カンボジアから中国へ 教授として社会課題の解決に挑むーー沓名美和・REBIRTH代表 魯迅美術学院教授

エコロジーという言葉をよく耳にするようになった2008年頃、私は社会問題の一つ、産業廃棄物の削減と可能性を見出そうと、MODECOというブランドを立ち上げた。アップサイクルというキーワードを日本に持ち込み、あらゆる産業廃棄物の課題解決に向き合ってきた。その中で、私と同じように何らかの社会問題に向き合い、解決を目指す多くの社会起業家と出会ってきた。SDGsが生まれた背景の一つにも、あらゆる社会起業家が社会問題の解決のために、「社会運動」とも呼べる飽くなき挑戦をしてきたことがあると私は考えている。コラム「未来を創るひと」では100年後の未来を創る社会起業家と、その清く熱い思いを紹介したいと思う。

アクセサリーブランド「REBIRTH」代表の沓名美和さんは、私がカンボジアで出会ったサステナビリティに取り組むデザイナーだ。とりわけユニークなのは、彼女が解決を目指すテーマが「平和」という壮大なものということ。REBIRTHは、カンボジア内戦で使われた弾丸の薬莢を再生しアクセサリーを作っている。そして、一つひとつの活動に全力で取り組み続け、沓名さんは現在、中国の魯迅美術学院と清華大学で教授としても活躍する。社会起業家としては珍しいマルチワーカーであることにもとても親近感を抱いている。

韓国への留学が、歴史を見つめるきっかけに

水野:REBIRTHはどんなきっかけで始められたのでしょうか。

沓名:大学卒業後、韓国に留学していました。その時ちょうど、日韓ワールドカップの決勝戦の時期で、日本大使館に卵が投げつけられる事件があり、ボランティアで掃除をしに行きました。東アジアの美術に興味があって留学したのですが、まったく違うところで両国の歴史的な関係性に触れる機会があり、何でこんなことが起きているんだろうかと考え、きちんと知らないといけないなと思いました。違う世代の人たちが何をしてきたのか、しっかりと理解しないといけないと思うようになったのが始まりです。

水野:なるほど。韓国留学で歴史の軋轢を感じて、文化を創るにも歴史のルーツを知る必要があると感じたわけですね。

沓名:韓国での留学を終えた後、中国に行きました。その後、自分の祖父のルーツを辿ってみたら、実はハルビンで抑留されていたことを知りました。そのほかに、日本の植民地建築というものがあることも知りました。壊されてはいたのですが、そういう歴史的な情報や遺産をきちんと次の世代に伝えていかなければと思い始めたんです。

水野:カンボジアから活動を始めたと思っていたのですが、そんなルーツがあったのですね。

沓名:そうなんです。植民地建築だからという理由で壊されている解体資源からなにか作れないか、と思ったのが始まりです。第一段の製品は、その解体資源を再生して作りました。でもそれを中国で発表しようとした時に、中国の方たちから「戦争に関わる物を日本人の視点から発表するのは無理だ」と言われました。こういうものは出せないと。ちょうどその時、尖閣諸島の問題があったりして、こういうものを出して貰っては困る、となったんです。結局その作品はボツになってしまいました。私のやってきたことはなんだったんだろうかとなりました。そこから、東南アジアに行くことになったんです。

水野:東南アジアにも色々な国がある中で、なぜカンボジアに拠点を置かれたのでしょうか。

沓名:旅をする過程でカンボジアへ訪れた時、バッタンバンとシェムリアップの間くらいにある、ポル・ポト軍が倉庫にしていた近くの村に大量に薬莢がありました。こんなにまだ残っているんだ、と感じて、中国に行った時にできなかったことをカンボジアで始めようと思ったのがきっかけです。

単なる啓発で終わらせたくなかった

水野:カンボジアで薬莢からアクセサリーを作る「REBIRTH」を立ち上げ後、何が一番大変でしたか。

沓名:人ですね。作る人も、一緒に動いてくれる人も、チームの組成が大変でしたね。最初は、働いてくれる人たちがすぐに辞めてしまうという課題がありました。3年目くらいから落ち着き始めたが、色んなことがありました。一生懸命だったので、楽しい時間ではありましたが。

水野:状況が好転したのは、何がきっかけだったのでしょうか。

沓名:ダバンとネットという兄妹と出会うまでは、人の入れ替わりが止まらず、忍耐強く働ける人がいませんでした。固定するまでに何回も人が入れ替わってしまって。途上国に限らないかもしれませんが、やはり日本との就労習慣が全然違って苦労しました。

水野:薬莢からアクセサリーを作るのはとても工夫がいりますよね。アップサイクルでも特に大変な印象ですが、制作面で苦労したことはありますか。

沓名:やはりまずは「どう溶かすのか」というところが課題でした。当時、一緒に事業を立ち上げたパートナーがいて、制作のノウハウについては彼女の支えが大きく、良きパートナーがいたことに助けられました。国が違っても目標が同じなら手を取り合っていけると思えた瞬間でした。

水野:アップサイクルは制作で躓きやすいですからね。素材がゴミだからこそ、不揃いで毎回条件が違うから開発も量産も難しい。だからこそ制作のパートナーシップはとても大切だと思います。一方で、でき上がったものをどう流通させていくのか。流通面についてはいかがでしたか。

沓名:水野さんも経験されているので分かってくださると思いますが、とにかく伝え方にとても苦労しました。私が始めた当時も、アップサイクルに対する価値はまだそこまで高くなかったので、カンボジアや中国で売り出してみたものの、本当に価値が届きにくかったですね。だから一層のこと、消費者の理解が成熟している日本へ流通した方が良いのではないか、と思って日本で試してみました。日本でも当時はそこまで関心が高かったわけではなかったです。でも、日本で色んなところでとり上げて頂いて、反応も良く、少しずつですが流通に手応えがでてきました。

水野:カンボジアに思いを馳せることも多々あると思います。どんな気持ちで事業を立ち上げ、またカンボジアに対してどんなことを願っていたのでしょうか。

沓名:薬莢を再生することから始めましたが、関わっていく中でその問題だけではないなと。住む人たちの環境づくりや教育、色んなところに携わっていく必要があると思いました。外の人間として、モノを売ってフォローするだけでなく、またお金を渡すだけでなく、一緒に彼らの社会的な価値を上げていきたかったですね。でも、彼らの未熟なところに可能性があると思いました。自然が素晴らしく、日本にない笑顔があって。むしろ、幸せや生きることの意味を逆に学ばせて貰った気持ちの方が強く、感謝でいっぱいです。

水野:REBIRTHが目指すゴールはどんなことでしょうか。

沓名:私は芸術分野出身の人間として、戦争下で使われた薬莢のアップサイクルを啓発で終わらない形にしていきたいと思っています。やはり、それを形にして、買ってもらって、着けて貰う一連の流れをカンボジアまで繋げる――。アイテムをきっかけにそういう事実があったということをリアルに体験して貰うところまでがゴールで、消費者が手に取った時、そこまできちんと届けたいと思っています。

水野:ファッションアイテムとして一つのデザインの消費をされておしまいでなく、きちんとアーカイブというか、レガシーとして残していきたいと。そこは私も同じです。

中国で、社会を「再生」する

水野:REBIRTHは引き続きプロデュースをしつつ、現在は新しいチャレンジをされているとお伺いしました。

沓名:はい、魯迅美術学院と清華大学というところで教授として勤めています。

水野:アジアでもトップレベルの大学として知られていますね。どのような立場でしょうか。

沓名:魯迅美術学院では現代美術学科の中で、環境と芸術の研究所を立ち上げて教授をしています。清華大学では、日本研究所で日中の外交関係における芸術文化について客員教授として教えています。日本の地方自治体の良いところを中国に紹介するなどしています。

水野:大きな転身で驚きました。当時、沓名さんの論文の相談を受けていたことを思い出します。その論文がきっかけで教授になるというのは、珍しいことですよね。

沓名:運も良くて。ちょうどその時にテーマにしていたことが中国の社会に必要とされ、優秀論文に選ばれました。

水野:アカデミックなポジションから、今、新たに何をされようとなさっていますか。

沓名:教授としては3つあります。1つ目はいわゆるゴミをどう再生するか、学生と考えています。もう1つは、魯迅美術学院は瀋陽市というところにあり、昔の日本軍が作った奉天という地域の再生です。奉天の街はまだ残っていて、かつて南満州鉄道が運営していたヤマトホテルなどもあります。その古い街を中国政府はそのまま文化地域として保護しています。ただ何にも利用できていないから、そこを活性化していきたい。軍の工業地帯だった影響もあって、かなり廃れているんです。そこに文化を創っていこうと思っています。

水野:産業を失ったけど、文化的資産が残る街の再生ですね。

沓名:そうです。現地でボロボロになった家を何軒か借りていて、どういう風にしていこうかを考えています。ここは置屋だったんじゃないか、とか立証する色んな文献も出てきており、今後どう再生していくか構想しています。

水野:中国の地域創生、それは素晴らしいですね。日本だと知らない人も多いと思います。

沓名:3つ目は情報ゴミの再生です。これは学生がプログラミングとかバイオ関係とか色んなとこから集まっているので、今の社会の一番のゴミは情報だという仮説を立てて、アプリを開発しようとしています。

水野:産学連携とかできると面白そうですね。

沓名:中国は進化のスピードが速いので、そうしたコンテンツを売っていくこともできるかもしれないですが、逆にそれをマネタイズしていくべきではないかと考えています。学生みんなと話しました。彼らが独立してそれを運用していくことも考えたのですが、みんなもっと面白いものを作り続けたいから、それだけをやるのではなく、社会に貢献できることをしようと。

水野:エネルギッシュでイノベイティブですね。

沓名:そうは言っても、中国も大企業志向が強いのでそういう人たちはまだまだ少ないのが現状です。だからこそ、そういう学生たちを大切に育ててあげたいと思っています。

水野:REBIRTHというカンボジアでの活動も継続しながら、新たに今、中国からできる社会的課題の解決を、今度は教授というポジションから学生たちと一緒にやろうとしている。まさに沓名美和ならではのストーリーですね。最後に、沓名さんが100年後の未来を創る人として、伝えたいことはありますか。

沓名:これから、すごく大変な未来が来ると思っています。だから、今起きている実際の問題をその目で見る機会を増やして欲しいですね。一つの国が好き嫌い、という感情だけでは終わらない問題が今はいっぱい出てきていて、本当に一緒に手を取り合っていくしか成し遂げられないことがあります。もちろん時間はかかります。でも、常に対話をして分かり合うことで、今では想像できないような繋がりを作れると思います。目の前の利益や関係性も大切だと思うけれど、もう少し大きな目線を持って、みんなで未来を創造していけたらと思っています。

水野:沓名さんの活躍にこれからも期待しています。今日はありがとうございました。

水野 浩行 (みずの・ひろゆき)

2010年よりエコロジーをコンセプトとしたブランド「MODECO」を設立。産業廃棄物の削減と有効活用をテーマにした「アップサイクルデザイン」の第一人者として、国内外から注目を集める。とりわけ、自治体と連携した消防服の廃棄ユニフォームを再利用したFireman など一連のデザイン・社会問題は『ガイアの夜明け』などTVをはじめ100を超えるメディアから取材された実績を持ち、2015 年に株式会社アミューズの資本・業務提携を結び、ブランドビジネスの新しい在り方を示した。またヒューレット・パッカード、パタゴニア、フォルクスワーゲンなど欧米のナショナルブランドとのコラボレーションも数多く手掛け、未来のために描くそのデザインは国境を越え高い評価を受ける。そのほか、小学校から大学の講師などさまざまな教育活動も行っている。2018年より、MODECOのモノづくりのみならず、サステナブル社会における企業づくりのため、HIROYUKI MIZUNO DESIGNを設立。上場企業から中小企業まで、未来的な企業、事業の設計に向けた顧問、コンサルティング事業を開始。また現在は「100年後の未来を創る」ことを掲げ、あらゆる社会起業家と 企業と連携し、社会をサステナブルにアップデートすることを目的とした新しいソリューションプラットフォーム「AFTER 100 YEARs(100s)」の設立に向け準備中。

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