国への誇りと批判

 帰還して製油所へ行ってみたが雇用係は
 「私の一存では決められない」と言う
 そこで退役軍人管理局の担当者に
 会いに行くと
 彼はこう言うのだ
 「なぁ、まだわからないのか」

命がけで帰国した彼らを待っていたのは、自分が誰からも必要とされていないという過酷な現実だった。しかしブルースはこの後のサビで、消す事のできない事実=出生地を、あたかも宣言するかように気高く叫ぶのだ。

 アメリカで生まれた
 俺はアメリカで生まれた
 俺はアメリカで生まれた
 俺はアメリカで生まれた
 アメリカで生まれた

送られてきた脚本のタイトルが、パズルの最後のピースのようにぴったりとはまった。このシンプルなフレーズには、生まれた国への誇りと批判が集約されていた。

国に自尊心を踏みにじられたことへの怒りと悲しみが滲んでいた。

彼らにはそれを取り戻す権利があると、ブルースは考えた。この曲でブルースがやろうとしたのは、そんな彼らの声をかりて、その心の叫びを然るべきところまで届けることだった。

聴く者に大きな高揚感を与えながらも、届かなかったメッセージ

「ボーン・イン・ザ・U.S.A.」は、わずか2テイクで完成したと言われている。ほぼ一発録りだったそうだ。ブルース自身が「奇跡の録音」と語った通り、Eストリート・バンドは瞬時にブルースの意図を理解し、最高の演奏をしてみせた。そして、完成したばかりの曲をレコーディングスタジオのコントロールルームで聴いたとき、これは自分の最高傑作のひとつになるとブルースは思ったという。

関係者以外でこの曲を最初に聴いたのは、ボビー・ミューラーだった。ボビーはスタジオに招かれると、黙って曲に耳を傾け、最後ににっこり笑ったという。

ベトナム戦争の終結から10年あまり、その間を彼らがどんな気持ちで過ごしてきたのか。ブルースは声を絞り出すようにしてこう歌っている。

 刑務所が落とす影の中で
 製油所で燃えるガスの火の外で
 この10年、
 煮えくり返る思いで生きてきた
 逃げ場さえなく
 どこへ行くこともできない

 俺はアメリカで生まれた

「ボーン・イン・ザ・U.S.A.」はリリースされると、ブルースが想像していた以上に大きな反響を呼んだ。パワフルな歌と演奏が、聴く者に大きな高揚感を与えた。しかし、残念なことにブルースが歌に込めたメッセージは、大多数の人の心に届かなかった。

レコードが売上げを伸ばすに従い、イメージは固定され、テーマは歪められ、都合良く利用された後、飽きられ、そして捨て去られた。それはポップであることのリスクだったと言える。

ポップミュージックの長い歴史の中でも、「ボーン・イン・ザ・U.S.A.」ほどひどい誤解を受けた曲は少ないだろう。発売から数年後のハロウィーンには、赤いバンダナを頭に巻いた子供達が「僕はアメリカで生まれた」と歌いながら、ブルースの家にお菓子をもらいに来たという。

その頃には自分が置かれた状況を理解していたとはいえ、ブルースを暗澹たる気持ちにさせるには十分な出来事だった。ここまで来ると、もう逃げ場などなかったのだ。

どん詰まりの歌の中にある、なんとかしたいという純粋な気持ち

その後、「ボーン・イン・ザ・U.S.A.」は、曲本来のテーマに相応しい重たいトーンのアコースティックヴァージョンとして再レコーディングされている。とても真摯で正直な演奏だったが、そこにオリジナルヴァージョンが持っていた聴く者の心を否応無しに揺さぶる巨大なエネルギーはなかった。

すべての虚飾を削ぎ落した後に残ったのは、思慮深くて誠実な、小さな声だった。

ブルース・スプリングスティーンの熱心なファンにとって、「ボーン・イン・ザ・U.S.A.」は扱いの難しい曲だ。この曲を好きだという人にも、この曲を嫌いだという人にも、僕は同様に疑いの目を向けてしまう。今も誤解されているのではないかと勘ぐってしまうのだ。それは僕らファンもまた悔しい思いをしてきたからに他ならない。

それでも、僕はこの歌がもつポジティヴなエネルギーを愛している。「ボーン・イン・ザ・U.S.A.」はどん詰まりの歌だ。どこをさがしても出口は見えない。けれど、ブルースとバンドはそんな厳しい現実を力強い演奏で跳ね返そうとしている。傷ついた人達の心を鼓舞し、勇気を与えようとしている。

望まない状況を打破したいと真剣に考え、そのことが原因で誤解されたとしても、それはひとつの結果に過ぎない。大切なことはもっと違う場所にあるはずだ。

おそらく、ブルース・スプリングスティーンはなんとかしたかったのだろう。

その純粋な気持ちこそが、この曲にまつわる大きな誤解の向こう側にある真実なのだと、僕は思っている。

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※2018年6月4日、2019年10月30日に掲載された記事のタイトルと見出しを変更

カタリベ: 宮井章裕

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