同行記者が見たコロナ禍の首相外遊 何度も検査、外出禁止にネット取材も

 菅義偉首相の就任後初の外国訪問に同行した。新型コロナウイルスの流行後、初めてとなる首相外遊の訪問先はベトナムとインドネシアだった。感染していないことを確認する検査は、10月18日から21日の行程で計3回。マスク着用は必須で、首脳会談や視察など取材の多くが参加者を絞った代表制になった。ホテル外への私的な外出は禁じられ、食事は弁当が中心。海外の雰囲気をほとんど感じることなく、慌ただしく帰国した。(共同通信=篠原雄也)

宿泊先のホテルでPCR検査を受けるため、部屋に入る同行記者ら=10月18日、ハノイ

 ▽出発前に陰性証明

 各国で人の往来が厳しく制限される中、両国への入国には首相も同行記者も、事前のPCR検査による陰性証明書の携帯が義務づけられた。筆者は出発3日前の15日朝、外務省が手配した都内の病院を受診。小さな専用の個室で防護服姿の関係者が、鼻の奥に綿棒を3秒ほど突っ込んだ。陽性の場合は、保健所からその日のうちに電話連絡があり、陰性の場合は外務省職員が代理で、陰性証明書を一括して受け取る手はずだ。

 特別なビザを取得するため、別の記者に交代することはできない。上司からは「頼むぞ」と言われており、検査後は知らない番号の着信音が鳴るたびに息をのんだが、保健所から連絡はなかった。後で聞いた話だが、他社の記者の中には、同行が決まった直後に自費で事前に検査を受け、陰性を確認して今回の検査に備えた人もいたという。

国内で事前に受けたPCR検査に使う容器=15日、東京都新宿区

 ▽入国直後に再び検査

 政府専用機で羽田空港を出発し、ベトナム・ハノイの空港に18日午後6時(日本時間同8時)ごろ到着。同行記者専用のバスに乗り込んだ。窓から市内の様子を見る限り、マスクをしている人は少数。レストランでは、テーブルを囲んで楽しそうに談笑する様子も見えた。

 しかし、宿泊先のホテルでは様子が一変。バスが横付けされた裏口には、全身防護服姿の駐ベトナム日本大使館職員が待ち構えていた。「すぐにPCR検査を受け、結果が出るまで自室から出ないでください」と指示があり、空気が張り詰めた。従業員専用のエレベーターと通路を使ってホテル内の検査場に移動。防護服姿のベトナム保健所当局者が、記者の舌と鼻のそれぞれ2カ所から粘膜を採取した。自室待機を命じられ、夕食は部屋にあったチキン南蛮弁当を半分ほど食べた。

 万が一陽性だった場合は、ベトナム当局の指示に従って隔離され、治療・療養に入らなければならない。「頼むぞ」という上司の言葉を再び反すうし、不安と緊張で寝付けなかった。一睡もできないまま翌19日午前6時過ぎ、外務省から「全員陰性」のメールが入り、やっと胸をなで下ろした。

 首相や政府高官らの入国時の検査は、外交儀礼上の判断で免除されたが、多くの外務省職員らは記者と同様に検査を受けた。準備作業で1週間ほど早めに入国した外務省職員は「入国後もほぼ2日に一回検査を受けた。ばい菌扱いされているようだ」と苦笑した。

 ▽市中感染者はゼロ

 ベトナムでは市中感染が1カ月以上確認されておらず、空港で入国者の感染が確認されるだけ。日本の訪問団への警戒が、ひしひしと伝わってきた。日本大使館のベトナム人スタッフと、事前に打ち合わせをしようとした外務省の職員は「接触は最低限にしたいと拒否された」と明かした。

 ホテル内のレストランや売店の利用も禁止され、同行団以外の人との接触も制限された。取材時以外は外出も厳禁で、マスクは常時着用。朝食は部屋のドアノブに掛けられた魚弁当で、昼と夜は記者室の隣に設けられた専用ビュッフェだった。

ドアノブに掛けられていた朝食の魚弁当=19日、ハノイ

 それでも19日に首相府で行われた首脳会談や共同記者発表は、一部を除いて取材が認められた。マスクを着けていない現地のベトナム人記者もおり、温度差を感じる場面も。菅首相も時折マスクを外し、にこやかな表情を見せていた。

 ▽インドネシアへ

 20日午前、政府専用機でインドネシアに移動した。新型コロナの状況は依然深刻で、感染者は1日当たり3千人を超える日が続く。日本の外務省は「東南アジア諸国連合の重要な国」として首相訪問を決めたが、視察を極力控えるなど警戒は怠らなかった。入国時のPCR検査は全員が免除されたが、首脳会談など大統領府での行事を取材するカメラマンや政府高官は、ベトナム滞在時に検査を受けたという。それ以外の記者は宿泊先のホテルでネット中継による取材を余儀なくされた。

ホテルのインターネット視聴で取材する同行記者ら=20日、ジャカルタ

 「わざわざここまで来て…」と閉口する一方で、首脳会談の場でもマスクを着けたまま、透明な板越しに立つ菅首相とジョコ大統領の姿を見ると、感染防止に細心の注意を払っている状況に納得せざるを得なかった。同国でも外出は禁止されたが、ホテル内の売店やレストランの利用は認められた。安堵感とともに感染対策の甘さが気になり複雑な気分だったが、結局仕事に追われ、名物のナシゴレンも口にできなかった。

 ▽帰国 後は自宅待機

 21日午後、政府専用機でジャカルタを出発した。2週間の滞在先や訪問場所を記した「活動計画書」と、所属する企業や団体が体調管理や行動に責任を持つ「誓約書」を、機内で外務省職員に提出。これで帰国後2週間の自宅待機が緩和され、公共交通機関を使わなければ職場と自宅の往復が可能になる。

インドネシア・ボゴールの大統領宮殿で、ジョコ大統領(左手前から3人目)と会談する菅首相(右手前から2人目)=20日(代表撮影・共同)

 羽田空港に午後10時ごろ到着。帰国者専用のルートで抗原検査を実施する施設に向かった。体調について回答する「質問票」と引き換えに検査官から試験管を渡され、一定量の唾液を入れるよう指示された。

 すぐそばの個別ブースに入るが、喉が渇いて思うように唾液が出ない。目の前には梅干しとレモンの写真が貼られ「唾液が出ない方は写真を見ながらあごをマッサージしてください」との注意書きも。何とか唾液が一定量に達し、試験管を提出して検査は終了。公共交通機関を利用しないという約束で、結果判明前に帰宅を許された。

 22日午前1時過ぎ、外務省から「全員陰性でした」とのメールが届いた。現在はテレワークで2週間の自宅待機中。体調は至って良好だ。

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