「サッカーコラム」最後のプレーを記憶に刻み込みたい J1川崎の中村憲剛が引退発表

今季限りでの現役引退を表明するJ1川崎の中村憲剛==1日、川崎市(同クラブ提供)

 青色の大きなごみバケツの中に、大量の氷が入れられた水が張られている。そこに「冷たい」と大声を上げながら両足ごと浸している―。

 その選手に声を掛けたのは2007年7月のベトナム・ハノイ。イビチャ・オシム監督が率いた日本代表の一員としてアジア・カップに臨んだ中村憲剛(J1川崎)を初めて取材したのは、練習後のアイシングをしている最中だった。

 中村俊輔や遠藤保仁というビッグネームが中盤にいる中、前年に代表デビューを飾った「もう一人の中村」。自身のアイコンと言える「14番」を代表でも背負った当時26歳の中村憲剛を、オシム監督は全6試合で先発起用した。当然、どんな選手なのか興味を持つ。実際に話を聞いた結果、次のような印象を抱いた。

 自分の言葉で理路整然とサッカーについて語る姿に理知的な選手、だ。

 日本代表として国際Aマッチ68試合に出場して6ゴールを挙げている。その数字を見て、ちょっと驚いた。キャップ数の多さの割に、日本代表としての憲剛のイメージがあまり浮かばないのだ。10年に開催されたワールドカップ(W杯)南アフリカ大会決勝トーナメント1回戦で激突したパラグアイとの試合の最後にピッチにいたなというのは記憶に残っているが、それ以外はあまりない。チームで見せる圧倒的な存在感に比べると、W杯で鮮烈な活躍を見せることができなかったことが影響しているのかもしれない。

 中村憲剛はチームが全国区ではなかったJ2時代の03年にテスト生として加入した。今季で18シーズンとなる。その間、J1に昇格させただけでなく、17、18年にはリーグ2連覇するまでの強豪となった川崎の躍進を主力として支えた。

 そして、今季。川崎はJリーグ史上最高ともいえる驚くべき強さを見せている。間違いなく優勝するだろう。20年のチームはコロナ禍のネガティブな事柄とは対を成す美しい思い出としてサッカーファンの脳裏に刻まれるだろう。そんなチームで憲剛は今もなお、絶大な存在感を示している。

 プロ・フットボーラーなら、いずれ誰もがスパイクシューズを壁に掛けるときが来る。ただ、40歳になった今季もプレーの質やスピードは一向に衰えていない。左膝前十字靭帯(じんたい)断裂の大けがから復帰した8月29日の清水戦で、いきなりのゴール。そして自らの誕生日となる10月31日に行われたFC東京との「多摩川クラシコ」では決勝ゴールを挙げてみせた。

 その翌日に、まさか引退を発表するなんて…。その活躍を目の当たりにしたならば、このことを予想できた人などいなかったはずだ。

 欧州でも十分に活躍できるだけの実力を持っていた。それでも、川崎にタイトルをもたらすために「サックスブルーと黒」のユニホームにこだわり続けた。一つのクラブで選手生活をまっとうするというのは、誰にでも許されるものではない。

 しかも、余力をまだ残しながら惜しまれつつも自らの意思で選択したのだ。あまりにも格好が良すぎる。憲剛こそが川崎の唯一無二のバンディエラ(旗手)であり、Jリーグが国内で生み出した最高の選手であることに異論のある人はいないだろう。

 名選手が生まれるとき、そこに必ずといって良いほど出会いがある。憲剛にとっては関塚隆監督=当時=との出会いだった。関塚監督はFWの1列下の攻撃的MFとしてプレーしていた憲剛をプロ2年目にボランチにコンバート。体が細くフィジカルコンタクトを苦手としていたが、ポジションを下げたことで相手のプレッシャーから解放された。これでプレーする時間が生まれ、得意のパスを存分に発揮することができるようになった。

 同じ経過をたどって成功した世界的名手がいる。現在、ユベントスの監督を務めるアンドレ・ピルロだ。中村憲剛より1歳年上のピルロもまた、ミラン時代に出会った名将カルロ・アンチェロッィ監督によってトップ下からアンカーにポジションを変えられた。それが01―02シーズンだった。そこからピルロの目覚ましい活躍が始まる。そして06年W杯ドイツ大会ではMVP級の活躍でイタリアを優勝に導いた。

 「アズーリ」が誇る希代のレジスタと、日本のパス・マスター。ゲームを自在に操る、魔法のつえを持った選手は、何かと共通点が多い。

 相手の守備の穴を一発で突く必殺のスルーパス。中村憲剛の代名詞ともいえるプレーだが、それを引き出してくれたパートナーがいた。ジュニーニョだ。

 「ジュニーニョにはパスの出すタイミングを教わった。足が速いから少しずれても追いついてくれた」

 中村憲剛と同じ03年に加入した快足のブラジル人ストライカーは、11年までの9シーズンで通算175ゴールを挙げ、J1とJ2の両方で得点王に輝いた。ジュニーニョは、中村憲剛のパスをゴールに結びつけ、成功体験を与えてくれた。「その意味では最も影響を受けた選手の一人」とかつて語っていたが、そこで培われた感覚が、川崎が誇る攻撃サッカーに受け継がれたといっていい。

 サッカーで最も大切なのは、「ボールを止める」、「ボールを蹴る」という技術。そして、レベルの高い選手ほどより正確性の高いインサイドキックを多用する。

 中村憲剛という偉大な選手のプレーを見ていると、このことが良く分かる。教科書の様なプレーを見られるのも、あとわずか。「背番号14」が見せる最後の雄姿を記憶に焼き付けたい。

岩崎龍一(いわさき・りゅういち)のプロフィル サッカージャーナリスト。1960年青森県八戸市生まれ。明治大学卒。サッカー専門誌記者を経てフリーに。新聞、雑誌等で原稿を執筆。ワールドカップの現地取材はロシア大会で7大会目。

© 一般社団法人共同通信社