「進む統廃合 跡地に課題」 第3期 県立高校改革 来年度開始

ボルダリングの練習場として使われている旧長崎式見高の体育館=長崎市四杖町(荒木勝郎撮影)

 長崎県教委が2001年度から進めてきた県立高校改革。第1期では基本方針に教育水準の維持などを掲げ、学校の統廃合で分校を含め11校が閉校し、1校を新設した。学科改編が中心だった第2期を経て、来年度からは第3期改革が始まり、基本方針には再び統廃合の検討を盛り込んだ。高校の統廃合が地域にどんな影響を与えたのか、跡地はどう活用されているのか。現場を訪ね、住民の思いや課題を探った。

◆地元任せでは
 長崎市式見地区の港町が見渡せる丘の上に、旧県立長崎式見高の校舎が今も残る。10月中旬、県教委の許可を得て足を踏み入れると、秋風に潮の匂いがかすかにした。「みどり輝く四杖台~式高永遠に~」。閉校から12年、石碑に刻まれた文字とのどかな風景が郷愁に近いものを呼び起こす。
 校舎1階の窓には防犯のためか板が打ち付けられ、2階の窓はところどころ割れ「警察巡回中」の張り紙も。体育館の一部は県山岳連盟の練習場として活用され、ボルダリングができる設備を設置しているが、地元住民が思い描く跡地活用とは程遠いようだ。
 県教委が閉校方針を示した2003年、存続を求める市民グループが約3万7千人分の署名を県議会に提出したが、流れを止めることはできなかった。「跡地活用をもっと行政が主導してほしい。地元任せではどうにもならない」。地元の自治会関係者たちは口をそろえる。追い打ちを掛けるように今年の春には式見中も閉校した。

長崎県の中学校卒業者の推移

 現在、式見小を卒業後は別の地区に通わなければならない。荒毛自治会の那須幹雄会長(71)は「地域の話題や行事も少なくなるし、若者の声が聞こえなくなって町の勢いもなくなった」と肩を落とす。那須会長はぽつりとつぶやいた。「これでは若い人が定住できない。孫ができても帰ってこいとは言いづらい」

◆もったいない
 場所は変わって長崎市の野母半島。高浜海水浴場から山手に向かうと、旧県立野母崎高があった。11年春に閉校し、9年が経過。10月上旬に訪れると、鉄製の正門ゲートが片方だけ倒れていた。「いつからこの状態?」。不安になって県教委に問い合わせると、9月の台風で倒れたようだ。現在は復旧したという。校庭には夏の間に生い茂った草が伸び、ススキが揺れていた。除草作業は年1回、秋に実施しているという。
 校舎裏の斜面地には畑と雑木林が広がり、その合間に住居が点在する。海あり山ありの原風景。近くに住む指方キミさん(89)は「静かかでしょ。今はチャイムの音も響かんとよ」と懐かしむ。閉校は仕方ないと割り切り、「そもそも住民自体が減っている。若い人は仕事を求めて外に出てしまう。立派な校舎、もったいなかねえ」。そう言い残し、家路から校舎を眺めた。

閉校して9年が経過した旧野母崎高=長崎市高浜町

◆活用策に明暗
 高校改革に着手した01年度当時、県立高の全日制は分校含め64校。1年生が2クラス以下の小規模校は14校あった。以後の中学校卒業数の減少動向を見据えた場合、学級数の削減による対応では限界があり、統廃合にかじを切った。
 第1期の改革では▽松浦高鷹島分校▽諫早高高来分校▽西陵高東長崎分校▽長崎式見高▽長崎南商業高▽野母崎高▽富江高▽松浦東高▽猶興館高大島分校▽有馬商業高▽島原南高-の計11校を統廃合。このうち有馬商業高と島原南高を統合して、島原翔南高を新設した。
 11校のうち、島原翔南高として活用している島原南高を除く8校跡地は、各市町に土地を返還するか譲与している。富江高は認定こども園として生まれ変わった。長崎南商業高は工業団地として造成され、15年から自動車製造会社が進出。松浦東高も工業団地へ。有馬商業高は多目的運動広場として整備される。
 一方、県有地として残るのは式見高と野母崎高の2校。式見高はボルダリング施設のほか、県立長崎図書館を建て替える時に臨時の書庫として利用。野母崎高は体育館の一部を仮倉庫として民間に貸している。ただ、いずれも一時的な措置で抜本的な活用策は見いだせないままだ。
 生徒数減少に歯止めは掛からず、県教委は第3期の基本方針で、学校再編の必要性に言及した。ただ、検討を進める際には地域振興の観点を重視することを明記。県教委の県立学校改革推進室は「生徒の教育環境を守ることが最優先だが、地域で高校が果たしてきた役割をしっかり見極め、活用策も含めて議論していく」と強調する。活用された跡地と、そうでない跡地。重い課題を抱えたまま、次の改革が始まる。


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