麥田俊一の偏愛的モード私観 第21話「トモ コイズミ」

「トモ コイズミ」2021春夏コレクション(C)TOMO KOIZUMI)

 拙宅の古池に撓垂れるように枝を広げる紅葉(もみじ)が紅く色付き出した。10月下旬ともなればさすがに寒暖差が激しくなる。柿の古木も負けじと、その葉は、日増しに深緑から黄、そして紅に色を脱ぎ始めている。家の門を出て坂道を上り切れば、そこは公園墓地。200メートル程の高低差のある斜面は植生が豊かで、あと一、二週間もすれば、緑、黄、紅の奥行きのある調和が見頃となり、秋晴れの日には、空や雲を入れたパノラマ風景を一望することが出来る。

 時節柄、国内外を問わず、今季(2021年春夏シーズン)のファッションウイークは、ショーをする代わりにデジタルプラットフォームにて新作(或いはそのイメージ)を発表するブランドのなんと多かったことか。こちらは陋室に居ながらにして取材出来るのだから都合が良いには良いが(勿論ショーとなれば会場に足を運んだのだけれど)、作り手側が配信するクリエーティブな動画の巧拙を云う前に、そもそもデジタル式にどっぷりと浸るのが不得手な私には画面上の仮想世界がもどかしく、少しく味気なかった(取材して原稿を書く仕事は全うしているのだけれど)。だから云うのではないが、今は、紅葉の錦(もみじのにしき)や錦秋(きんしゅう)と云ったいにしえの風情に浸ってみたい気分なのだ。緞帳のような紅葉(もみじ)の木々や、斜面凡て紅葉(黄葉)の景色が待ち遠しい。デジタルやテクノロジーへの傾斜が深まれば余計に、フィジカルな情報(季節の移り変わりとか、虫の鳴き声とか、布の手触りとか、人の匂いなど)に飢えていることを痛感するのである。

 小泉智貴(ともたか)の作る服は、緞帳幕のような紅葉とは云えぬが、しかし、眼前に広がる、恰も甘酸っぱい砂糖菓子を塗したような重層構造や、バイタルな色彩が織り成す立体的な渦が私を圧倒した。東京のファッションウイークが開幕する数週間前に開催された「トモ コイズミ」の展示会(21年春夏コレクション)を訪れたのだった。東京で展示会をするのは初めてだろう。今回はNYにてショーを発表する予定だったが、現況に鑑みてショーは休止し、NYのファッションウイーク会期中にルックブックにて新作を発表。日本から世界へ発信出来る最大限の表現を試み、日本ならではの美しさを描出したと云う。

 小泉は1988年千葉県生まれ。幼少期より独学で縫製に親しむ。千葉大学在学中に、スタイリストの北村道子のアシスタントに就き、同時に自身のブランド「トモ コイズミ」を立ち上げ、コスチュームデザインやカスタムメードのドレス製作を開始。独特の色彩感覚と個性的なスタイルが支持され、国内外の女優やアーチストを顧客に持つ。インスタグラムがきっかけで、作品が当時のファッション誌『LOVE』編集長兼スタイリストのケイティ・グランドの眼にとまり、急遽19~20年秋冬のNYファッションウイークでのコレクション発表が決まる。ケイティと親交の深いデザイナーのマーク・ジェイコブスの支援もあり、マディソン街の「マーク ジェイコブス」の旗艦店にてショーデビューを飾る。昨年10月には、一足先にNYで発表した服を東京に持ち帰りショー形式で見せている。今回は自身のブランドとは別に、伊の「エミリオ・プッチ」と協業して21年春夏カプセルコレクションを製作。ミラノのファッションウイーク会期中に新作のお披露目となるショートフィルムを配信している。

 小泉の服は日常着ではない。フリルやラッフル、リボン使いなどの細かな手仕事を積み重ねて造形した服は「ハレ」の場に一等相応しい服である。古臭い言葉で云うと「晴れ着」の感覚に近い(飽く迄もニュアンスだけれど)。細部が綾を織る不思議な調和とそれらが生み出す量感は、シーズンによって微妙に変化するが、基本となるスタイルは不変。袖を通すことで気分がアガル服なのだ。着る側に一種の覚悟を迫る服なだけに、作る側にもそれなりの覚悟が必要なのだ。パッと見の印象で云えば確かに、決まり切ったパターンを踏襲するマンネリズムは否めない。だが、そのような雑音を斬り捨てるだけの覚悟が透いて見えるのである。刀の鞘で、刃を仕舞う口にあたる部分を鯉口(こいぐち)と云う。「鯉口を切る」と云う表現は、親指で鍔を押し上げ、「さあ、いつでも抜けるぞ」と威嚇する構えを云う。辻斬りの浪人の如く、彼の気構えたるや、挑発に乗らず、大団円までの物語を覚悟する、そんな感覚だろうか。飽く迄も私の中のイメージなのだけれど。ドレスメーカーを辻斬りの浪人などに喩えるのは、ちと乱暴だが(穏和な彼の風貌も浪人とは云い難い)、これまでの彼の服を見ていると、喩え話は別としても、何処かに日本的な情緒が漂う不思議な感覚を覚えるのである。

「トモ コイズミ」の最新コレクション(21年春夏)は二つのパートで構成されている。前半はブランドとして新たな試みとなるウエディングドレス。ウエディングドレスの企画・レンタル・販売・輸入業務をメーンとする株式会社トリートと協業して実現したピースである。後半のオリジナルラインは、ウエディングよりリサーチを深め、日本の婚礼衣裳に着想したピース。色打ち掛けの華やいだ色柄に加え、花嫁を思わせるフレッシュな花のイメージと配色、有機的モチーフを取り入れたミニドレスで構成されている。サテンやキュプラなど、オーガンジー以外の素材とプリント使いが今回の新たな取り組みで、生地は凡て国産のデッドストックを使用している。

SNSの利便性が我々を取り巻く環境を変え、日常に於ける種々のスピードは加速度的に増している。SNSの登場により、ブランド側がマーケットに向けて一方的にメッセージを発信する時代は終わり、作り手の提言はよりスピーディーに、よりインタラクティブなものに変貌を遂げつつある。だが、そんな時代だからこそ、ブランドの立場がもっと強いものであるべきだと思うし、氾濫する情報や反射神経的な提言に流され、無感覚のうちにブランドの軸が揺らぎ、本来大切にすべきコアが痩せていくのを眼の当たりにするのはなんとも寂しい。服は勿論、絵画でも小説でも音楽でも、流行りと云うものがあって、その時の群集心理で流行りに合ったものは良く見える。新しいものが出来ると云う点では認めるにしても、そのものの価値とは違うような気がする。最終的には自分を出すより手はないのだ。何故なら、自分は生まれ変われない限り自分の中に居るのだから。(麥田俊一、ファッションジャーナリスト)

© 一般社団法人共同通信社