スティーヴィー・ワンダーと坂本九の不思議な所縁、1985年の後楽園球場ライブ! 1985年 11月3日 スティーヴィー・ワンダーの来日コンサートが後楽園球場で行われた日

スティーヴィー・ワンダー、1985年の来日公演は史上最大!

今晩、THE YELLOW MONKEYが東京ドームで結成30周年記念のライヴを開く。新型コロナ禍の中、どの様なライヴとなるのであろう。

It was 35 years ago today.
遡ること35年前の今日、1985年11月3日、スティーヴィー・ワンダーが後楽園球場で2日公演の2日めを迎えていた。この前には代々木第一体育館でも3日公演を行っている。3年振りの日本公演は、スティーヴィーにとって史上最大規模であった。

当時大学1年生だった僕はアリーナにいた。この2年後に取り壊されてしまう後楽園球場のグラウンドに降りたのはこれが最初で最後だった。しかし実は観客ではなく場内警備のバイトで、アリーナAブロックの通路でステージに背を向けて座っていたのである。生まれて初めての生スティーヴィーは背中越しであった。

同年、日航機墜落事故で命を落とした坂本九をトリビュート

この日のライヴは同年リリースの最新アルバム『イン・スクエア・サークル』からの曲を中心とした80年代の曲と、70年代の大ヒット曲から構成されていた。

3曲めにスティーヴィーがピアノの弾き語りで歌ったのが「リボン・イン・ザ・スカイ」。1982年のベストアルバム『ミュージックエイリアム(Stevie Wonder Original Musiquarium I)』の新曲4曲の内の1曲で、シングルカットもされた名バラードである。

間奏でスティーヴィーは、お得意のハーモニカを取り出した。まずは主旋律をなぞる。そしてやにわに吹き始めたメロディに場内から歓声が上がった。それは「上を向いて歩こう」の一節だった。「涙がこぼれないように」辺りまで吹いて主旋律に戻った。

この年の8月12日に坂本九が日航機墜落事故で命を落としてからまだ3か月も経っていなかった。MCでこのことに触れたかは憶えていないが、このライヴの模様が地上波でOAになった時、スティーヴィーはインタビューらしき音声で「坂本九の歌は欧米人の好奇心を揺さぶった。感情とサウンドの両面で。日本的なメロディにモダンなビートが使われていた。今晩は彼とあの事故で亡くなった方、そしてご遺族にこのショーを捧げます」と語っている。

スティーヴィー・ワンダーと坂本九はアメリカで “同期” だった?

しかし僕にはもうひとつ大きな理由があるように思えてならない。それはスティーヴィーと坂本が、アメリカで “同期” だったということである。

この年から遡ること22年前の1963年6月15日付のアメリカBillboardチャートで、坂本九の「Sukiyaki」こと「上を向いて歩こう」は1位に輝き、3週連続でトップを守った。アジア人初のNo.1であり、次のアジア勢No.1は今年のBTSの「Dynamite」まで待たなくてはならない。

その2か月後、8月10日付のチャートで1位に到達し、やはり3週連続を記録したのが、当時はリトル・スティーヴィー・ワンダーというアーティスト名だった13歳のスティーヴィーの「フィンガーティップス」であった。これが彼にとっても初の全米No.1だった。

坂本九は当時21歳。年齢も近く、しかも外国語で1位を獲ったシンガーということで、スティーヴィーにとっては全米No.1同期以上に意識された存在ではなかっただろうか。この後スティーヴィーは共演も含めると10曲で全米No.1を獲得する。この日本公演も、その内の8曲めと9曲めを最新ヒットとして引っ提げていたのである。

ライヴ後半は80年代全米 No.1ソングのオンパレード!

11曲めに歌われたのが1982年のポール・マッカートニーとの共演シングル「エボニー・アンド・アイボリー」。この曲もスティーヴィーの全米No.1にカウントされている。80年代半ばのスティーヴィー快進撃の端緒となったと言っても過言ではないだろう。

ポールのパートをスティーヴィーが歌い、スティーヴィーの代わりはバックコーラスの男性が務めた。日本公演では3年振りの披露だったそうだが、この時ばかりは僕も警備員たる立場を軽く忘れて振り返り、ステージをチラ観して少し涙した。

メドレーの様に続けてサビだけが歌われたのがUSAフォー・アフリカの「ウィ・アー・ザ・ワールド」。やはりこの年の春に大ヒットした曲だ。この曲でもスティーヴィーは重要な役割を果たしているがさすがに彼のNo.1ソングにはカウントされていない。この曲は坂本九も、事故当日に収録されたNHKのラジオ番組で歌っていたのだった。

そしてステージに腰かけたスティーヴィーが本編最後に歌ったのが、前年1984年にソロで7年振りの全米No.1(3週連続)となった名曲「心の愛(I Just Called to Say I Love You)」。カラオケをバックに一人歌うスティーヴィーにこの日一番とも思える大きな声援が送られた。

しかしそれを上回る歓声が上がったのがアンコール1曲めの「パートタイム・ラヴァー」であった。この曲は11月2日付のBillboardチャートで1位を獲得していた。つまり我々日本のファンは全米No.1真っ只中のこの曲を生で目撃していたのだった。

2年連続の全米No.1であり、「フィンガーティップス」から22年後のNo.1。やはり坂本九を追悼するのにこれ程相応しい夜は無かったかもしれない。僕は大人しくしていたが踊ってしまったバイトの先輩もいたらしい。そして「パートタイム・ラヴァー」は未だスティーヴィーのソロでは最新の全米No1ソングである。

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カタリベ: 宮木宣嗣

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