『人新世の「資本論」』斎藤幸平著 ラディカルな警世の書

 マルクスで環境危機を乗り越えるなんて本気? そんな批判と嘲笑を覚悟で本書を執筆した、と著者は書いている。当然、こちらも眉にたっぷり唾をつけて読み始めた。

 論旨は明解かつ刺激的だ。人類の活動が地球規模の環境変化をもたらした地質年代「人新世」が提唱されているように、私たちが直面する最重要課題は地球温暖化による環境危機である。

 著者は人類が経済成長を目指す限り問題は解決しないと明言する。国連が掲げるSDGs(持続可能な開発目標)、グリーン・ニューディール、再生可能エネルギー、電動自動車……危機回避の選択肢はどれも現実逃避の弥縫策であることがデータと理論で徹底的に暴かれる。ここまでは想定内。私たちは今の社会システムではもう地球が持たないことに薄々気づいている。

 著者は唯一の解決策は経済成長から脱成長への転換だと訴える。そして、なんと成長を大前提とする資本主義から離れて「脱成長コミュニズム」に移行せよという。しかもそのアイデアは晩期マルクスの思想に胚胎していた、とも。

 近年、マルクスが残した膨大な研究ノートの整備が進む中で、晩年のマルクスは「生産力の向上が最終的に人類を解放する」という進歩史観と決別し、「平等で持続可能な定常型経済」=脱成長コミュニズムに到達したという。常識的なマルクス理解からは仰天の理論的大転換だが、問題はその中身と有効性だろう。

 水や電力や生産手段といった社会的な共有財を市民が所有・運営し、必要なものだけを生産して大量生産・大量消費から脱却する。経済の減速によって人々を長時間労働や画一的な分業、際限のない消費から解放し、格差のない人間的生活を実現する――。

 夢物語だろうか。いや、最終章では市民がエコロジカルな都市改革を進めるバルセロナ市をはじめ各地で進む脱成長の試みが報告される。それらをコミュニズムの萌芽と呼べるかどうかは疑問だが、今ある社会を大前提とせず、無関心と冷笑主義を捨てて一歩踏み出せという訴えは力強い。

 1987年生まれ。気鋭の論客によるラディカルな警世の書である。

(集英社新書 1020円+税)=片岡義博

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