完全自由投票を繰り返して役員選出 原点に「健全な常識」 日本学術会議は反日か(1)

By 佐々木央

渡米使節団として東京・羽田空港を出発する左から亀山直人、我妻栄、仁科芳雄の3氏=1950(昭和25)年3月3日

 10月23日、読売、産経、日経の3紙に「日本学術会議は廃止せよ」という意見広告が掲載された。広告主は公益財団法人「国家基本問題研究所」。「日本を否定することが正義であるとする戦後レジームの『遺物』は、即刻廃止すべきです。国家機関である日本学術会議は、その代表格です」とある。果たしてそうなのだろうか。 (47NEWS編集部・共同通信編集委員=佐々木央)

 ■民主性確保する方法とは

 ある組織の実体や本質を知ろうとするなら、源流にさかのぼることも一つの方法だろう。

 日本学術会議は1949年1月20日、東京・上野の日本学士院で第1回総会を開いた。晴れて冷たい朝だったという。

 210人の会員は前年末、研究者たちによる直接選挙で既に決まっていた。初日は役員選挙である。だが、まず選出方法で紛糾する。

 七つの部(文・法・経・理・工・農・医)ごとに、候補を選ぶための選考委員を選挙して選考委員会を組織し、選考委員会で決めた候補に全会員が投票するという提案に対し、完全な自由投票を主張する意見が出る。理由は民主性確保である。前者のやり方では、ボス(学会の権威)の名が表に出て、それに反対することは難しくなるという。何十人も発言して、自由投票がコンセンサスとなる。

 次に、当選者の決め方をどうするか。単純多数か過半数か。過半数にするとして、どのようにして絞り込むのか。

 結論としては、投票を繰り返していくうちに、下位者への投票は減り、絞られていくだろうという考え方になった。つまり、誰かが過半数になるまで自由投票を繰り返す。

 この結果、会長選挙だけで3回も投票を繰り返した。そして電気化学の亀山直人に決まる。最後まで票を集めた人は他に、民法学者で立命館大学長の末川博、政治学者で当時東大総長の南原繁、戦時中の原爆研究で知られる物理学の仁科芳雄であった。

原爆被災の調査結果を発表する理研の仁科芳雄=1945年9月、東京・戸山の第一陸軍病院

 副会長は自然科学部門と人文社会科学部門から1人ずつ選ぶ。前者は2回の投票で仁科に決まった。人文科学部門については投票の推移を示す。

 第1回:末川博58,我妻栄41、南原繁28、滝川幸辰17(以下略)

 第2回:末川80、我妻79、滝川14、南原8(同)

 第3回:我妻101、末川95、滝川4(同)

 出席者総数は201であったから、我妻がぎりぎり過半数を得て逆転当選した。民法学の世界で東の我妻、西の末川と称されたが、ここでもライバルは激戦を繰り広げた。このたびの菅義偉首相による会員の任命拒否問題に関連して言及されることが多かった京大・滝川事件の滝川幸辰の名も見える。

 この後、各部に分かれて、ほぼ同じ方法で部長、副部長、幹事2人を選んだ。

 ■自らを、家族を、隣人を愛する

 日本学術会議は亀山を中心に、我妻、仁科のトロイカ体制でスタートした。亀山は総会2日目、1月21日の日本学術会議発会式で式辞を述べた。抜粋、引用する。率直な心情を吐露する冒頭が、印象的だ。

 ―我々は自らを愛する。またさらに家族を愛し、隣人を愛する。互いに相たずさえて楽しい社会を作って行きたいものである。そこには心と物の自由があり、好むところに従って行動することができ、欲するところに従って物が得られたいものである。愛する隣人にもまた同様な自由を得さしめなければならぬ―(一部、表記を改めた。以下同じ)

 人間の命まで動員された戦争が敗戦で終わり、わずか3年半。自分や家族や隣人を愛する心を否定し、自由を否認することは、人間の尊厳を根底から損なう。それを誰しも痛切に感じていた。亀山は続けて、人間集団(社会)の根本に踏み込む。

 ―我等は隣人と共に社会を作る。あるいは村を、あるいは町、あるいは国を作り、さらに集って世界を成している。この世界は平和な一つの世界であるべく、闘争の二つの世界は望ましくない。そこには侵略があってはならない。村は豊かであり、静かでもありかつ賑やかでもなければならず、村人は楽しく暮し得なければならぬ。社会には自由があるけれども、恐怖や搾取があってはならぬ。正義が保たれ、闘争の必要があるでようではならぬ。村人は皆健康でありたい―

 社会の価値として亀山が推奨するのは、平和、豊かさや楽しさ、自由、正義である。逆に闘争、侵略、恐怖、搾取を退ける。では当時の日本と世界は?

 ―今現実の日本を見る。いかに理想から遠いことか。食料は米国からの補給でやっと支えている。着るものも乏しい。焼野原に次第に仮小屋が建ってきたけれども新しい夫と妻を容れる家がない。また絶え間なく闘争が続けられる。次に世界を見渡す。日本ほどではなくとも、理想に近いとは言い得ない―

 ■困難を解決する合理的な思索

 困難を解決するものはなにか。科学だけにそれが可能なのだと力説する。

 ―我々は理智(Wisdom)を動員し、合理的(Rational)な思索と実行をして有力ならしむるより他にないと思う。合理は科学である。科学によってのみ日本は救われる。

 世界における大小の社会もまた合理即ち科学によってのみ発展進歩する。即ち、人間の本質の哲学を究め、人間達が相寄って作る社会の諸々の理論を研究する。永い過去にわたって人類が為し来った歴史と文芸を究めて将来の幸福に資する。自然の現象の規律を求め、進んでその規律を医、農、工に応用して生活を豊かにする。誠に科学は人類社会の福祉の基礎である。それは研究室のみのものでなく、行政にも、産業にも生活にも反映浸透させなければならぬ。

 誠に科学は有力である。しかし、この力を搾取と破滅に使ってはならぬ。平和と繁栄に役立てねばならぬ―

 科学は合理であり、福祉の基礎であり、将来の幸福に資する。科学の優位性をそのように説く亀山が「しかし、この力を搾取と破滅に使ってはならぬ」と厳しく戒めたことには、特に注意が必要だろう。

 ■根を張り枝を伸ばす

 亀山が1963年に死去したとき、我妻栄が弔辞を捧げている。

 ―あの当時(日本学術会議の創設当時―引用者注)、私どもは、このわが国には全く前例のない機構をどう育ててゆくべきかについて何らの成算もありませんでした。(中略)

 そうしているうちに、私はある一つのことに気がつきました。それはあなたの大局的な判断がいつも極めて正しいということでした。あなたはイギリスの科学院やアメリカの科学アカデミーの組織や任務を実によく調査しておられましたが、学術会議の当面するいろいろの問題については、それらの知識は極めて健全な常識となって明確な判断をしたのです。

 そこで私は、あなたの大局的な判断に法律的な構成を与えわが国の行政機構の中にうまくはめこむことに専念すれば間違いはない、と悟りました。日本学術会議といういわば占領政策の申し子ともいうべきものが、わが国の土壌の上に、とにもかくにも根を張り枝を伸ばしてゆくことができたのはわれわれ三人のコンビによるものと、われわれは自負もし、満足もしたのでした(後略)―

 亀山の「健全な常識」に、我妻は全幅の信頼を置いた。健全な常識とは、先の亀山の式辞の言葉を借りれば、科学の力を平和と繁栄に役立て、搾取と破滅には決して使わないということであったろう。

 そうして出発した日本学術会議がいま、菅義偉首相による人事介入で揺さぶられ、自民党にはその在り方を検討するプロジェクトチームが設置されて、組織そのものが危殆(きたい)に瀕しているかに見える。

 草創期の学術会議を知ると、総意をまとめていくための民主的な手続きに徹底してこだわり、実行していく姿が印象的だ。日本を代表する知性ともいうべき人たちが、厭わず何度でも投票を繰り返す。そして「健全な常識」を中心に置く。それは皮肉にも、いまの政権や自民党のやり方とは、正反対のベクトルを指しているように見える。

 こうした学術会議の姿勢は、総会3日目に採択された「日本学術会議の発足にあたって科学者としての決意表明(声明)」の審議でも貫かれた。=4回続き(続く)

 ◇本文中は略記にとどめたが、当時の学術会議の各部構成は次の通り。

 第1部(文学哲学史学)▽第2部(法律学政治学)▽第3部(経済学商学)▽第4部(理学)▽第5部(工学)▽第6部(農学)▽第7部(医学歯学薬学)

 ◇主として次の書籍を参考にした。

 『「学者の森」の40年』(福島要一)▽『日本学術会議25年史』(日本学術会議)

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