松原みきと日立サウンドブレイク、真夜中のドアをたたくと19歳の彼女がいた! 1979年 11月5日 松原みきのデビューシングル「真夜中のドア~Stay With Me」がリリースされた日

東京12チャンネルのアバンギャルドな番組「日立サウンドブレイク」

TVディレクター時代に、夜中に流すフィラーを作る仕事をしたことがある。テープ倉庫から資料映像を引っぱり出してきて、好き勝手な音楽をつける。放送局の中では正直「どうでもいい番組」である。しかし、ふだんの制作とちがって上司もうるさいこと言わないし、昔の映像を見直すと意外な発見があるしで、やってみるとけっこう楽しかった。

そもそも、フィラーが好きになる原体験は、東京12チャンネル(現テレビ東京)でオンエアしていた『HITACHI Sound Break(日立サウンドブレイク)』という番組をよく見ていたからだ。テレ東の社史をひもとくと、1979年から3年ほど平日深夜(23時台)に放送していた日立製作所の冠一社提供ミニ番組とある。プロモビデオなんて言葉がない1979年、実験的なイメージ映像に音楽を付けた、フィラーというにはあまりにアバンギャルドな番組だった。そこで、あの女の子=松原みきに出会った。

松原みき本人が出演、生意気そうであどけないデビュー前の表情

思うに、彼女ほど悲劇性の高いシンガーもいないだろう。デビュー曲『真夜中のドア』が生涯で最大のヒット。きりっとした美人。そして、子宮頸癌で44歳で早逝。絵に描いたような佳人薄命ストーリーだ。この番組で歌手本人が出演しているのはきわめて珍しい。そこにいるのは、19歳の松原みき。オンエアの時期を勘案すると、撮影はレコードデビューの前だと思われる。

カメラに向ける生意気そうな上目遣いの表情から時々ティーンのあどけなさがかいま見えるのがいい。彼女の映像はいくつかネットに残されているが、たぶんこの映像がいちばん幼く、いちばんキュート。この番組では、別の回の別の曲の映像にも、松原みきが登場している(気になる人はチェックされたし)。彼女の顔を何度かこの番組で見かけたという、わたしの記憶は間違っていなかったわけだ。

この番組、こんな新撮のハイクォリティ映像を流したかとおもえば、別の回ではアラベスク『ハローMr.モンキー』で、動物園のサルの資料映像に曲をかぶせるという、雑にもほどがある(笑)すごい演出をしている。この辺りのカオスぶり、さすがテレ東のDNAは70年代から変わっていないなぁと妙に感心する。

林哲司の最高傑作「真夜中のドア」むせび泣く松原正樹のギターソロ

それにしても『真夜中のドア』は、『セプテンバー』『P.S.抱きしめたい』とならぶ林哲司の最高傑作の一つだろう。松原みきの多重コーラスによる幻想的なイントロ、“Stay With Me” というサビのキャッチーさ、うねる後藤次利のベースライン、そしてエンディングは、フェイドアウト間際の魔術師・松原正樹の情念のギターソロがむせび泣く… 二人の松原さん、今はむこうの世界でセッションしてるのかなぁ。

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※2016年2月20日に掲載された記事をアップデート

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